――火焔気球の街



 その街は炎によって彩られていた。血管のように街にはガス管が張りめぐらされ。街灯の代わりに松明のようにガス灯が燃え盛っている。
 街の通りにはいたるところで火が燃やされ、夜でも昼のように明るい。青い塗料が塗られた街並みと赤の炎が入り混じり静脈と動脈のような色彩を持つ。

 通称『火焔気球の街』。この街を覆い隠すように魔法の布が張られている。それは青空のように空色で編まれており、街から立ち上る上昇気流で波打っていた。
 伝説では街が完全に火で包まれたとき、この布が気球のようになってこの街を月へと導くという。それゆえこの街は火焔気球と呼ばれた。

 街の炎はこの布が地面に落ちないよう昼夜を問わず焚かれていた。燃料となるのは無尽蔵に沸きだすガスだ。この街の者は誰もそのガスがどこから来るか知らない。
 ガスをパイプラインで遠くの街に供給すれば富が築けるかもしれない。だが、この街のガス採掘権はある一族が完全に握っていた。

「火の巫女の一族と呼ばれるこの街の領主は、ガスを燃やし続ける以外の方法を許さない。市民は観光資源が入ってくるから誰も文句は言わないらしい」

 付箋だらけのくたびれたガイドブックをめくるのは観光客のフィルだ。相棒のレッドは街の火で炙られる焼肉の屋台に目を奪われている。

「肉、肉! いいねぇ、肉だよ」
「君は食文化以外にも観光すべき所に目を向けたほうがいいよ……」

 やれやれとフィルは公園のベンチに腰を下ろした。レッドは財布を取り出し屋台に行ってしまったようだ。鼻先を深紅のシルフが通り抜ける。この街は火の精霊たちの憩いの場でもあるのだ。

「お兄さん、観光に来たの? この街はいい街だよ。暖かいし」
「はは、ちょっと暑いくらいだよ」

 別のシルフが話しかけてきた。確かにスーツ姿のフィルやレッドは暑いかもしれない。だが、言葉とは裏腹にフィルは汗ひとつかいていない。
 公園にはたくさんの観光客が休憩に訪れており、それぞれ屋台に足を運んだりベンチで談笑したりしていた。彼らの目的はみな同じ。
 夕方からこの公園の近くの通りでパレードが行われるのだ。今日は少し特別な日である。

「今日は新しい火の巫女が誕生するんだってね。しかも10代のお嬢さんだよ」

 シルフは続けて話を振ってきた。そう、フィルとレッド、そして他の観光客たちが今日この日に集まっているのは、このセレモニーに立ち会うためであった。

「あんなに若いのは珍しいね」
「そう、この世の春とは若い女と腹いっぱいの肉!」

 レッドが手にパンで挟まれた焼肉を持って帰ってきたようだ。両手に……自分とフィルの分を持って。

「ありがとう、レッド」

 シルフは花の蜜の方がいいなとけらけら笑った。祭りの空気がひとを陽気にさせるような、そんな期待感に街は膨らんでいた。フィルはレッドから肉を受け取るとがぶりと大きくほおばる。
 炎の柱が天高く昇る。今日の街の火は一段と強いようだった。新しい火の巫女を祝福するように。
 シルフは一瞬暗い表情をして囁いた。

「先代、先々代の巫女が急に亡くなったのは暗殺だってみんな噂してる。今日も何事もなく済めばいいんだけど……」

 そう言ってシルフはどこかへと飛んでいってしまった。フィルはもう一口かぶりつくとゆっくりと咀嚼した。この半年で急に火の巫女やその親戚が死に始めているのだ。
 そしてとうとう火の巫女の一族は最後の一人……18歳のルシリミアだけになってしまった。これは異常だと彼女は街の自治体から厳重に守られている。しかし犯人は依然捕まっていない。

