――涙の虹


 昨日虹を見た記憶がある。昨日はとても悲しいことがあった。思いだすと今でも涙がこみ上げてくる。昨日はさんざん泣いた。そして泣きはらした目で空を見上げた。その時、雨上がりの空に輝く虹が見えたのだ。悔しかった、辛かった、そんな気持ちを虹は和らげてくれた。

 辛いことを身にすりつけて傷つくより、こうして美しい物をずっと眺めているだけで、それだけで生きられたらどんなに幸せだろうか。身を苛む猛毒のような鈍痛も、心臓が引き裂かれるような激痛もない世界に……。残念ながらその虹はあっという間に消えてしまったけれども。

 夜を越してもその傷は消えなかった。今日は曇りだ。朝の光がぼんやりとカーテン越しにさしこむ。気晴らしに散歩に行くことにした。とにかくもう忘れよう、そう思って。服を着替え近くの堤防へと歩き出す。曇り空はまるで心を現したようだ。いまにも雨が降り出しそうだった。

 堤防の上をしばらく上流に向かって歩いていた。ふと悲しさがこみあげてきて、思わず涙をぬぐう。すると、どこからか声が聞こえてきた。
「お兄さん、泣かないで」
 辺りには誰もいない。何故か、声は足元から聞こえた気がした。

「お兄さん、頼みがあるんだよ」
 視線を下に下ろすと、なんと小石が語りかけているのだ。
「昨日虹を見ただろう? おいら、そこから墜ちちゃったんだよ」
 何となくそれを信じられる気がした。虹を昇って天に行くところだったのだろうか。

 その石を拾い上げて、しばらく話をした。月に行く途中だったということ、風が吹いて、虹が消えてしまったということ。今が戻れる期日までの最後のチャンスらしい。驚くことに、その石は自分に虹を作って空へと送ってほしいというのだ。

「涙の雨でも虹は作れるんだよ。おいらくらいなら渡るのには十分な虹がね」
 その小石の言う通りやってみることにした。悲しい思いを込めて、天に向かって思いっきりその小石を投げる。すると、その小石は流星となって西の空へと消えていったのだった。

 その軌跡は七色に輝き、まるで虹のようだった。
 
――涙も役に立つものなのかな










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