「ポピー」
そんなに長くない不思議の世界の冒険譚




5年前のことだ。
ミジエンの街は大火に包まれ、街のほとんどが全焼した。
街は放棄され、混乱の中で人々はばらばらになってしまった。
ある少女が、姉と離れ離れになってしまった。
そして、5年が過ぎた。

少女は一人立ちし、行商隊の一員になった。
彼女の名は、アンエリ。
ミジエンの街から遠く離れて生きてきた。
姉の行方は知らない。大火で死んでしまったのかもしれない。
アンエリは街から街へと行き交い、交易品を売って暮らしていた。

ある交易の仕事、ある日の出来事。
取引先の北の街へ行くには、ミジエンの街跡でキャンプを張った方がいい。
アンエリは5年ぶりに故郷へと戻るチャンスができた。
ミジエン跡は復興できなかったものの、
行商人のキャンプ街として再利用されているのだ。

ミジエンでの思い出は、すべてあの大火の悲劇で上塗られている。
だが、懐かしさもかすかに残っていた。
アンエリは故郷へ帰るのを楽しみに出発した。
行商隊は3台の貨物馬車と1台の装甲馬車、
護衛の傭兵騎兵12騎で構成されていた。

余計な人員はすべて装甲馬車に乗っている。
貨物馬車には御者と荷物管理の最低限の人員が割り振られている。
アンエリは分厚い強化ガラスの向こうの風景を眺めていた。
灰土地域はその名の通り灰色の火山灰で覆われた不毛の土地だ。
時折奇妙な植物が生えているが、ほとんどが枯れて象牙色をしていた。

行商人のトップである商長が副長と何か喋っていたが、
彼女の耳には入らなかった。
ミジエン跡まではもうすぐだ。
アンエリは突然いなくなった姉のことを思い出した。
それは如何なる脳内の化学反応であったろうか。

大火の後は忙しい毎日過ぎて、
いなくなった姉のことなど考える余裕などなかった。
ミジエンが近いせいだろうか? 
アンエリの頬に一筋の涙がこぼれた。
彼女は窓の外を見ていたため、誰もそれに気付かなかった。

突然装甲馬車が止まった。
馬車を囲むように傭兵騎兵が円陣を組む。
恐らく……襲撃だ。
前にも野盗に襲撃されることはたびたびあった。
だが、傭兵に任せておけばいつも大丈夫だったのだ。

今回は12騎の傭兵がいる。並の盗賊団では負けないだろう。
装甲馬車も強力な火砲を備えている。
アンエリの上の階にいる銃手が遠くに照準を合わせるのが
金網の天井越しに見えた。
アンエリは心配そうに身をかがめた。

次の瞬間、装甲馬車の火砲が火を噴いた! 
いくつかの魔法音。装甲馬車が弾丸を弾き振動する。
アンエリは耳をふさぎ、丸くなった。
盗賊団と隊商の戦いはいたちごっこだった。
広い原野には治安と言う言葉は存在しない。

ふと、アンエリは誰かの視線を感じた。
眼を開けて、辺りを見回す。
”久しぶりだね……” 
声が聞こえた! ……気がした。
彼女は装甲馬車の中の隅の影を見つめた。

そこから視線を感じる……次第に意識は乖離し、
魂が隅の影に吸い寄せられるような気がした。
”護ってあげる……” 
声は彼女を包み込み、そして、いつのまにか――
彼女は、戦場にいた。

戦っている傭兵騎兵は8騎。4騎は傷つき装甲馬車に身を寄せていた。
アンエリは周りを見渡す。
小銃を持った盗賊が驚いてこちらを見ている。
傭兵騎兵も、こちらを凝視していた。
アンエリは何かに包まれたような感覚を感じていた。

傭兵団長は突然戦場に現れたこの黒い騎士を凝視していた。
視線が釘づけにされ、一寸たりとも動けなかった。
黒い蠢動する鎧には、いくつもの黄色い眼球が瞬きしている。
その視線を感じるだけで、
呼吸しかできない金縛り状態になるのだ。

眼球の黒い騎士は辺りを見渡すと、
動けない盗賊の首を一人ずつ刎ねていった。
あっという間に盗賊団は皆殺しになった。
傭兵団長はこの異形の騎士に、
伝承に伝わる神の使徒を思い出した。

アンエリは無感情に最後の盗賊の首を刎ねた。
”これは……” 
”わたしは力を手に入れたのよ、アンエリ” 
アンエリは思い出した。
その声が……かつての姉のものであると。

”姉さん、帰ろうよ……ミジエンはすぐそこだよ” 
”わたしはもう、帰れない。” 
意識がだんだん戦場から装甲馬車の中へ戻っていく。
”わたしは超常の存在と契ってしまった……” 
”そう、あの大火の中で……”

”帰ろうよ……ひとりは寂しいよ……” 
”わたしはもう人間ではなくなって……しまっ……た……” 
気がつけばアンエリは装甲馬車の中で丸くなっていた。
外がざわついている。さっきの出来事のせいだろう。
アンエリはいつのまにか泣いていたことに気付いた。

突然の介入に隊商は不安になったが、
なにはともあれミジエン跡を目指すことにした。
そこには自警団が組織されているし、装備を整えることもできる。
アンエリは涙をぬぐい再び窓の外を見つめた。
遠くにミジエン跡が見えてくる。

そのとき彼女は自分を迎えるたくさんの視線に気がついた。
それはゆらゆらと揺れる無数の眼球のようだった。
ミジエンは廃墟のほとんどを緑化され、
無数の眼のような丸いポピーの花で埋め尽くされていた。








もどる