「暗い顔をするんじゃねぇよ。せっかくの祭りじゃねぇか」

 レッドが笑いながら肉を食べる。フィルがそっとつぶやいた。

「僕たちは観光客。この地で何が起こるかしっかりと目に焼き付けるだけさ。それが悲劇であってもね」

 そしてふっと息を吐き表情を崩した。

「大丈夫、そんなつまらない物を見るために来たんじゃないさ」

 そう言って笑ったのだった。街の喧騒は次第に賑やかになり、パレードが近いことを知らせた。すでに通りにはたくさんのひとが集まっている。二人は急いで肉を食べきり、見晴らしのいい場所を探しに行った。
 パレードが始まった。鮮烈な緑と静かな青のストライプで彩られた胸甲騎兵が列を先導する。花火が上がり、華やかな装いの婦人たちが舞う。フィルとレッドは群衆に揉みくちゃにされながら写真を撮った。美しい光景だった。夜の闇に炎の赤い光が舞う。
 フィルもレッドも、このときは火焔気球にまつわる大きな出来事に巻き込まれるとは思ってもいなかった。
 松明のジャグラー! 火を吹く仮装車両! 見事なパレードが続く。そして見上げるほど大きな赤皮獣に乗った火の巫女が見えようとした時だった。

 銃声は歓声にかき消された。赤皮獣の腹に穴が穿たれたのに気付いた観衆はいただろうか。次の瞬間、赤皮獣は苦しみだし暴れ出した! それと同時に煙幕弾が建物の隙間から放たれた。パレードは一瞬にしてパニックのるつぼと化す。赤皮獣が大きな地響きを上げ倒れるのが見えた。

 煙幕には麻痺成分が含まれていたようだ。観衆が次々と倒れる中、ガスマスクをつけた幾人もの男が街の陰から次々と赤皮獣に近寄る。だが、彼らは足を止めることになる。倒れ動けないでいる火の巫女の前に……誰かいるのだ! 

「巫女さん、大丈夫か?」

 麻痺ガスを吸って意識も朦朧としている、18歳のうら若き乙女……髪は燃えるような橙色で、すっきりとした細い目をした火の巫女の傍に立つのは、レッドだった。

「貴様、ガスを吸ってなぜ動ける!」
「いやぁ、鼻が詰まっててね……」

 ガスマスクの男たちは一斉に短刀を抜く。一方のレッドは使い古したカメラしか手に持っていない。

「ひえぇ、暴力反対」

 男たちはレッドの様子に戸惑いを覚えた。凶器を目の前にして本気で恐れているようにしか見えないのだ。

「火焔気球は我々の物だ……お前一人何の障害にもならぬ」

 レッドにとびかかろうと男たちが一歩前へ進んだときのことである。閃光が辺りを塗りつぶした! 

 レッドも男たちもその光の洪水に動けないでいた。たくさんの足音が男たちとレッドの間に割り込む。やがて光が薄れたころ、彼らの正体が分かった。
 パイプが幾本も伸びた特殊な衣装、閃光ゴーグル、ガスマスク。背中には巨大な背嚢。燃えるように揺らめく赤い髪。手には火炎放射器。

 彼らの中でもより装備の質と装飾が優れたリーダーが一歩男たちの前へと踏み出す。彼らを知らぬものはこの大陸にはあまりいないだろう。破壊と再生、火と蒸気のギルド。

「我々はグランガダル廃棄物処理社である! 双方武器を捨て我々に投降せよ! さもなくば灰になるまで!」

 グランガダル・ギルドは帝国から廃棄物や危険な遺産、遺跡の破壊処理を命じられるギルドである。彼らがなぜこの火焔気球の街に現れたのか。男たちには投降する気はないようだ。短刀を魔法の光で包みこむ。

「我々の崇高な目的を邪魔するというのか。火焔気球は我々の物だ!」

 ギルドのリーダーはゴーグルの奥で目を光らせた。

「火焔気球は破壊指定である! 帝国の名に置いて、火焔気球を破壊する! 誰の手にも渡さない! それは全て塵へと帰すものである!」



――火焔気球の街#2



 ギルド員たちは男たちに向かって一斉に火炎放射器を構える。銃口にはすでに火種が燃え盛っていた。

「火焔気球を我らが手に!」

 無謀にも男たちはギルド員たちに向かって突撃する!

「放て!」

 ギルドリーダーが右手を振り下ろすと同時に一斉に火炎が放射された。大部分の男たちはその炎に焼かれて死んでいく! だが、一瞬先にジャンプで避けた者が数名いた。手には魔法で怪しく光る短刀! 

