――シルフの恩返し


 灰土地域にも冬がやってきた。霜が下りた荒野は白く輝き枯れ草に光を灯す。モスルートへ続く東北地方の巨大山脈のふもとは乾燥していて滅多に雪を降らせないが、山から下りる風は冷たく厳しい。山脈に付随する小さな山が幾重にも重なりU字型の谷間を形成していた。

 キキリは今日も山肌に生えているマダラシダを刈っていた。乾燥させれば交易品になる。背中にはシダが積まれ、日は高く昇り、霜が融け始める。朝の仕事は終わりだ。彼は軽快に山肌を下りていく。彼の村は谷のほうだ。すると、山肌の大きな岩にひとりのシルフが座っているのが見えた。

「シダをひとつくださいな」 
 そう言ってにこりと笑う。キキリは警戒した。シルフがひとに干渉するときは大抵ろくな案件じゃないか、明らかな敵意があるか、たちの悪い悪戯と決まっている。
「マダラシダなんてそこらじゅうに生えてるさ。これは商品なんだ」 

 キキリは彼女の座る岩を避けて通ろうとするが、彼女は足を組みなおしニヤリと笑ったのだった。白い肌に紫の長い髪、はっとするほどの美貌。キキリはつい立ち止まってしまった。
「わたし、怪我していて動けないの。シダをくれたらお礼をするよ」 

 よく見ればそのシルフは右足に青い傷跡が見える。キキリはシルフのことをよく知らないが、脆い彼らは乱流などでたやすく怪我をする生き物だと聞いたことがあった。マダラシダは薬品の原料になるくらいの薬効成分がある。

「しょうがない」 
 キキリは背中に手を伸ばし、シダをひとつ掴む。そしてシルフに手渡してやった。そのシルフはとびきりの笑顔を見せて、お礼を言った。キキリはそれを見ると、足早にその場を立ち去った。

 その晩、キキリはシダを軒先に干し終わったので薬の内職を始めた。ランプが灯る薄暗い一軒家。この村にはまだ電気が来ていない。タネや骨などをすりつぶし、いろいろな薬を作る。田舎には様々な素材があるし行商人に売ればそれなりの収入になった。静かな夜にすり鉢の音が響く。

 そのとき、戸がガタガタと鳴った。風だろうか。キキリは昼間のシルフを思い出して悪い予感がした。あの時はかわいそうだからとシダをあげたが、シルフのお礼なんてろくなものではない。戸にかんぬきをかけようと玄関に近づいた。しかし、彼がかんぬきに手を伸ばす直前突然扉が開く。


「こんばんはー。この扉、たてつけ悪いよ」 
 訪れてきたのは向こうに住んでる娘のレニキィだ。キキリはほっと胸をなでおろす。
「びっくりした。僕はてっきりシルフの悪戯かと思ったよ」 
 レニキィは不思議な顔をするが、すぐ本題を切り出す。

「気付いた? あの山の向こう……変なの」 
 二人は家の外に出て山を見上げる。そこには不思議な光景が広がっていた。ぴかぴかと紫に点滅する巨大なシダがその螺旋状の茎をゆっくりと山肌から伸ばしているのだ。シダは凄まじい勢いで成長し、夜空に葉を広げていく。

 キキリはあっけにとられて何も言えずぽかんと口を開けていた。
「あー、どんどん大きくなっていくー……キキリ、あなた何か思い当たるフシがあるんじゃない?」 
 こんなばかげた悪戯をするのはシルフか妖怪か何かに決まっている。しかし、あまりにもそのシダは大きすぎてどうすることもできない。

「今日の昼、シルフをひとり助けたんだけど……何のつもりやら」 
 シダはさらに大きく葉を広げ夜空の星を覆いつくしてしまった。紫の光点がちらちらと点滅し、異境の不思議な夜空を錯覚させた。しかし、その影は次第に薄れ、やがて消えていった。

 キキリは、その光点のひとつが消えぬまま落ちてくるのに気付いた。落下地点は彼のすぐ上だ。彼は手を伸ばし、その光点を受け止めようとする。光は次第に弱まるが、その小さな影もまたよく見えるようになっていく。レニキィがランプを掲げた。

 その物体はキキリの手に吸い込まれるように受け止められた。
「紫水晶だ……!」 
 これがシルフのお礼と言うことなのか。キキリは大喜びした。大変高価な宝石だ。月の光とレニキィのランプに照らされて紫水晶はきらきらと紫に光る。

 しかし次の瞬間、紫水晶は音を立てて爆発した。レニキィは何が起こったかわからず呆然と煙に包まれたキキリを見るしかできなかった。煙が晴れた後には……ひとりのシルフを抱いたまま呆然としているキキリの姿が。
「じゃーん、わたしでしたー」

「え……水晶……」 
「そんな高価なのあげるわけないじゃん」 
 そう言ってキキリを抱き返すと、頬にキスをして彼女は消えた。キキリは少し頬を赤くして、空になった両腕で頭を抱えたのであった。


 シルフがひとに干渉するときは大抵ろくな案件じゃないか、明らかな敵意があるときか、たちの悪いいたずらと決まっているんだ。











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