――缶蹴り職業師


 メリシエは道端を歩いているとき、不思議な体験をした。彼は日課の散歩の途中だった。田舎の道は閑散としていて、広い畑の真ん中をセラミックプレートで舗装された道が貫いている。ケーブルを渡す電柱は木製で雨風で劣化していた。そんな、何もない道にあいつは現れた。

 突然メリシエの頭に何か硬いものが落ちてきてぶつかった。衝撃で彼はふらつき、辺りを見回す。乾いた金属音が一瞬遅れて聞こえた。メリシエはしばらく何が起こったのか分からなかったが、一つの空き缶を見つけて合点がいった。この空き缶が空から落ちてきたのだ。

 しかし、辺りを見回してみても広い畑が広がるばかりだ。誰かが投げたのかと思ったが、隠れるような場所もない。不思議そうに缶を見つめて思案に耽っていると、ヒュウウウと何かが落ちてくる音が聞こえた。メリシエは空を見上げる。

 すると、何か豆粒のようなものが空に見えた。次第にそれは大きくなっていく。人だ! 人が降ってきたのだ! ひとりの男が空から降ってくる! メリシエは慌ててその場から離れた。その男は猛スピードで地面めがけて落ちてくる。

 しかし奇妙なことに、男の落下速度は次第に遅くなり、最後はまるで枯れ葉が地面に落ちるように優しく、その男は着地した。男はスーツにシルクハットの紳士然とした男だった。左手にステッキを持ち、顔にはいかにも紳士らしいカイゼル髭。

「何者なんです……?」

 メリシエは思わず声をかけた。紳士は帽子を取ると一礼し、言った。

「私は缶蹴り師。缶蹴りを生業とする者です。先程は私の蹴った缶がぶつかってしまい、大変な非礼を働いたことをお詫びします」

 そして紳士は、呆気にとられるメリシエを横目に、すたすたと空き缶の元へ歩いていった。そして、ゆっくり缶を蹴る。紳士然とした、優雅な動きだ。

 すると蹴られた缶は、猛スピードというわけでもなくゆったりとした動きで空に舞い上がった。放物線を描き、遥か空の彼方へ飛んでいく。あっというまに空き缶は見えなくなってしまった。そして紳士は再びメリシエに向かって一礼する。

「それでは、ごきげんよう」

 そう言って紳士は空中に向かって一歩を踏み出した。それはゆっくりと空を掴み、彼の身体を空に舞いあげた。彼はそのまま紳士然とした動きで、ゆっくり放物線を描き、空の彼方へ飛んでいってしまった。

 何もかもが不思議な出来事だった。メリシエはその長い人生の中で、再び缶蹴り師に出会うことはなかった。缶蹴り師が何を目的としていたのか、彼の生業がどんな意味を持つかはとうとう分からないままだった。

 ただ、彼は確かに紳士であった。










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