「装剣!」

 ギルドリーダーの合図でギルド員たちは火炎放射器に短剣を装備し槍にしようとする。捨てることはできない。なぜならば、火炎放射器はパイプで背嚢と繋がっているからだ。だが遅い! とびかかった男たちは短刀をギルド員に振り下ろす……その時である。

 カシャリと機械音が間抜けに響いた。これは……カメラのシャッター音である。この戦場で写真を撮るのは、レッドだ。一同は硬直してしまっている。まるでカメラのフラッシュに射止められたように。

「あ、気にせず。続けて続けて」

 呆気に取られて動きを止めた男に火炎放射器の槍が次々と突き刺さる! あっという間に男たちは一人残らず殺されるか縄で拘束されてしまった。ギルドリーダーはレッドにどしどしと歩み寄る。

「お前は……何者だ」
「え……観光客ですが……」
「麻痺ガス吸っても戦場でぴんぴんしている観光客がいるか!」
「はぁ……観光客にもピンからキリまでいるので……」
「もういい、さっさと去れ! ここは我等ギルドが封鎖する!」

 辺りは赤と青のテープで手際よく封鎖されていった。救急車も到着し、麻痺ガスで動けない重症患者を運んでいく。火の巫女はようやく動けるようになったようだ。ギルドリーダーが話しかける。

「帝都から通達があったのだ。火焔気球を破壊せよと。わたしはギルドリーダーのゴラス」
「えっ、破壊するって……」
「この街は更地になるのだ。火の巫女はこの街を取り仕切っているというな。残念ながら帝都の命令は絶対だ。我々に協力してもらう」
「そ、それは大変です!」

 火の巫女は突然あわて始めた。

「巫女さん、残念ながら決まったことなのだよ。なぁに、街の表層で燃えている火の燃料であるガスを止めて、天蓋の魔法の布を下ろすだけでいい」
「急に言われても……時間をください!」

 どうやら気球の破壊自体は飲み込めてくれたようだ。フィルとレッドはテープの向こう側で一部始終を眺めていた。巫女とギルドリーダーは色々話し合っているようだ。

「巫女さん、何か知ってるのかな」
「火焔気球……いったい何なんだろうね」

 巫女は護衛を引き連れて急いでその場を発ってしまった。ギルドリーダーは現場検証を進める。襲撃してきた男たち……彼らが何者かはある程度目星がついていた。
 気球教団だ。気球教団はこの街に古くから存在する秘密結社だ。一般の街のひとは知らない組織である。
 気球教団はこの街の火焔気球を完成させて月まで飛び立つというという思想の元集まっている。月は神々の住む神秘の大地だ。そこは楽園とされ不老不死が叶えられるとかなんとか。
 しかし火焔気球の存在は長い間夢物語とされた。気球教団はなにか完成への糸口を掴んだのだろうか?
 しかし火焔気球は帝国によって破壊指定になった。そのためこの街にグランガダル・ギルドが派遣されたのだ。指令はごく簡単なものだった。
 街の火を燃やすガスの供給を止めること。そしてガス供給施設を破壊することだ。しかし火の巫女にいくら聞いてもその場所は教えてはくれなかった。

 ギルドリーダーは巨大な赤皮獣の死体を撤去するよう指示した。致死毒の弾丸が撃ち込まれたらしい。
 街の住人は不安そうにこちらを見ている。火の巫女は破壊自体には了承している。だが、何かと準備がいるとのことで後回しにさせられているのだ。住人の一人が声をかけてきた。

「あのう……破壊指定って、この街はどうなるんです?」
「火が消えるだけだ。問題ない。補償やらは帝国の指示を受けろ」

 気球教団員の死体は紺のバッグに入れられ、すでに撤去されていた。火の巫女は何を考えている……? しばらくは警備を厳重にせねば。
 ギルドリーダーは街の中心にある小高い丘を見つめた。その丘は全て火の巫女の一族の所有物だ。丘は人の住むことのない工場で覆われ、中心に宮殿があった。火の巫女は何かを隠しているのだろうか? 工場からはいくつもパイプが伸び、火を吹きあげていた。


――


 火の巫女は焦っていた。中枢の解体はまだ全然手が付いていない。それも何千年と後回しにされてきた作業だ。出来ればしたくなかった。だが、やらねばならない。血の責務にかけて。薄暗い書斎で書類を探す。

 いまは一人だ。薄暗い月明かりが照らす小さな部屋。書類の束が保存された本棚は高い壁のようだ。

 マッチを擦りランプに火をつける。設計書を机に広げ、該当箇所を探す。

「これは大変な作業だ……」

 そのとき、不意にドアが開いた。火の巫女はぎょっとして扉を見る。まさか、気球教団がこんなところに……!

