――扉の向こうに

そんなに長くない不思議の世界の冒険譚






1


夢の中でいつも見る風景。
夢で自分の部屋を訪れると、必ず気付く違和感がある。
何もないはずの壁に……扉があるのだ。
木でできた、何年も開けていないような、埃被った……
扉が。

自分の部屋は普通の部屋だ。
一般的な男子に比べ、整理整頓ができているくらいか。
壁には、小学校の頃描いた絵が飾ってある。
いまさら外すつもりも無い。
記念に作った小物は戸棚の奥にしまってある。

衣装箪笥、本棚、机。壊れた地球儀。
地球儀は間違って落としたときにへこんでしまった。
実家には何年も帰っていないが、
ざっとこんな風には思い出せる。
しかし、夢で扉がある壁……その壁だけが思い出せなかった。

扉が無いことだけはわかる。
だが、扉の代わりに何があったかは全く思い出せなかった。
夢でこの扉を見るたび、朝起きてそのことを考える。
今日もアパートの一室で布団から起き上がり、
そのことを考えていたのだ。

起き上がり、洗面所に向かう。
いつものように歯磨きをし、髭を剃って、顔を洗う。
そうだ、今度の休みに、実家に帰ろう。
なんとなくそう思った。
手土産のお菓子でも買って帰れば両親は喜ぶだろう。

これはちょっとした冒険だった。
記憶の旅の冒険。
忘れていたものを取り戻す旅。
部屋はあのままだろうか。
それとも物置にでもなっているのだろうか。

計画の日はあっというまにやってきた。
電車に乗り、実家を目指す。
話題の店の焼き菓子詰め合わせを鞄に入れて。
朝の電車は通勤時間を外れていたのですいていた。
そもそも郊外行きなので混むわけでもない。

服は面倒だったのでシャツとスーツのズボンという
いつもの格好だった。
ネクタイをするほどではなかったが、
いつのまにかしみついた服装だ。
窓の外は次第に高い建物が少なくなり、緑が増えてくる。

電車は何度も停車しながら、真っ直ぐ進んでいった。
彼は、部屋のことを考えていた。
あの壁には何があったのだろうか。
大切なものがあった気がする。
閉じられた扉を開くように、記憶をひも解いていく。

何か絵がかかっていたような気がする。
そんなに大きくないはずだ。
何が書かれているかは思い出せなかった。
はやくそれを確かめたい。
だが、電車は気持ちでは速く進まないのだ。

電車が止まるたび、もどかしい気持ちが高まった。
もうすぐ正午だったが、腹が減ってることさえ気持ちの外だった。
これほどまでに電車が遅いと思ったことは無かった。
待ちに待った最寄り駅への扉が開くと、
彼は自然と駆けだしていた。


2


家について両親と少し会話した後、
彼は目的の自分の部屋へと向かった。
両親によればそのままにしてあるらしい。
ドアノブを掴む。
少し力を込め、ゆっくりと開く。

自分の部屋だ。懐かしい匂い。
埃っぽいような湿った空気。
そして、例の壁……そこにあったのは、扉だった。
眼を疑った。いや、扉ではない。扉の絵だ。
いつ描いたものだろう? わからないが、自分の絵だ。

扉の絵には夢で見たままの木の扉があり、
傍らには少女が佇んでいる。
その少女が微笑みながら、絵の中の扉の前に立つ。
開けるつもりなのだ、その扉を。
彼は、その少女にどこかで会った気がした。

扉の向こうは教室だった。彼は教室に入る。
自分の席は通路側の水槽の隣。
メダカが涼しそうに泳いでいる。
自分の席に座っている者がいた……
さっきの少女だ。

ああ……ずっと忘れていた。
彼女は子供の頃、僕が恋した……。
少女はむすっとした顔で、こちらを睨んでいる。
僕は照れ臭そうに、何も言えないでいた。
少女は少し怒ったような声で言った。

「やくそく……覚えてるの?」 
そうだった……卒業前に彼女とした約束……
彼女の似顔絵を”かわいく”描いてあげること。
いろいろなものが一瞬で思い出された。
結局渡せないまま卒業したのだ。

「待ってるからね、ずっと……」 
気がつくと、彼は部屋に戻っていた。
絵が例の壁にかかっている。
それは扉の絵ではなく、少女の似顔絵だった。
絵はできていたのに、渡せないままだったのだ。

もういちど、彼女を描いてみようと思った。
彼女はもう遠くの街に引っ越して会えないだろう。
けれども、彼の思い出の少女はこの部屋でずっと待っていたのだ。
彼が記憶の扉を開けてくれるのを待ちながら……。
いまでは、彼女を完全に描くことができる。

彼は、少女を描き始めた。
出来上がった頃には、もう休暇の最終日であった。
新しい絵は、昔より随分可愛く描けたようだった。
扉を背に座りこむ少女の姿。
思い出は思い出のまま、再び扉は閉じられるだろう。

けれどもこの部屋に帰ってきたときには……
いつでも思い出の扉を開ければ、
彼女に会うことができるのだ。
忙しい日々の中で扉には埃がつもり、少女は眠りにつく。
だが、扉の鍵はいつでも開いているのだ








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