――儚い夢の続き


 帝都には今日も雨が降る。工場の煙突からもくもくと昇る黒煙は街中を煤だらけにして、冷たい雨はその煤を洗い流し下層に泥を流し込んでいく。得体の知れない魔法使いたちは法律で保護され街中で怪しく目を光らせている。ここは帝都、人類帝国の首都だ。

 エリルは雨の中傘をさして歩いていた。彼は普通の人間で、普通の買物をして、普通の帰路についているところだった。その帰り道、街角で彼は雨にぬれた犬を一匹見つけた。赤い毛並みの大きな犬だ。迷子だろうか? 捨て犬だろうか。犬の前を通り過ぎると、その犬は後をつけてきた。

 振り返るエリルを、その犬はじっと見つめている。手を差し出すと、駆けよってきてぺろぺろと舐めた。不思議とよく懐く犬だ。やはり誰かに飼われていたのだろう。エリルはその犬を家に連れて帰ることにした。エリルは20代も終わりの歳で、独り身が寂しかったのだ。

 それから1週間は忙しい日々だった。犬に病気の注射をして、身の回りの設備も買いそろえた。その犬――雌犬だったが、名前をつけてとてもかわいがってやった。おやつが好きで、特にチーズが好物なのだ。しかし、飼う中で不思議なことに気付く。犬の影が……人間のそれなのだ。

 小柄な女性の影が見える。これはいったいいかなる呪いか。帝都の魔法使いは自由気ままに魔法を使い、その呪いも街中にはびこっている。この犬もそういった魔法のせいなのだろうか。エリルは知り合いの魔法使いを訪ねることにした。蛇の道は蛇だ。魔法に対抗するには魔法しかない。

「なるほど、これは犬に変身して戻れなくなったな」
 魔法使いはそう診断した。人間以外に変身するには、自分の意思を強固に保つ必要がある。でないと鳥に変身したら意識まで鳥になって人間に戻るのを忘れてしまう、そういうことが起こったというのだ。

 エリルは少し戸惑った。この犬の正体を知りたいのは山々だったが、魔法使いと言うのは危険な存在だ。恐ろしい人食い魔女かもしれない。いままで楽しく暮らしていても、そんなことは忘れて襲いかかってくるかもしれない。

 その日は何もせず帰ることにした。少し考えたかったのだ。せっかく犬と楽しい生活を送っていたのに、それが終わってしまうのは少し寂しかった。しかし、この犬は人間に戻りたいだろう。彼女を元に戻してあげよう……そう決心してその日は眠りについた。

 そして、夢を見た。夢の中で魔法使いの娘と一緒に暮らす夢だ。その娘は無愛想だったが、二人は幸せそうに寄り添って子犬をあやしていた。それはとても穏やかな時間だった。いつまでもこの夢に浸りたい……そう思っていても、朝になれば夢は覚めてしまうのだった。

 翌日、儀式が行われた。犬を人間に戻す儀式だ。狭い部屋に魔導線が張られ、香が焚かれ、魔法陣の中心に犬が繋がれた。魔法使いが呪文を唱えると、犬は少し苦しみ、黒い靄になって換気扇に消えていった。儀式は成功したという。人間に戻った魔法使いはどこかへ行ってしまったらしい。

 エリルは少し喪失感を覚え寂しくなった。彼女は自分の元を離れていってしまったのだ。短い生活だったけれど、あれは楽しく儚い夢だったのか。朝になれば消えてしまう……でもこれで彼女は自由になったのだ、そう思って納得することにした。

 しかし家に帰ったとき、エリルは家のドアが開いていることに気付いた。泥棒かと思い用心して中に入る……。すると……

――そこには、自分のぶかぶかの服を着た一人の娘がいた。
「ありがとう、元に戻してくれて……服を勝手に借りて申し訳ない」
 そう、夢と同じような無愛想な顔で言ったのだった。










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