「クラウドシルフ」
そんなに長くない不思議の世界の冒険譚




郵便船501号はゆっくりと予定の空路を進行していた。
赤褐色の布が張られた飛行船である。
小さいプロペラを何個もつけた鉄塔が放射状に4本伸びている。
鉄塔の先には赤色灯が灯され、間延びしたパルス音をスピーカーから発している。
物好きなシルフが郵便船に並行して飛んでは手を振り去っていく。

デッキで風を読んでいるのは帝国郵便吏員のカイミェルである。
彼はつばの小さいふかふかの赤い帽子とぶかぶかの防寒服を身に纏っている。
短く切った青緑の髪が風に揺れる。
またシルフが遊びにやってきた。彼は適当にあしらって観測を続ける。
空の旅は危険に満ちているのである。

雲の動きは注視せねばならない。雲にはクラウドシルフが巣食っている。
いま彼の近くをにこにこ笑いながら手を振るシルフとは比べ物にならない。
非常に凶暴かつ破壊的な精霊、それがクラウドシルフだ。
カイミェルは望遠鏡で近くの雲を観測する。濃度は危険なほど濃いようには見えない。
雲、特に積乱雲に衝突した場合、大破し撃墜されてしまうことはよくある空中事故である。

日は山並みの中に赤く沈もうとしていた。ここから先は夜間魔術師の仕事だ。
彼らは昼夜逆転した生活をしていて夜間の空路を確保している。
”魔導コントロール開始。本船はこれより魔導システムにより制御されます” 
アナウンスが響いた。カイミェルはシルフ達に別れを告げ船の中に戻った。
船の中は魔法灯で隙間なく照らされ、影はほとんどできない。夜の空が窓の向こうに広がろうとしていた。

郵便船は名の通り郵便物を運搬する。手紙から小包まで。
魔術による遠距離通信はまだ庶民には行きわたっていない。
観測解析室に観測結果を報告し、カイミェルは夕食に出かけた。
郵便船は各ブロックが気嚢の下部にいくつも張りついていて、
それらが通路で繋がっている。食堂はこの近くだ。

何人かの同僚とすれ違い、食堂に辿りつく。
食堂はセルフサービスであるがメニューは1種類である。
トレイと皿を手にし蒸し器から大きい蒸しキノコを選ぶ。
その先には鍋が二つ。彼はピリ辛肉ソースの方を選び蒸しキノコにかける。
デザートのグレナデンプリンを取って席につく。同時に彼の向かいに座るものがいた。

「こんばんは!」 
年下のこの娘はカイミェルの後輩だ。金髪を後ろで縛っている。
「こんばんは。デキリィ。今日は寒いね」 
「極地方行きは寒くてしょうがないですね……」 
碧の目が見つめてくる。カイミェルは照れて視線をそらす。

「モスルート行きかぁ……もっと寒くなるんだろうなぁ」 
カイミェルは行き先の国を思った。
モスルートは灰土地域の東北部にある。高い山脈で囲まれた雪の大地だ。
食堂の窓には青めいた灰色の雲が流れていく。
これから山脈を越えるのだ。山脈の上は気流が激しい。

デキリィは蒸しキノコをはふはふとほおばっている。
彼女は勤めてからいまだに大きな事件は経験していなかったが、
カイミェルは一度大きな事件に巻き込まれたことがある。
そのときもこんな夜、モスルート行きの郵便船の中だった。
「思い出すな……あの日と観測結果が似ているような……そんな気がする」 

何かが軋んだ音がした。続けてガリガリと何かが絡まる音。
「なんだろう?」 
キノコを食べ終わり、口を拭くカイミェルがつぶやいた。
「機関制御室に行ってくる」 
トレイを片付けると彼はデキリィを置いて制御の中枢へ歩き出した。

カイミェルは昼間の航行状態を監督しているが、
異常があった場合夜間も出向いて対処しなくてはいけない。
機関制御室には慌ただしい空気が漂っていた。
「第103エンジン異常圧! ……停止しました!」 
「他のエンジンは?」 「異常は見られません……故障か?」 

「何が起こった?」 
カイミェルは近くの機関士に尋ねる。
「ああ……エンジンが一個止まったようです。航行に支障はありません」 
「見てくる。手伝いを貸してくれ」 
彼は手すきの機関士一人を連れて甲板へと出ていった。

外は風の吹き荒れる漆黒の空間だった。
命綱のロープをフックにかけ、カイミェルは梯子を登る。
手伝いは下に待機しておいた。懐中電灯の明かりが闇の向こうに溶けて消える。
100プロペラ艦橋の3番エンジン……いちばん先の方だ。
風が強い。彼は何とか梯子を掴み一歩一歩目標へ近づく。

