「エコー」
そんなに長くない不思議の世界の冒険譚




クィッチはダンジョンにいた。
彼はごく普通の冒険者だ。右手には手斧、左手には盾。
革鎧を身につけている。頭には鉄兜。
このダンジョンはもうほとんどのリソースを失っていた。
ほとんど何も落ちていない。敵もいない。

それでもまだ最後の魔力の残滓を貪るように、
寄生している蟲などがたまにいた。
このダンジョンは坑道のような木材で補強された地下道だ。
壁面に、たまに巨大なダンゴムシのような蟲がいて魔力を吸っている。
それを手斧で叩き割り、素材を集める

ここは非常に安全だ。
魔力の濃いダンジョンは競争も激しいが、
こういう廃棄寸前のダンジョンは安全で楽だ。
クィッチは暇になって小銭稼ぎにやってきたのだ。
無抵抗の蟲を斧で叩き割る簡単な仕事。

晶虫と呼ばれるこのダンゴムシのような蟲は、
比較的無害な生き物だ。
地球のアブラムシに生態が似ている。
多くの晶虫はダンジョンに寄生し、
こうして壁面から魔力を吸っている

クィッチの背中には晶虫の殻が高く積まれている。
もう10匹は狩っただろうか? 
大した収入にはならないが、手斧を素振りするよりは金になる。
荷物が重くなってきたのでそろそろ彼は帰ることにした。
そのとき、かすかに声が聞こえた

「どうしてたすけてくれなかったの……?」 
クィッチは振り返る。誰もいないダンジョンだ。
”気のせいか……” 
しかし、気になったので辺りを探索することにした。
革靴の音が静かなダンジョンに響く

ダンジョンは複雑に分岐し、時々小部屋がある。
特に何も見当たらず、やはり気のせいかと帰ることにする。
しかし、そのとき、
「苦しい……苦しいよ……」 
また声が聞こえたのだ。

今度はさっきよりかなり近い。
いまいる小部屋……その扉の向こうから聞こえた。
少し考えるが、意を決して扉を開ける。
扉の向こうは、長い一本道だった。
注意を払いながら、一歩ずつ進む。

革靴の音だけが響く。
「誰か……誰か……」 
今度の声ははっきりと、道の向こうから聞こえた。
「誰かいるのか?」 
声をかけてみる。だが、返事は無い。
さらに道を進むクィッチ

道は行き止まりになっていた。
行き止まりには、白骨死体が転がっていた。
”やれやれ、亡霊の声を聞いてしまったか?” 
クィッチは神を信仰していなかったが、
この白骨を弔ってやることにした

「天の流れ、地の脈の中で、彼の魂が救われんことを」 
無信仰でも、神にコンタクトすることはできる。
恩恵は無いに等しいが、死者の魂は救われるだろう。
白骨は燐光に包まれ、消えていった。
「無事浄化してくれたかな」

突然、背中の殻がガタガタと動きだす! 
「たすけにきてくれたんだね……!」 
殻はドロドロに溶け、変異していく! 
紫の殻はどんどん青白く変色し、人型を形成していく。
クィッチは振り落とそうとするが、細い腕が彼の首に絡む

殻はもはや完全にひとの……少女の姿となった。
背後から力強くクィッチを抱きしめて放さない。
「うれしい……もう、置いてかないでね……」 
クィッチは恐る恐る背後を振り返る。
金髪の少女の眼は、深い暗黒に満たされていた

余りにも強く抱きしめて放してくれないので、
クィッチはそのまま帰ることにした。
亡霊相手に体力勝負は無茶な話だ。
気分が変わって浄化してくれるのを待つ方がいい。
とりあえず世間話でも振る

「なぁ、お嬢さん。名前は?」 
「イーシ……わたし、はやく帰りたい」 
イーシ……聞いたことがある。街の富豪の娘だ。
数年前彼女の両親が急死し、都合のいいようにイーシが行方不明に。
遺産は親戚で山分けにされた……。よくあるドロドロした話。

「ああ、帰れるんだよ。お前は自由だ」 
「ウフフ……」 
この霊が暴れようが知ったことじゃない。殺した奴が悪い。
とりあえず解放してくれればいいが……。
ダンジョンの外はもうすぐだ。

扉を開けると、朝の光が差し込んできた。
もう朝になっていたらしい。ダンジョンの外は澄んだ綺麗な空気だ。
「帰ってきた……帰ってきたんだ……」 
イーシの身体が半透明になって薄れていく。
肩の重量がどんどん軽くなっていく……

そして彼女は完全に消えた。
浄化されたのだろうか? 
日の光を浴びただけで浄化されるのもよくある話だ。
クィッチは深呼吸をして、とりあえず安堵する。
とりあえず家に帰ることにした

それから数カ月がたった。
富豪の親戚たちは相変わらず元気だし、
特に変わったことも起きなかった。
例のダンジョンは完全に生産能力を失い、
街の施設として再利用することになった

ただ、クィッチが家に帰ると……
どこからともなく、
「おかえりなさい」 
という声が聞こえるのだ。
どうやら彼女はまだ”いる”らしい

だが、その声はどこか嬉しそうだった。
最近は、クィッチも
「ただいま」と声をかけている。
この奇妙な共同生活はしばらく続いた。
彼女は、新しい居場所を見つけたようだった

そして何十年も過ぎ、クィッチは家庭を持ち、
声もいつのまにか聞こえなくなった。
だが、いつまでもその声は
忘れることなく記憶に残り続けた。
いまでも、”おかえり”の声が聞こえる気がするのだ








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