――旅立ちの日


 シルヘラは師の許しを得て山を下りることになった。彼女は魔法使いの一派で傀儡術師という流派に属する。シルヘラは一度後ろを振り返る。そこには硬く閉ざされた樫の門。これから彼女は一人で旅をするのだ。

 背中には大きな操り人形を背負っている。昔はちゃんと手で動かせる人形を使っていたそうだが、時代とともに形式化され巨大になってしまった。ぼろきれで出来た巨大な人形。彼女の修行にはいつもこの人形があった。

 昔の名残で小さなアクセサリーの人形がいくつか腰にぶら下がっている。これも大切な道具だ。彼女たち傀儡術師はこの人形を術に使用する。

 シルヘラは振り返るのをやめ、山道を下り始めた。石で作られた急な階段をずっと下りていく。過去何人もの修行者がこの道を下りていった。帰らぬものも多い旅だ。死んだか……新たな人生を見つけたのかもしれない。

 シルヘラにはこの旅の目的があった。かつて自分の母がそうしたように……。俗に魔女と呼ばれる若い娘の魔法修行者は訓練が進んだ頃、修行の地である山を下りて、あるものを見つけて帰ってくるのだ。

 それは――自分の人生をともに歩む伴侶を見つける旅である。


――


 シルヘラは山を下り列車に乗って遠くを目指した。当てのない旅である。計画も日程も何もなかった。彼女は目に映るすべての情景が輝いて見えた。未知の世界への旅。そしてまだ見ぬ伴侶への憧れ。

 シルヘラは狭い客室に居た。窓の外をずっと眺めている。隣には大きな人形。同室の者が居るはずだが、まだ列車には乗っていないようだった。灰土地域の無機質な火山灰の平野も、彼女には七色に見えた。

 車体がきしみ列車は駅に停車する。シルヘラはずっと窓の外を見ていた。小さな街だ。遠くに農場も見える、のどかな風景。と、その時誰かが客室に入ってくるのがわかった。彼女は振り向いてあいさつしようとする。

「こんにちは……」 
「あ、こんにちは」 
 シルヘラは大きく戸惑った。入ってきたのは大きな鞄を持った青年だったのだ。若い男性を見るのも話すのも初めてだった。すぐさま窓の外に視線を戻す。

 胸がどきどきする。後ろに視線を戻したいような、見てはいけないような……不思議な葛藤。
「この人形……かわいいですね」 
 青年は思いもかけず話しかけてきた。

「あ、これは子どもの頃から大切にしているんです……ありがとうございます」   意を決して振り返り、話す。それから二人はいろいろ語り合った。シルヘラは魔女であることを隠していたが、田舎から来たということで話した。

 シルヘラは目の前に火花が散るようなときめきを覚えた。このままずっと話していたい……そう思って。列車は進んでいく。そしていつしか終点が近づいてきた。

「もう終点だね、お嬢さんはこれからどこに行くんだい?」 
「あの、私は……」 
 できることならずっといつまでもついていきたかった。しかし、彼が迷惑しないだろうか……そう思うと何も言えないのだった。

「僕は北へ行くんだ」 
「私は……南へ」 
 苦しかったが、まだ旅も始まったばかりだ。シルヘラは名残惜しさを振り切ろうと先に客室を離れ列車を降りた。

 青年は少しさびしそうにしていた。しかし客室で、あることに気付いた――。


――


 終点の町からさらに南、小さな村がそこにあった。乗合馬車に乗ってシルヘラはこの村にたどり着いた。旅はいつまで続くんだろう。ひょっとしたら私の旅はさっきの駅で終わったのではないか……そんな後悔が押し寄せてくる。

 すると、早馬が一匹駆けてきた。背中には一人の騎手と……駅であった青年が!

「え……北に行くのでは?」 
「忘れ物だよ」 
 馬から降りた青年は人形を……シルヘラの腰にぶら下がっていた人形の一つを手渡してきた。

「北に行くのはもういいんだ、本当はどこでもよかったんだ」 
 彼は意を決して言う。

「僕は本当は魔法使いなんだ。修業が終わって、そして――」 
 シルヘラはその続きが分かった。彼女は青年の口を押えて言う。
「私の旅も、あなたの旅も、終わりですね。ここが終点だったのですね」 

 それから二人は旅に出た。二人の秘密を全部話して、どこまでも一緒に旅を続けたのだった。










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