――呪いのごちそう 激しく降った雨はようやく終わりを告げ雲の隙間から晴れ間が覗いた。風は春の暖かさを帯び雨のにおいを消し去っていく。ククルは傘を畳み空を見上げた。空はくすんだ雨雲が風で飛ばされ、透き通った青をどこまでも広げていく。 水たまりだらけのぬかるんだ地面を気を付けて進み、ククルは目的地を見通した。この大きな草原の道の向こう、小さな黒い森がある。そこに住む魔女に彼は用があった。彼の右腕に受けた呪い、それを解くため。 ククルの右腕はほとんど木のようになっていた。木化病である。この奇病は1週間前突然発症した。通常ならばすぐ治るこの病気はいつまでたっても治らず町の医者に奇病と診断された。そして、森の魔女を訪ねるに至ったのだ。 右手の握力は無くなり自由に動かせることができなくなっていた。魔女への手土産に背嚢には瓶詰の妖精が入っている。ククルは不安ながらも一刻も早くこの病気を治したかったため、危険な魔女に手紙を出した。手紙はすぐ返ってきた。 黒い森はもうすぐだ。森の木は奇妙にねじれ、黒い光沢のない葉がぽつぽつとついている。この異様な森にククルの不安は増した。噂では魔女は迷い込んだ人を食うらしい。今回はちゃんと手紙を出したので大丈夫だとは思うが、やはり怖い。 ふと見ると、森の入口の地面に一匹のヒルコウモリがいる。猛禽にでも襲われたのか、怪我をしている。こういう蝙蝠は大抵魔女の使い魔だ。ククルはそのヒルコウモリを魔女の元へ連れていくことにした。優しく抱きかかえ、森へと入っていく。 森は雨の滴でしっとりと濡れていた。森の道には石畳が敷かれ歩きやすい。ククルは石畳の上を歩きながら、この森にはあまり生命の気配がしないことに気付いた。時折ヒルコウモリが彼の気配を察し飛び立つが、虫も他の生き物も感じられない。 魔女の家はすぐそこにあった。小さな森の中央に少し広場があり、黒い色の掘っ立て小屋が立っている。木材は漆が塗られたように暗く、レンガも暗い赤褐色だ。窓の奥は闇に覆われ、中は窺い知れない。ククルはドアをノックしようとする。 突然右腕が動き始めた! ククルは必死に右腕を抑えようとするが、右腕は蛇のようにうねうねと動き、木化した部分からは枝葉が伸びつつある。 「あーっ、来たんだ!」 魔女の家から声がした。 突然ドアが開きククルは家の中へ引っ張り込まれた。引っ張ったのは黒い魔女だ。黒いとんがり帽子をかぶった黒髪の娘だ。 「もう、おそーい! 芽吹いちゃったじゃない!」 彼は何が何やらわからなかった。 「はぁ、食材……」 ククルは魔女に家の中でいきさつを聞いていた。テーブルについて右腕を処置してもらっている。湿布が何枚も貼られ動きは収まっている。怪我をしたヒルコウモリはテーブルの上で薬膳おかゆを食べている。 「占いで知っていたのよ、あなたに生えるって」 どうやらこの奇病はおいしい食材になるというのだ。魔女は鼻歌交じりに生えてきた枝葉を剪定する。 「この葉っぱがいいのですよ」 そう言って葉を丁寧に摘み取る。 暖炉ではすでに大きな鍋でスープが煮立っていた。あの葉っぱを隠し味に使うというのだ。 「このスープを作るため、何年も用意したのよ」 ククルはちょっと不思議に思った。 「何年も前から僕に奇病ができるってわかってたんですか?」 「え!? ええ、占い、占いね……!」 ククルは怪訝な顔で魔女を見る。魔女はどこか言葉がぎこちない。 その時テーブルでおかゆを食べていたヒルコウモリが話しかけてきた。 「ウソつくのヨクナイ。コノひとイイヒト。コレ、ゴショジンの呪いデショ」 ククルは何も言わず魔女を見る。 じっと魔女を見る。魔女は汗を流して目をそらす。ククルはじっと魔女を見る。 「ご、ごめんなさい! お礼にスープご馳走するから!」 あわてて魔女はスープに葉っぱをいれかき回す。 「きれいに治してくれるなら水に流すけど……」 ヒルコウモリはキャッキャッと笑う。しかし、スープはとてもおいしそうだった。ふわっとした香りがする。 「もう治ってると思うよ」 魔女は振り向いて言う。ククルは驚いて湿布の貼られた右腕をみると、確かに元に戻っているのだ。魔女は人間の身体など思いのままなのだ。 そして目の前にスープが運ばれてきた。皿に二人分が分けられ、机に向かい合って座る。 「あなたとスープを飲む予定も最初からあったんだよ」 そう言ってにっこりと笑う。 二人はそこでおいしいスープを飲んで笑いあった。町の話題、森での生活、いろいろ語り合った。ククルは、もしかしたらこの魔女は寂しがり屋でスープを口実に話したかったのではと思った。 その後も何度か奇病にかかっては間違って呪ってしまったと魔女に謝られ、スープをご馳走になって笑いあった。この奇妙な会食はしばらく続いた。 ――ごちそうになるのも、悪くはない。 |