「エズマメルアの領域」
そんなに長くない不思議の世界の冒険譚




六魔竜と呼ばれるドラゴンたちがいる。
七大魔竜と数える説もある。どちらでもいいことだが。
彼らは――余りにも強すぎて、ドラゴンの共同体の支配から逃れることができるのだ。
ドラゴンの皇帝は現在6匹いるが、
六魔竜(七大魔竜)は皇帝たちが国を上げてかかっても討伐することが――不可能なほど強いのだ。

彼らが皇帝の国へ害を及ぼさないように、定期的に契約書を更新する必要があった。
それは皇帝側が不利な条件ではあったが、神々の元誓約され、
一定の呪いのペナルティと主にある程度の拘束力を持つものであった。
魔竜側は害を及ぼさない範囲で好き勝手生きられるが、気分次第でこれを拒否し、
皇帝の連合帝国に何度も眠れない夜を過ごさせたこともあった。

今年もまた5年ぶりの契約の更新の時期がやってきた。
竜杖吏員のメキアは街外れで契約した護衛隊の一団を待っていた。
彼女は偉そうな役職にはついているが、この契約のために働くほぼ生贄である。
気まぐれで殺されることも何回かに一度はある……この日のために延々交渉術を学んできたのだ。
ピンクの、しっぽ(高級職のみ出すことを認められている)をゆらゆら揺らし暇そうにしている。

「はぁ、どきどきしてきました……」 
彼女の最初で最後の任務である。生きて帰れば後輩に任務を引き継ぎ引退できる。
メキアは左手の腕時計を見る。護衛たちは予定より10分以上遅れている。
「このままじゃ約束の時間に遅れてしまいます……困ったなぁ」 
すると、街の方から武装した一団が駆けつけてきた。契約していた護衛隊だ。

「遅れてすまん!」 
フルフェイスのヘルメットをつけたリーダー格の男がわびた。
深紅のマントを身につけ隙間から板金鎧が覗く。
もうひとりが黙って頭を下げた。頭の上半分を覆うサーリットを被っている。
硬くなめした革鎧を身に付けた軽装の剣士である。

3人目は半裸の女魔法使いだった。
下着のような戦闘魔法服を身につけ、紫の薄いコートを肩に羽織っている。
この3人が今回の護衛だ。いずれもエシエドール人だが、もちろん魔竜に敵うわけもない。
メキアは高価な献上品を持っているので道中野盗に襲われる危険性があるのだ。
もちろん交渉はメキアが単身で行う。その行き帰りを彼らが護衛する。

「もう! さぁ、はやく案内人さんのとこに行きましょう!」 
メキアは3人を引き連れ荒野を急ぐ。目指すは街外れに住む隠者だ。
これから会う魔竜の一匹、エズマメルアは幻影水竜という二つ名を持つ。
その姿は変幻自在、姿はおろか住処さえ見つけることは不可能だ。
この先に住む隠者はエズマメルアに飼われ彼女に取り次ぐ唯一の窓口になっている。

4人は木道が渡された湿原を進む。10分くらいで隠者の家で、その先はわからない。
よく晴れた暑い日だった。地平線が陽炎で揺らぐ。
メキアは日傘をさしながら急ぎ足で進んだ。時間にはかろうじて間にあう。
「交渉の前とはいえ、あなた方失礼のないようにね!」 
メキアは白いフリルのついたピンクのちょうちん型スカートをひらひらさせて急ぎ歩く。

目的の家は湿原のど真ん中、少し高くなっている台地にぽつんと立っていた。
藁ぶきで床が高く6本の柱で支えられている。壁は木の板だ。
玄関に繋がる階段の下に紐がぶら下がっている。
呼び鈴だろうか? メキアは3人の護衛にここで待つよう言って紐を引っ張った。
上の建物から硝子のような鈴の音がシャラシャラと聞こえた。

