――猫の街


 灰土地域の東方に位置する辺境の街ネス市は、街の半分ほどが廃墟になりつつあった。人口の減少は世界各地で起こり、奇病や災害などが民を苦しめている。かつて東方の一大貿易拠点だったネス市は、その勇壮な建築物にその名残を残しつつもかつての勢いはない。

 灰色の墓標のような建築物が立ち並ぶ旧市街地には人影がなく、野生化した猫やネズミがうろつくばかりだ。この区域には怪しい魔法使いが住み着いていると噂され、誰も近寄ろうとしない。しかし、そこを通りかかる自転車に乗った女性が一人いた。

 赤い制服にお揃いの赤い帽子には企業のロゴが縫い付けられていた。ベルを鳴らし路上に横たわる猫たちをどかす。彼女――ニシキは紅茶店の配達バイト員だ。この旧市街地にいる客に茶葉の缶を配達に来たのだ。紅茶は日々大量に消費される生活必需品だ。配達依頼も多い。

 廃墟と化した街並みを自転車が通る。元は商店街だったのだろうか、アーケード街はシャッターで閉じられ、人気はない。色あせた絵の描かれた広告看板が放置され朽ちていた。赤く錆びた郵便ポストはもう誰も手紙を入れないし回収もされないだろう。ここを抜けると目的地の住宅街だ。

 すると、静かな街並みの中から奇妙な機械音が聞こえてきた。ゴウンゴウンと重機が動くような音、蒸気がシューッと吹き出す音。まるで工場だ。ニシキは不安になって一度自転車を止めた。魔法使いの家が近いのだろうか。魔法使いはよく一般市民を生贄にする。

 ニシキのような普通の市民が魔法使いに対抗するすべはなく、その行為も法律で守られている。しかし客は客であり、仕事は仕事だ。ニシキは勇気を出して再び自転車を走らせた。やがて、街角からその音の正体が姿を現した。それはまるで工場のように機械化された家だった。

 配達先の住所は確かにその家だった。ニシキは自転車を止め、家に近づく。すると、大きく汽笛がなり、家から蒸気が噴き出した。そして音を立てて扉が開く。ニシキはびっくりして後ずさったが、その次の光景に目を奪われた。猫が次々と扉の向こうから出てくるのだ。

 ガシャコンと扉が開く。ニャーンと猫が出てくる。ガシャコンと扉が開く。ニャーンと猫が出てくる……。一定の小気味いいリズムで次々と猫が出てくるのだ。とりあえず入る場所とかドアベルを探さなければ……。ニシキは家の周りをぐるぐる回って様子をうかがう。

 家の北側のほうに、古めかしい木製の扉があった。瓦のひさしには電球のランプが昼間なのに灯っている。中からはガシャコンガシャコンと機械音が響いてくる。呼び鈴のブザーのボタンがあったのでそれを押すと、ブブブブブとブザーが鳴った。

 しかし、機械の騒音にかき消されたのか、反応はない。もう一度押そうとすると、やっと扉が開いた。中から出てきたのは、立派な髭を生やした若い魔法使いだった。くすんだ紺の帽子をかぶり、青いマントを着こなしている。鉱石のブローチがいくつもちらちらと瞬いていた。

「あのう、紅茶の配達に来ました」
「おつかれさまニャー。代金だニャー」
 変わった魔法使いもいるものだ。キャラづくりだろうか。ニシキは思わず笑顔になる。すると、魔法使いも笑顔になるのだった。彼女は勇気を出して聞いてみる。

「あのう、あの猫たちは……」
「あれは猫たちを各地から召喚しているのだニャー。この旧市街地はいずれ猫に支配されるのだニャー」
 なるほど、通りで猫をよく見かけるはずだ。

「紅茶をいただかないかニャー、ご馳走するニャー」
「あ、いいんですか? じゃあ少しだけ……」
 家の中を案内される。ニシキは家に入って驚いた。紅茶の缶……それも未開封のものが山のように積んであるのだ。

 魔法使いは果物のようなさわやかな香りのする紅茶を淹れてくれた。ニシキは忙しい仕事の最中だったが、これも仕事のうちだろう。彼女はいい香りを十分に堪能する。すると、魔法使いがこちらを見てつぶやいた。

「僕が最後の猫になってすべてが完了するニャー」
 ニシキはその意味を訊ねようとした。しかし、魔法使いはマントを翻し家の奥へと歩いていく。ニシキは紅茶を急いで飲み干して後を追いかけた。魔法使いは家の奥、炉のような機械の前にいた。

「さらばだにゃー」
 そう言うと魔法使いは機械の中へ消えていった。機械の扉が閉まり、ガコンガコンと音がする。そしてシューッと蒸気が噴き出し、小さく猫の鳴き声が聞こえたのだった。

 それからその魔法使いがどうなったかはわからずじまいだった。ニシキは今日も紅茶配達で町中を駆け抜けている。たまに旧市街地を横切るが、以前より多く猫の集会を見かけるようになった。もしかしたらあの魔法使いも混ざっているかもしれない。

 そうニシキに思わせるのは……彼らが、紅茶のセットを囲んで紅茶の茶会を開いているからなのだ。紅茶は猫には毒だと聞いたが、彼らは何ともないように飲んではニャーニャー言っている……。いつかこの街が猫に支配される日が来るのであろうか。

 紅茶の香りは果物のようにさわやかだった。











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