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――銀貨の旅
そんなに長くない不思議の世界の冒険譚






1


エレイは朝ごはんの準備をしていた。
大きなテーブルに白いテーブルクロス。
1人分の皿のセットとナイフ、フォーク。
小さな食堂に次々と食器や調味料が用意されていく。
ここは、エレイ……彼の経営する小さな宿である。

エレイは食堂の中心に据えてあるストーブに薪と着火剤を入れた。
そしてマッチの火をつけてほおり込む。
赤錆のストーブはたちまちその内部に燃え盛る火を灯し、
じんわりとした熱を放ちはじめる。
エレイは厨房に戻ると小鍋をミトンで掴んで持ってきた。

ストーブの上に小鍋を置き、中のソースを加熱する。
すでに厨房で煮てあるソースだが、
ストーブでさらに過熱されお腹のすく香りの湯気を昇らせる。
真っ赤なソースは辛そうに見えるがそんなことはなく、
赤ワインベースでたくさんの赤野菜のみじん切りをよく煮込んである。

ひき肉もたっぷり入っており、濃厚な味付けがなされている。
スープはどろどろしており、
これをパンで挟んで食べるのがこの宿、新芽亭の朝食なのだ。
時計を見る。客に伝えておいた朝食の時間はもうすぐだ。
エレイは胡椒と香草の粉末でできたパウダーをソースに入れた。

しかし、一向に起きてくる気配は無い。
「起こしてきましょうか」 
彼は階段を上り客室へ向かう。
2階は朝日が窓から差し込み、温かいセピア色になっていた。
日の光で明るくなった201号室のドアをノックする。

「もしもし、朝食の時間ですよ。」 
しかし返事は無い。もう一度ノックをする。
そのとき、部屋の中から声が返ってきた。
「ちょっと待って、いまいいところなの」 
「ソースが煮詰まって香りが飛んでしまいますよ」 

「本当にすごいんだから。あなたもこっちきて見てみなさいよ」 
彼女は何を言っているのだろうか? 
旅の錬金術師だと聞いたが、不思議な女性だった。
部屋に入ってみることにする。
ドアを開けると、そこは大きな劇場だった。

エレイは驚いて振り返る。しかしここは劇場の客席だ。
隣に宿泊客の錬金術師が座っていた。
「立っていては迷惑ですよ」 
オペラグラスで舞台を眺めながら、錬金術師は言った。
エレイはとりあえず客席に座る。

「この劇は……」 
錬金術師……たしか、モア・レクサルと言ったが……
彼女は知らんぷりして劇に見入っている。
エレイは劇に視線を戻す。
真っ赤な幕は大きく開かれ、暗い舞台に蝋燭の火が灯っている


2


蝋燭はガタついた木の机の上に立っていた。
そして机に向かうのは手紙を書く娘。
水色の長い髪、粗末な麻のチュニック。
カーキ色の作業ズボンの端はボロボロに擦り切れている。
手紙を書く娘はどこか嬉しそうだった。

ああ、これは恋文なんだな……
エレイはいつの間にか劇に見入っていた。
不思議なことに娘がただ手紙を書いているだけなのに、
彼女の儚い恋や燃えるような情熱、あこがれ、
そういうものが溢れるほど伝わってくるのだ。

エレイはいつの間にか忘れていた恋を思い出した。
そして、娘を応援していた。
彼は何度か恋をしたが、
全ては結ばれること無く終わっていった。
娘はいつのまにか手紙を書き終わり、封をしていた。

場面が転換する。
舞台道具は片付けられ街のセットが出現する。
切手を買う場面らしい。
だんだんと幕が下りていく。
切手を買ってコインを支払う所で幕は完全に下りた。

「銀貨は旅をしているのよ」 
錬金術師のモアはオペラグラスをしまうと、
大きく伸びをしながら言った。
「旅……」 
「そう、いまのは、何人か前の持ち主」 

「さあ、朝ごはんを食べなくちゃ!」 
モアは急いで劇場を駆けあがって出口へ消えていった。
周りの観客は空虚な闇に包まれて一歩も動こうとしない。
エレイは気味悪くなって急いで後を追った。
劇場から出ると、日が差し込む宿の廊下だった。

2階にはひとの気配は無かった。
食堂に降りてみると、モアがソースの鍋を覗きこんでいる。
「あ、これが例のソースね。楽しみ!」 
「え、ええ……」 
エレイはもう一度パウダーで味を調えた。

そしてそれをパンにはさみ、モアに取り分ける。
「簡単なものですが……どうぞ!」 
モアはそれをおいしそうにかぶりついた。
「ああっ、ソースがこぼれないよう注意してくださいね」 
「おっとっと」 

ソースはさみパンは不思議な味がした。
ワインの香りがほのかにする。肉のうまみが口に広がる。
様々な赤野菜の不思議なハーモニーが、
朝のさわやかさによく合った。
モアは目を丸くする。

「わぁ、これは本当に……旨いね」 
「ありがとうございます」 
食べ終わると、すぐに2階に戻り、道具類を引っ張り出してきた。
「さぁ、もう行かなくちゃ」 
「お忙しいのですね……! ではチェックアウトを」 

モアは財布を取り出すと、そこから貨幣をいくつか取りだした。
「お代はこれでよかったはず」 
「はい、ちょうどです」 
エレイはその銀貨の一枚に不思議な親しみを覚えた。
これはもしかして、あの娘の持っていた……

「旅をしているのですよ、銀貨は」 
そう言って、慌ただしく錬金術師は去っていった。
エレイは、いつまでもその銀貨を握り締めていた。
娘からもらった恋文のように、大切に、ずっと








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