「こんばんは、火の巫女さん。名前はルシリミアでしたっけ」

 酷く場違いな気の抜けた声がした。ルシリミアは恐る恐るランプで入口を照らす。

「あなたは、さっきの!」

 そこにいたのは……フィルとレッドの二人だったのだ。二人ともスーツ姿にカメラという姿だ。

「何でここに……ここは立ち入り禁止ですよ」
「ええと、僕らこの屋敷を観光に来て……僕はフィル。あっちの小さいのがレッド」
「標準身長だっ、お前が高いだけだ」

 ルシリミアは奇妙に思った。この屋敷は夕方の事件を受け警備を厳戒態勢のさらに3倍にしているのだ。
 グランガダル・ギルドの保護もある。とにかく、一般人がほいほい侵入できる場所ではない……ルシリミアは急に怖くなった。

「何が目的なんです……? 火焔気球は貴方達の手に余るものです」
「僕たちは火焔気球の秘密を知りたいだけさ」

 レッドはそう言って突然写真を撮る。

 ルシリミアはこの得体のしれない観光客を恐れた。だが、同時にあることを思い出す。火の巫女の一族に伝わる伝承。
 あれを――あの負の遺産を破壊するときには不思議な者たちが現れるという。彼らの手を借りよと――。ルシリミアは意を決して話を切り出した。

「いいでしょう。貴方達に私を手伝ってもらいます。いいですね」
「え、何をするの? まさか火焔気球を……」

 何か言おうとしたレッドの腕をひっぱりずかずかと歩きだす。

「それを話すことは……禁則事項です!」

 そして三人は屋敷の地下へと消えていったのだった。


――


 夜の闇が街を包みこもうとするが、街の灯がその闇を追い払っていた。街のあちこちで火が燃え盛り、人々はその街を行き交う。
 街を覆う魔法の布は大きく影を波打たせながら揺らいでいた。いつものような賑やかな夜。

 街の片隅に、公園のベンチに、路地裏のゴミ箱に。その者たちは人知れず何かの詰まったザックを置いていった。
 誰もそれを気にかける者はいなかった。……彼女を除いては。一人のシルフがベンチにザックを忘れたまま立ち去る男を見つけたのだ。

「おじさん、荷物を忘れてるよ」

 空からそれを見ていた彼女は、親切にも男に話しかける。だが男はそれを聞きもせず雑踏に消えてしまった。

「なんだよ、もう」

 シルフの娘は、この奇妙な出来事にある可能性を結びつけた。先日のパレードを狙ったテロ事件……。もしやあのザックは。
 その公園にグランガダル・ギルドの巡回員が立ち寄った。すぐ報告せねば。危険物を破壊するのは彼らの得意分野だ。巡回員に急いで飛び寄る。

「お兄さん! 変なのが置いてあるんだよ!」

 その声は、爆発音にかき消された。街のいたる所で同時に火柱が上がった。ガス管を巧妙に狙って配置された爆発が、あちこちで引火し街は火に包まれる。

 火焔気球の街の、最後の長い夜が始まったのだ。



――火焔気球の街#3



 街は混乱状態に陥った。逃げまどう民衆にも容赦なく火の手が回り込む。ギルド員たちは建物を破壊し延焼を防ぎ避難民を誘導する。
 だが、爆発物は巧妙にガス管の密集地点を狙っており、それに次々と引火していくのだった。

 赤い塗料で塗られた街並みは、いまや炎の赤に彩られていた。そして……その混乱に乗じて彼らは動きだした。色あせた紺のローブを身に纏った男たちが火の巫女の宮殿へ向かう。
 宮殿はいまだ火の手は上がってはいなかったが、街の被害を食い止めるため警備が手薄になっていたのだ。

