――影法師細工ケーキ








1


”影でできたケーキを作れ” 
こんな難問を投げかけた街の富豪がいた。
彼はその資本で珍味という珍味を食べつくし、
もうほとんどの料理に飽きてしまったのだ。
そしてとうとうわけのわからない難問を投げかけたわけだ。

「影だって? そんなの無理だ」 
「影を食べることなんてできない」 
街の料理人はあきれ返ってまともに取り合わなかった。
しかし富豪は、そんな料理人を見かねて
料理ができなかった場合街の料理店をすべて取り潰すと宣告した。

「困った……金持ちの狂言はたまったものじゃない」 
「なんとか納得させなければ……」 
料理人組合は街の料理人に聞きまわったが、
そんな料理はできないと皆口をそろえた。
とうとう、全員が諦めるところであった。

「あのう、すみません」 
日が暮れたころ、ある旅の料理人が組合の扉を叩いた。
その料理人は、若い娘で菓子が得意だと言っていた。
彼女はこの街で店を開きたいと言ってやってきたのだ。
役員の青年であるコモスは彼女に破れかぶれでこの話を持ちかけた。

「影のケーキですか……」 
彼女はちょっと考えた後、にこりと笑って、言った。
「よろしい。このレミウェに任せてくださいまし」 
そう言ってドレスのスカートを摘んでお辞儀したのだった。
さっそく彼女の厨房に、去年店じまいした古い料理店が割り当てられた。

コモスは彼女のために何でもすると言ったが、
レミウェは特に高価な器具だとか素材は要求しなかった。
「コモスさん、今日は月を見に行きましょう」 
そんな、よくわからない注文ばかりつけているのだ。
「レミウェさん、料理をして欲しいのですが……」 

「特別な料理には、特別な調理が必要なのです」 
そう言っていつもはぐらかされた。
二人は月を見に行った。
「月を料理したこともありますよ」 
レミウェはそんな突拍子もないことをいつも言った。

「そうだ、そのときの砂糖が余ってるのですよ」 
月明かりの下、そう言ってレミウェは小袋を取りだした。
「月の砂糖です。どうぞ、あげますよ」 
「へぇ……ありがとう」 
コモスは半信半疑だったが、料理人としての興味から受け取ることにした。

彼はレミウェと別れ、自宅に帰った。
自宅の厨房で、さっきの小袋を開く。
すると、銀粉のような粉砂糖が、みっしりと小袋に詰まっていた。
恐る恐る舐めてみる。すると、銀色の月を思い起こさせる甘みがした。
”月の……というのは、比喩か” そのときはそう思っていた。


2


その晩彼は寝床について夢を見た。
不思議な夢だった。
月夜の草原に彼は立っていた。
すると、月からスルスルと梯子が下りてくるのだ。
彼はこれを昇れば月に行ける気がして、一生懸命登った。

夢はそこで終わった。
朝起きて、奇妙なこともあるものだと少し不思議に思った。
月の味の影響だろうか。
コモスはもう一度、月の味を味わいたくて、また月の砂糖を舐めた。
その晩も、不思議な夢を見た。

彼は梯子に掴まっていた。
梯子の先には、夜空に浮かぶ月。
コモスは、これが昨日の夢の続きだと直感した。
まさか、月の砂糖を舐めるたび、月への旅ができるのではないか。
とにかく、登らねば……彼は一生懸命に登った。

そして、月に辿りつけぬままその日も目覚めた。
夢は奇妙なほどはっきりと覚えていた。
その日から、彼は寝る前に月の砂糖を舐めるようになった。
彼は取り憑かれたように夢の中で梯子を登った。
奇妙なことに、梯子を登るほど、彼は痩せていくのだった。

コモスはすでに影のケーキなどどうでもよくなりつつあった。
夢の中の月はかなり大きく見えるようになった。
もうすでに視界を埋め尽くしつつある。
月の表面に並ぶ建築物さえはっきりと見える。
しかし、彼のやつれようも限界に近付いていた。

コモスは、ここで一休みしようと思った。
いままで急ぎ過ぎたのだ。
その日起きて彼は月の砂糖の誘惑を振り切り、
久しぶりにレミウェの所を訪ねることにした。
影のケーキ……それをやっと彼は思い出した。

街角の古い料理店は外から見ても変わりはなかった。
だが、甘い香りがする! 
コモスはもしかしてと、店のドアを開けた。
厨房ではレミウェが椅子に座りうたた寝をしている。
……オーブンに火が入っている!!