懐中電灯を先に向ける。3番エンジン……プロペラが止まっている。
カイミェルな異常に気付いた。ボロ切れのようなものが絡まっているのだ。
蒸気のようなものが激しく噴き出している。
彼は自分の想像を恐れた。
この物体は……彼の知識が正しければ、クラウドシルフだ。

彼はさらに近付く。恐怖は確信によって裏付けされた。
か細い女性のような身体だろうか、
プロペラに絡まりめちゃくちゃになっている。
だが、恐ろしいことに、その信じられない生命力によって生きているのだ。
傷口から蒸気のような魔力の血液が圧力鍋の弁からでるように噴出している。

ボロ切れのようなものはシルフの羽衣と呼ばれる身体の一部だ。
めちゃくちゃに絡まり、千切れ、無残な姿をさらしている。
クラウドシルフの頭がこちらを向き、悲しそうな目を向けた。
まずい。かなりまずい状況だ。
この傷ついたクラウドシルフは仲間を呼ぶだろう。

短距離話術機を取り出し、下で待つ手伝いに連絡する。
「クラウドシルフだ! プロペラに絡まってる!」 
「す、すぐ機関室に連絡します!」 
「頼む! 僕は何とか頑張ってみる」 
通信を打ち切り、カイミェルはさらに接近する。

瀕死のクラウドシルフは、歌声のような声を漏らして苦しそうにしている。
カイミェルはエンジンに到達した。
すぐさまエンジンを完全に停止させ、クラウドシルフを助けようとする。
しかし、彼の手袋が羽衣に触れた瞬間……手袋がずたずたに裂ける!
「ぐぁっ!」 

クラウドシルフは歌声のトーンを上げ、彼を威嚇する。
カイミェルは、なだめるように優しい声をかけた。
『大丈夫、助ける。安心』 
上位シルフ語は飛行船乗りの必須技能だ。
拙い文法ながらも、必死に語りかける。

とりあえず彼女の身体に触れないように、プロペラを逆回転させる。
蒸気のような血液がそのたび噴出し、カイミェルの皮膚や服を切り裂く。
プロペラが軋むごとに、クラウドシルフは苦しい声を上げた。
『大丈夫、もうすぐ。自由になれる』
そのとき乱流が激しくなり、艦橋が激しく揺れた!

「うわっ!」 
カイミェルは揺れた衝撃で命綱で宙ぶらりんになってしまった。
話術機が落ちて雲間の闇に消える。
「しまった…」 
なんとか近くの手すりに掴まろうとする。

そのころ、機関室ではエンジン爆破の手続きが進められていた。
内圧を高めて爆破しクラウドシルフごと捨てようというのだ。
エンジンは無数にあるためひとつなくなっても支障は無い。
機関士がカイミェルの話術機になんども連絡を入れる。
だが、応答は無い。

「仕方ない。恐らくクラウドシルフに……爆破しよう」 
「そんな――!」 
戸口に誰か立っていた。デキリィだ。
「わたし、助けに行きます!」 
「冗談はよせ! 爆破するんだぞ!」 

駆け出すデキリィ。時間は無い。
巻き込まれる前に爆破するしかない。
機関長は103エンジンの安全装置を切り、爆破スイッチを押した。
デキリィがデッキに出たと同時に、爆発音が上空で聞こえた。
彼女は、力なく崩れ落ちた。

その一刻前、ようやくプロペラが逆に回りだし、
間一髪クラウドシルフは脱出に成功する。
傷ついた身体をひらひらさせながら、離脱していく。
「……一見落着か」 
カイミェルは手を伸ばす、手を伸ばす……そのとき!

エンジンの爆発!
カイミェルは足場から落とされたことで距離を保ち被害は免れた……
だが、命綱が……切れた!
空へと投げだされるカイミェル。
「う、うわっ」 

このまま落下していくかに思えた。
彼自身もそう思っていた。
しかし、落下は止まった! 
彼を抱きかかえるクラウドシルフ……
先ほどの傷ついた個体だ!

触れるもの全てを切り裂くシルフの羽衣も、
いまは羽毛のように優しかった。
如何なるきまぐれであろうか、クラウドシルフがひとを助けたのだ!
飛行船に接近し、デッキにカイミェルを放り投げる。
「いてっ」 彼女なりの照れ隠しだろうか? 

デキリィが駆けよる。
クラウドシルフはこちらを見もせず雲間に消えていった。
「あいつ……もしかして」 
「どうしたの?」 
「昔……今日みたいな日に、事件があった」 

カイミェルはその日のことを話はじめた。
病気になって船内に紛れ込んだクラウドシルフの雛。
めちゃくちゃになる船内、大捕り物のはじまり。
捕まえて治療した数日間のこと。
大空に放した夜明けのこと。

偶然か、あるいは気紛れか。
真実はわからなかったが、
飛行船乗りはクラウドシルフと互いの距離を保ちながら、
それでも時には助け合い過ごしてきたのだ。

今日も飛行船は雲間を飛び交っていく。








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