「伝承では街が火に包まれるとき、その火を受けて気球が膨らむという。いまがその時だ!」

 ひときわ濃い紺のローブを着た男が彼らを先導する。
 残っていたギルド員の警備隊が侵入者に気付き警笛を鳴らそうとしたが、彼らは音もなく紺のローブの男たちに葬られた。

 死体は物陰に隠され、男たちは静かに宮殿の中に侵入していく。街の中心で大きな爆発があり火柱がたった。その光が宮殿を照らしたが、もうそこには誰もいなかった。


――


「いいですか? 余計なことはしないでくださいね。デリケートな装置なんですから」

 宮殿の地下深く、不思議な配電盤のような装置が壁いっぱい並ぶ部屋にフィルとレッド、そして火の巫女ルシリミアがいた。彼女は次々と配電盤を解体していく。
 ルシリミアの魔力で、地下の暗黒は明瞭な視界へと変わっていた。この暗視の術は彼女の一族の得意とする魔法だ。
 普段は街中で火が焚かれているため使う必要はないが、この明かりもない機関室で作業するには彼女の力なくしては不可能だろう。

「そこのバルブを開いてください。いえ、その右のです」

 ルシリミアの指示で次々と作業は進んでいた。重いバルブや荷物の運搬などの力仕事はフィルとレッドが担当した。これがまた本当に重いのだ。

「このバルブ固いな……何年使ってなかったんだ?」
「ずっと昔からですよ。有事の際にしか使用しませんから」

 レッドは力を込めてバルブを開く。するとさらさらと何かが流れていく音が聞こえた。唸るような何かの音が次第に大きくなっていく。

「よし……と。最後の作業です。別の部屋へ移動します」

 ルシリミアは二人を別な部屋へ案内した。そこは倉庫のような場所で薄暗く、がらくたがたくさん積み上がっていた。狭い部屋だ。二人は光源の呪文で照らしながら中へ入る。特に変わった装置などはなかった。

「次は何をすれば……おや?」

 ズシンと音を立てて扉が閉まった。扉を閉めたのは……ルシリミアだ。彼女は手早く鍵をかけ扉をロックした。

「騙して悪いけれど……ここから先は禁則事項なのです」

 ルシリミアは地下施設の中を駆ける。唸るような音は次第に大きくなっていく。この施設を破壊するためには一度この施設を目覚めさせなければならない。
 だが、それはいちばん危険な行為なのだ。暴走の危険を恐れ、歴代の火の巫女でこの施設を起動した者はいない。
 危険の手が迫っている。一刻も早くこの施設を葬らねば……。ここから先は施設の中枢だ。工場のような施設の内部は中枢に入ると一変した。
 淡く発光する滑らかなセラミックプレートの外壁の通路だ。ルシリミアは息を切らし急いだ。唸るような音はだんだんと大きくなっていく。

 ルシリミアは角を曲がってぎょっとた。中央制御室の扉が開いている! 侵入者がいるのか。閉め忘れたということは無い。開けたものは誰もいないはずなのだから。
 彼女は立ち止って様子を見ようとした。生臭い匂いがする。何かが起こっている。しかしここからは見えない。

「火の巫女か? 入ってきたまえよ」

 大人の男性の声が響いた。恐る恐る中央制御室に入る。ルシリミアにも魔法の心得がある。逃げてこの場所を明け渡すよりは戦って死んだ方がましなのだ。そこには幾人もの死体と、濃い紺のローブを着た男が一人立っていた。

「気球教団の者ですか?」

 ルシリミアはじりじりと間合いを詰める。敵の強さが分からない。魔法使いなのか、魔法の武具を操る暗殺者なのか。さっきの二人がいてくれたらいいのに……彼女は少し後悔した。

「そうでもあり、そうでもない。俺は気球のことなんか信じちゃいない。こいつらのようにね」

 そう言って男は足元の死体を蹴った。この男が殺したのだろうか? 死体と男の装備は似通っており、仲間割れしたように見える。

「どういうことです? その者たちはあなたの仲間ではないのですか?」

 男はハハっと笑って剣を抜いた。刀身が魔法の光で淡く黄緑に光る。恐らくアレで斬られたら命は無いだろう。ルシリミアの装備はとても戦闘用と言えるものではなかった。

「利用しただけさ。俺は気球なんかよりもっと面白いものに興味がある。そのために教団に潜入して……この時を待っていたのだよ」
「知っているのですか……この装置の力を」