「レミウェさん……もしかして!」 
コモスはレミウェを揺さぶり起こした。
「あ、焼けました?」 
「焼いてるのってもしかして……」 
「そう、影のケーキですよ」 

レミウェはオーブンの火を見ながら言った。
「燃え尽きるまで焼くのです」 
「すると、オーブンの中に影が満たされます」 
「それが信じられないほど、甘いのです」 
コモスは、今なら彼女の言うことを信じられる気がした。


3


約束の会食の日はその次の日だった。
レミウェは半球状のクロシュを被せてケーキを持ってきた。
コモスは不安そうにレミウェを見るが、
彼女は黙ってにっこりとウィンクを返す。
「さぁ、影のケーキのお披露目でございます」 

レミウェは何故か会食の時間に夜を指定した。
彼女の言うとおり、電気は落とし蝋燭の明かりだけが灯っている。
広い会場のほとんどが闇に包まれ、
橙色の蝋燭の炎が揺らめくたび闇が大きく蠢いた。
富豪はいいムードだとご機嫌なようだった。

「さぁ、もったいぶらずに見せてくれたまえ」 
レミウェはにこりと笑うと、料理をテーブルに乗せる。
そして、慎重に、ゆっくりとクロシュを持ちあげた。
すると……そこには確かに影でできたケーキがあったのだ。
「おお……面妖な」 

富豪が驚くのも無理はない。
ケーキそのものは見えず、
蝋燭の炎の揺らぎに呼応して蠢くケーキの影だけが見えるのだ。
「ふはは、よい、よいぞ」 
富豪は喜び、フォークを持つ。

「影をすくってくださいまし」 
レミウェの言うとおり、その影にフォークを突き立てる。
すると、影のケーキが欠けたのだ! 
フォークには何もついてない。
だが、フォークの影には確かにケーキの一部が乗っている。

富豪は恐る恐るフォークを口に含む。
すると目を見開き、震えながら言葉を漏らした。
「これほどまでに甘いケーキが……あっただろうか……」 
震えるフォークの先で、次々と影のケーキを食べていく。
ケーキは欠けるものの、蝋燭の揺らぎでまた元に戻るのだ。

富豪の身体が膨らんでいく。
コモスはだんだん恐ろしくなった。
月の砂糖であれだけ痩せたのだ。
完成品の影のケーキを食べ続けたら……どうなってしまうのだろう。
富豪の食べる勢いは止まらないどころか、速さを増していく。

周りの皆は、ケーキの香りに魅了されて一歩も動けないでいる。
蝋燭の揺らぐ影が、会場全体を覆い尽くして……
コモスは、無意識に会場の明かりに電気を通した!
それは一種の恐怖だったのだろうか。
水滴が目にかかる前に目を閉じるように。

電気の明かりが影を消し去った瞬間、
影のケーキがあった場所から黒い闇が膨れ上がった。
傍に立っていた富豪とレミウェを覆い尽くす! 
レミウェは涼しい顔で闇を泳いでいるように乗りこなしていた。
「あらあら、どうしましょう」 

やがて闇はケーキのあった場所に凄まじい勢いで吸い込まれていった。
レミウェはずっと笑っていた。
「あらあらどうしましょう。料理が台無しですわ」 
きっと彼女はあの闇から来たんだ――
コモスはそんな気がした。


――

やがて全てが消え失せ、静かな会場にクロシュが転がる音だけが響いた。
富豪もレミウェもそこにはいなかった。
それから5年が過ぎた。
富豪は2度と姿を現さなかった。
彼の財産は親戚によってすべて持っていかれてしまった。

しかし、例の会場があった館だけは皆気味悪がって放置されている。
今でも蝋燭の明かりを灯すと、
影が……食べているのだ。
影になった富豪が、影のケーキを食べ続けている姿が見えるのだ。

コモスはそれ以降レミウェに会うことはなかった。
しかし、月の砂糖は金庫の奥に今も残っている。
舐める気にはなれない。
いまでも、たまに夢を見るのだ。
手の届きそうなほど近づいた月の夢を。

夢の中で彼は月の建造物まではっきりと目に見ることができる。
そのひとつのビルの煙突から煙が昇り……
ああ……その窓に料理をしているレミウェが見えるのだ。








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