しばらく静寂が続いた。メキアはもう一度鈴を鳴らそうと紐に手をかけた。その時である。
「はーい。はいはいはい」 
気だるそうな女性の声が返ってきた。少し待つと、ドアが開く。
そして玄関から群青色の長い髪の女性が姿を現した。ゆっくりと階段を下りてくる。
ボロ切れのような貧しい服を身につけてはいるが、肌は健康そうで、眼も爛々と光っている。

「あなたがメキアさんね。私はクレミア。よろしく」 
「よろしくお願いしますー」 
メキアは3人の護衛に家の前で待ってるよう言っておくと、
彼女と一緒にさらに向こうへ続いている木道を歩きはじめた。
クレミアはボロボロの木道を裸足でひょいひょい先導していく。

そのころ、護衛が彼女たちから離れたことを確かめ動き始めた者たちがいた。
30人ほどの団体である。幻影の魔法を使い彼らの乗る小舟たちを隠している。
小舟は湿原の上を浮遊していた。船頭に魔法使いを据えて準備は万端である。
彼らの目的は……メキアの持つ献上品である。彼女が高価な品を持っているとの情報を手に入れていたのだ。
そう……盗賊団である。

「……はやく襲おう。エズマメルアの領域に近づいているぞ」 
「護衛の冒険者は手練の者だ……もう少し距離が欲しい」 
隠者の家を大きく迂回しながら、幻影に隠された小舟たちはゆっくりとメキアとクレミアを取り囲む。
護衛の魔法使いが、その露出した繊細な肌に魔力の風を感じた……だが遅い!! 
小舟たちは幻影の魔法を継続しながら一気に距離を詰める! 

そのころクレミアとメキアは、木道の先にある机に辿りついていた。
机の上には、数枚の紙と、羽ペンと、インク壺と、ベルが置いてある。
クレミアはベルを手に取り、ゆっくりと振り返る。
「エズマメルアにコンタクトを取るわ。気紛れだから、来るのは時間かかるかもだけど」
そう言ってベルを鳴らす。透き通った音が湿原に響いた。

護衛の魔法使いが異変を感じ立ち上がった。
それを見て他の二人も立ち上がる。だがこの先に踏みこんでいいものか……。
3人は視線を交わす。そのとき、街に続く木道を渡って一人の女性が歩いてくるのに気付いた。
謎めいたその女性はゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
やがて3人に向かって口を開く――。

メキアはようやく接近する敵に気付いた。
すぐさま日傘を捨て背中から翼を生やしクレミアを抱きかかえ空へ逃げる!
次の瞬間眼下の机に小舟が数隻衝突し机が粉砕された。
「アーララ……」 
クレミアは落ち付いて言葉を漏らす。メキアは状況を察した。盗賊団だろう。

「あなたたち! ここはエズマメルア様の領域でございます! 命が惜しくはないのですか!」 
小舟は返事を返すことなく再び幻影の中に消えた。何隻いる……? メキアは感覚を尖らす。
竜杖吏員は最低限の魔法戦闘訓練を受けてはいるが、もちろん専門ではない。
隠者の家には3人の護衛がいる。彼らは戦闘専門の冒険者なので一方的にやられることはないだろう。
そちらに向かって飛ぼうとしたそのとき、風を切る音が響いた! 

メキアの太腿に激痛が走る……矢だ! 
敵の姿は見えず彼らは一方的に飛び道具で攻撃できるのだ。
急がなくては……翼を翻しランダムに曲がって飛行する。
飛ぶものを射落とすのは相当の腕が必要だが、矢はかなりの数が浴びせかけられた。
的が大きい……メキアの身体に2本、3本と矢が刺さっていく。