 男はにやりと笑った。そしてルシリミアには目もくれず、巨大な壁に向かって歩き出した。
 中央制御室の壁には、白く淡く光る真っ平らな壁面がひとつあった。時折光の脈のようなものがすっと光っては消えている。まるで生きている心臓の表面のように壁面は揺らいでいた。男は左手を伸ばしその壁面に触れようとする。

「やめなさい! それは……とても危険なものなのですよ!?」

 ルシリミアは警告するが、それ以上近づくことは出来なかった。ここから先は彼の間合いなのだ。不用意に飛び込めば一瞬で殺される……その気配を感じ取ってしまった。

「知ってるさ! とても危険だ……一撃で帝都を焦土にできるほどね」
「申し遅れた、俺は考古学者のレベルン。俺はお前たち一族が幾千年も隠し通してきたこの機械の痕跡を見つけ、それを手にするため今まで隠れ忍んでいたのだよ」

 レベルンと名乗ったその男は壁面に触れた。するとその指先は壁面に少しずつめり込んでいく。しかし、ある程度まで沈みこんだところでその動きは止まった。

「火の巫女め、何か細工をしたな……。フフ、死にたくなければ俺に権限を寄こせ」
「そんなこと、出来るわけないです!」

 実際のところ、彼女には何も思い当たるものはなかった。ルシリミアはこの状況に困惑しつつも、はっきりと拒絶した。
 彼女に向かって淡く光る剣の切っ先を向けるレベルン。しばらくの沈黙が続いた。

 先に口火を切ったのはレベルンだった。

「遥か昔、先の文明の時代。神々を暗殺するため、天に向かっていくつもの秘密兵器が作られた。神々に見つからないように、巧妙に隠してね」
「呪われた血め、お前の先祖が作ったこの兵器、いまさら解体しようなんてそうはいかないぞ。さぁ渡せ! この力を! お前がいらないというのなら、俺が完璧に利用してやる!」

 レベルンの目が怪しく光る! 目の光がルシリミアの網膜を貫いた。痺れたように立ち止り、一言も話せなくなる。そのままふらふらとレベルンの元へ歩み寄っていく。

「ハハハ、魔法の使い手の目を見過ぎるのはよくないぞ」

 そして、銃声が響いた。



――火焔気球の街#4



 レベルンはゆっくりと膝をついた。足元に血の雫が垂れる。ルシリミアは呪縛から解放され、部屋の入口を振りかえった。
 そこには、ガスマスクに水色のゴーグル、燃えるような髪をした……グランガダル・ギルドのギルドリーダーがいた。手に煙ののぼる拳銃を持っている。

「ゴラスか……グランガダルめ、邪魔をしおって」

 レベルンは苦しそうに呻く。ギルドリーダーのゴラスはもう一発の弾丸をレベルンの膝に撃ち込む。

「ぐぁっ」
「レベルン・ゲルサ。貴様は我がギルドによって指名手配されている。生死を問わず、だ。遺跡遊びはもう終わりだ」
「ゴラスさん、この施設は……その……」

 ルシリミアは何か言おうとしたが、ゴラスはそれを遮った。

「火の巫女さん、大丈夫だ。我々はこの兵器の存在を知っている。大量のガスは施設の維持による副産物、天蓋の魔法の布は神々から施設を隠すため……それをごまかすために火焔気球などという伝承が生まれたのだろう。あなたの先祖が生み出した嘘だ」

 ゴラスは拳銃に弾丸を装填しながら続ける。

「この男、レベルンはその秘密を我がギルドから盗みだし、雲隠れしていたのだ。まさかここまで辿りついていたとはな」

 そして銃を構える。狙いは……頭だ!

