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お題:うそ 虹色の蛙 美しい鬼女


 ある男がいた。彼は色を感じることができなかった。子供の頃いつのまにかそうなってしまい、以後彼は色を忘れてしまった。彼は大人になり、いつものように畑仕事をしていた。

 彼は自分の食べる分と街で売る分の作物を作り、細々と生きていた。綺麗な服や立派な家は無かったが、ボロの作業着や傾いたあばら家が何となく気にいっていた。それだけで彼は十分だったし、貯蓄や結婚と言った先のことは考えていなかった。

 彼は一人の貧乏な小作人に過ぎなかった。しかい地主は彼に重い小作料を課したりはせず、彼の好きなようにやらせていた。

 ある日いつものように彼は畑仕事に出ていた。煙草をくわえつつ鋤を振るい、新しい作付の準備をしていた。彼の真面目な耕しで土はふかふかになっており、後は畝を作るだけだった。日は真上に昇り、彼は空腹を覚えた。

 畑の近くに生えている木の木陰で休もうと、彼は鋤を担いで畑を離れようとした。鞄の中には昼食の握り飯が入っている。昼食にするにはいい時間だ。そのとき、彼は妙なことに気付いた。足元に蛙がいるのだ。

 彼はぎょっとして蛙を凝視した。畑仕事で蛙を見ることなど日常茶飯事である。だが奇妙なことに、その蛙は虹色をしていたのだ! 彼は色を感じないはずだった。しかし、確かにその蛙は灰色の世界の中で極彩色に輝いていたのだ。男はその鮮やかさにめまいがした。色を感じるということが、こんなに酔うことだとは思わなかった。

 彼はその蛙を捕まえたくなった。鋤を放り投げ、蛙に手を伸ばす。しかしその直前蛙は飛び跳ねて手から逃れた。また捕まえようとする。また飛び跳ねる。彼は蛙を追いかけた……夢中になって蛙を追いかけたのだが、どんなに走っても、飛びかかっても、蛙を捕まえることはできない。

 煙草の火が消えていることにさえ気づかないほど彼は夢中になって蛙を追いかけていた。蛙はどんどん森の奥へと逃げていく。いや、誘っていたのだろうか。彼はそのことに全く気付かなかった。

 森の奥、大樹のそびえたつ広い空間に彼はいつの間にかやって来ていた。蛙は草むらの中へと逃げていき、男はそのまま蛙を見失ってしまう。ふと我に返った男は、火の消えた煙草を口から落とした。かなり森の奥へと来てしまったらしい。

 蛙は見失ってしまった、残念だがこのまま帰ろう……彼はそう思ってきた道を思い出そうとした。そのとき、大樹の陰から誰かが彼を呼んだのだ。

「もし、そこのお方」

 男は大樹の方へ振り返った。するとそこには……総天然色の一人の娘がいたのだ。歳は男と同じくらいだろうか。綺麗な服を身に纏い、さらさらした黒髪をしていた。服には豪華な刺繍が施してあり、金や銀にきらきら光っている。袖や裾にはふんだんに布が使われ、このような森のど真ん中には到底似合わない服だった。どこか、宮殿の舞踏会から抜け出してきたかのような……そんな気品があった。

 そして娘の美しい顔の額には、肉でできた大きな角があった。人間には見えない。鬼か妖怪か……灰色の世界の中で、彼女だけが美しい色彩で彩られていた。

「子供の頃の約束、覚えている?」

 彼女は笑って言った。そうだ、子供の頃彼女に会った……男は初めてそのとき失われた記憶に気付いた。まだ普通に色を見れた子供の頃、やはり子供だった彼女に森の奥で会い、彼女以外の全ての色が消えうせたのだ。

「覚えていない。何の事だかわからない……俺は帰らなくちゃ」

 彼はうそをついた。約束は全部覚えていた。ただ、彼はもう帰りたかった。彼は十分だったのだ。ボロの作業着と、錆びた鋤と、傾いた家だけで十分だったのだ。

「残念だなぁ、迎えに来るって言ったのに。わたしと遊んで、この世の全てがつまらなくなったんでしょ? 色を感じなくなるほどに。もっと楽しい続きをしよう、そう約束したでしょう」

 彼はその先を恐れていた。これ以上彼女にそそのかされたら、楽しいことを知ってしまったら、色どころかこの世の全てを失ってしまうだろう。彼女以外は全て無価値になってしまうだろう。彼はその恐怖を思い出した。男は必死に森の中を走って逃げる。彼女の声はどこまでも響いていた。

「残念ね、あなたならついてきてくれると思ったのに……色のない世界で、あなたは何が楽しくて生きているの?」

 彼は必死に走った。どこまでもやみくもに、力の限り走った。そして気付いたときには元の自分の畑に戻ってきていた。彼は力なく木陰に座り、鞄を開けて冷たい握り飯に食らいついた。

「十分だ、俺には十分だよ。こんな生き方でもさ……」

 彼は自然と涙を零していた。あのまま誘惑に乗って極彩色の世界に旅立ってもよかったかもしれない。しかし彼は自分を失いたくなかった。彼女が全ての世界で、自分が無価値に消えていくのが怖かったのだ。

 明日も彼は自分の意思で、畑に鋤を入れるだろう。










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