クレミアには一本たりとも刺さらないように……彼女は大事なエズマメルアの使者だ……
メキアはその思いで必死に彼女をかばった。クレミアはメキアをじっと見つめながらしっかりと抱きついている。
隠者の家まであと少し……護衛は何をしているのだろう、気付いていないのか……? 
しかし、そのとき致命的な一撃がメキアを襲った。
翼の付け根に深々と矢の一撃が……彼女は飛ぶことができなくなり真っ逆さまに湿原へ落ちていく。

「ごめんなさい……仕事、できませんでした……」 
せめて自分がクッションになろうと身体を下に回す。だが、クレミアは落ち付いて返した。
「いえ、あなたの仕事は十分に見せてもらいました」 
クレミアは手に持っていたベルを鳴らす。
チリーン、チリーン、チリーン。

突然世界が歪む。湿原はクレミアたちを中心に陥没していき、深い深い闇へと落ちていく。
幻影の魔法で隠されたはずの小舟が露わになり、次々と深淵へ落下していく。
「こ、これは……いったい」 
深淵の底に這いずる影……巨大な水竜。これこそ……まさに! クレミア……いや、『彼女』は叫んだ!
「ようこそ! わたしの領域へ!」 

深淵は隠者の家まで到達した。家の中で心配そうに外を見る護衛三人……と、先ほどの女性。
彼女が本当のクレミアだったのだ。彼女は約束の時間が迫っているにも関わらず用足しに出されていた。
あのときメキアたちを出迎えたのは……クレミアにそれを命じた……
「あなたがまさか……」 
「もちろん。わたしこそがエズマメルアそのひとだ」 

メキアは心臓が凍える思いがした。いま自分に抱きついているこの女性こそがエズマメルアなのだ。
隠者の家の長い土台を杖にし、巨大な竜体が置きあがる。
深淵を落下していくメキア達は、竜の眼前で静止した。闇へと落ちていく小舟や盗賊たちはそのまま闇へ消えた。
しばらく静かな時間が流れる。
エズマメルアはメキアに抱きついたまま言った。
「わたしは真面目なひとが好きよ、柔らかくて、いい匂いがすればなおのことね」 

メキアはどうすることもできず完全に硬直していた。10年も学んだ契約の手順はぜんぶ吹き飛んでいた。
エズマメルアはベルを鳴らす。すると……メキアは隠者の家の中、机に座っていた。傷はすべて癒えていた。
窓の外はいつもの湿原であった。エズマメルアは幻術を得意とする……それを思い出した。
ただ、服に開いた穴と血痕だけが、戦闘は嘘ではなかったことを示していた。
対面に座るのは……エズマメルアだ。目の前にはサインの書かれた契約書。

「おつかれさま」 
「えっ……? あ……」 
契約書を見る。メキアの用意した書類に間違いなかった。印章の魔力パターンも同じだ。
「あ、あ……献上品……」 
メキアは契約書をしまい服の中に隠したペンダントを出した。肌身離さず持っていたのだ。

「えーっと、あの、その……」 
「わぁ、翠玉石じゃない。白亜砂漠の? ありがとうねぇ」 
上機嫌なエズマメルアに献上品のペンダントを渡す。
「……ありがとうごいざいました!」 
やっとの思いでメキアは言葉を繰り出した。そのまま一礼しふらふらと外へ出る。

家の外には護衛たちがいた。街へ帰り、報酬を渡し、帰国の途についた。
その辺はもうよくは覚えていない。めちゃくちゃだったが、一仕事終えたのだ。
メキアの最初で最後の大仕事がこれで終わった。
彼女はいま竜杖院の魔竜交渉科にいた。
後輩に引き継ぐための報告書を書いている。

以前の報告書は全く当てにならなかった。毎回趣向を変えてくるのだ。
エズマメルアは相当にふざけた性格をしているが、それに惑わされず真面目に接すること。
その一文を添えてメキアは報告書を書きあげた。
エズマメルアとの遊戯はこの先ずっと続くだろう。いつまでも彼女の手のひらで踊らされながら。
その舞台こそが、エズマメルアの領域なのだ。







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