「この力は……俺のものだ!」

 突如レベルンの身体から火が噴き出す! ゴラスは銃を撃つが、炎を貫通するだけで効いてはいないようだった。炎の塊となったレベルンはゆっくりと壁へ近づく。そのとき壁面が波打ち、腕が飛び出したのだ。
 ルシリミアは信じられない光景を見た。誰かが壁面から出てくる。スーツ姿の青年が……。

「おお、ここが中枢かー」

 出てきた青年は……フィルだった。

「キサマ……なぜここにいる」
「え、観光に来たんだけど……」

 呻くようなレベルンの問いをフィルはかわし答える。信じられない、あの部屋に閉じ込めていたはずなのに……ルシリミアはわけがわからなくなった。
 しかし、彼が中枢の中にいたからこそ先程レベルンが入ることは出来なかったのだろう。それを裏付けるように、フィルは語りだした。

「中枢の破壊処理は済んだよ。もうすぐここは崩壊する」
「ふざけるな! 何故お前のようなでたらめな男に全て無駄にされなければいけないのだ……どけ!」

 炎の塊となったレベルンはそのまま壁面にぶつかり中に入ってしまった。

「危ないよ。その中はもうすぐ施設の炉心になる……目覚めるためのね」
「上等だ! みんな吹っ飛ばしてやる……くく、くくく」

 壁が振動しレベルンの声が木霊する。

「まずい、あいつ最後の一発を発射するつもりか……止めなくちゃ」
「でも、崩壊するんですよ!?」

 火の巫女は心配そうにフィルを見る。だがフィルはそれに笑顔で応えた。

「火焔気球、見てみたくないか?」
「えっ?」

 ルシリミアは突然の問いに戸惑うばかりだ。

「火の巫女さん、はやく逃げるんだ!」

 ゴラスが叫んだ。はっと我に返り、急いで彼女は制御室を後にする。一度だけ後ろを振り返った。フィルは……笑顔で手を振り、壁に向かって歩き出したのだった。
 ルシリミアとゴラスは地上へと一直線に走った。途中閉じ込められたレッドのことを思い出したが……入口から遠かったので心の中で詫びた。施設の唸るような音は次第に大きく叫ぶように荒れ狂い、温度は汗がにじむほど高まってくる。

 やっと入り口が見えた。入口は炎の赤で彩られ、地獄の口にも見える。外へ飛び出すと、丘の宮殿が赤々と燃えている! 

「施設が暴走しているの……? このままじゃ……」

 そのとき、声が聞こえた。

「ひゃっほー! 聞こえてるのかな。マイクテストマイクテスト」

 レッドの声だ! 振動が凄まじく地震のように地面が揺らいでいる。ルシミリアは気づいた。宮殿の塔の一つ。屋上で手を振るひとの姿を。

「施設のアナウンス・システムを使って話しています。ここは本当に眺めがいい」


――


 レベルンはエネルギーの奔流の中を泳いでいた。ここは兵器の中枢だ。
(自壊させるシステムだと? あの男は勘違いしている。この回路はエネルギーを放出させる回路だ)

 もうすぐ彼の存在は放たれる一撃と同化し分解され消えてしまうだろう。

 この兵器の存在を提唱したとき、誰も彼の言うことに耳を傾けず、馬鹿にするだけだった。あれは神話の中の話だと。そんなものが存在するわけ無いと。当時レベルンは無名の考古学者だった。誰も賛同者はおらず、逃げるように彼は帝都を後にした。

(あいつらに目に物を見せてやりたい。あいつらが馬鹿にした兵器で、あいつらの街を炎に包んでやるのだ。ハハ、気分がいい。もうすぐ俺は自分の信じたものと一つになって死ぬのだ)

 そう考えるとレベルンはこのエネルギーの奔流が朝日の光に見えた。

 レベルンは最後の調整を終えた。もうすぐ全てが終わる。すべて計画通りだ。光がすべてを塗りつぶしていく。チカチカと無数の流星が降り注ぐようなエネルギーを感じる。渦を巻いて、光が、光が――。

 そしてレベルンは消滅した。


――


 振動はさらに大きくなり、宮殿の炎もひときわ高く燃え盛る。空を覆う魔法の布ははちきれんばかりに膨らんでいた。

「伝説の火焔気球、今日はめでたきそのお披露目の日。みなさま刮目あれ!」

 レッドの声と共に巨大なものが宮殿を崩して持ちあがってくる!

「火の巫女の一族は長年何もしていなかったわけでは無かったんだ。この兵器を如何にして処分するか。その方法が、火焔気球のシステムだったんだ」

 地面からアンカーが飛び出し、空の魔法の布に突き刺さる。すると布はゆっくりと丸まってゆき、気球を形成する!

 「きっと新しい火の巫女さんに伝える前に先代は亡くなってしまったんだね。この機械は長年の改造ですっかり変わっていたよ。破滅の炎を吹き上げるシステムはそのまま気球を膨らますバーナーに置き換わっていた。伝説を、火の巫女の一族は実現していたんだ」

 ひときわ大きい火柱が宮殿を貫いて燃えあがる! 火焔気球はいままさに完成しようとしていた。

「そう、処分……処分とはすなわち、宇宙に棄てること! そのための火焔気球だったんだ」

 巨大なものが丘を割って持ちあがった。巨大な機械が魔法の布の気球にぶら下がって、ゆっくりと空へと上がっていった。機械からは幾本もの火柱が上がり、気球を膨らませている。フィルとレッドは……気球の上にいた。機械から伸びた塔の上に、彼らはいた。

「一生に一度しか見れない火焔気球の飛行だ。フィル。いいもの見れたな」
「このまま月まで観光しに行くかね……! さらば火焔気球の街!」

 恐るべき殺戮機械は夜空をゆく。気球に揺られ、火を吹きながら。

 気球教団の者たちがわらわらと集まって気球に縋りつこうとするが、みな落下する瓦礫の土埃の下へ消えていった。

「連れていってくれぇ……月へ……連れて……」

 そしてみな居なくなってしまった。

 ルシリミアしばらく夜空を眺めていた。火焔気球はいまや夜空の星の瞬きのひとつとなってしまった。魔法の布はもうない。夜を照らす街の火もなく、辺りは静かに暗闇に沈んでいた。

 ただ、見たこともないほどの満天の星空が、彼女の頭上に瞬いていた。



――火焔気球の街 エピローグ



 火焔気球の街はいまやもうない。街の残骸は片付けられ更地になってしまった。街のひとは散り散りになってしまったが、帝国から補償を受け別の地で新たな生活を始めている。しかし、この地に留まりつづける者たちも少なからずいた。

 ルシリミアもそんな者たちの一人だった。一度は更地になった火焔気球の街も、再び街となり活気を取り戻しつつある。
 そう、その名前を変え、街は復活したのだ。夕暮れ、街に火が灯り行きかうひとは笑顔で杯を交わし一日の疲れを癒していた。

 ルシリミアは丘の上にいた。かつてこの地下にあった古代兵器はもはやなく、施設維持のため生産されていたガスプラントも崩落し地面の下だ。
 あのときのテロでたくさんのひとが亡くなり、この丘に慰霊碑が立てられたのだ。その慰霊碑には大きな鐘が下げられている。

 慰霊碑に備えられた大時計が20時を刻む。あの事件があった時刻だ。ルシリミアは慰霊碑の前で街の火を眺めていた。
 毎日ここでこの風景を見ているのだ。これから素晴らしいことが起こる。そう、大きく慰霊碑の鐘が鳴り響いた。

 すると、街の火が次々と消えていく! 照明設備は20時になるとすべて消灯されるのだ。街は暗黒に包まれた。これからルシリミアの魔法がかかる……かつて負の遺産を生きながらえさせるために、ガスを生むために使われていた彼女の魔力。

 その瞬間街の暗黒が開けた。視界が明瞭になり、昼間のようによく見えるようになる。街の至る所で歓声が上がる……そう、いまやこの街を覆い尽くす魔法の布はもうない。満天の星空がどこまでも広がっていた。遥か遠くの星雲まではっきり見える。

 街で火が焚かれていたころは、街が明るすぎて見えなかった美しい星空。あの事件の日に見た星空が広がっていた。

「フィルさんにレッドさん、いまどこにいるんだろうなぁ」

 あのまま月まで飛んでいってしまったのだろうか?

「あの日から頑張って街を立て直して、昔に負けないくらいの観光名所になったんですよ」

 そう、この街は火焔気球の街という名前を変え、星雲天井の街と呼ばれるようになっていた。その美しい星空は有名になり、観光客も多く訪れるようになった。

「いつか、この街にも観光に来てくださいね。わたし、待ってますから」
 そう言ってルシリミアは丘の上で膝を抱いた。流星が一筋流れ、彼女は目を閉じた。

 そして星空の下で短く祈ったのだった。


――火焔気球の街(了)











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