――島を釣った男


 ここは帝都から南に10キロほど離れた岩場、そこで男が釣りをしていた。大洋は黒い泥がどこまでも堆積していて、漆を塗ったように綺麗な黒で統一されていた。遥か昔の火山活動と大火によってできた火山灰が流れ込んだ果て。魔法の力が集積し、とても不思議なことがよくおこる。

 黒い海は重油のように風で波打っていた。男はその黒く汚された岩場の上から釣り針を投げ入れた。リールを巻きながら獲物を待つ。太陽は天高く昇り、海の表面をぬらぬらと照らしている。もし男がここに落ちたら命は無いだろう。恐ろしい魔力の渦巻く海。海鳥の声が聞こえる。

 この海で獲れる魚は魔法の灰をふんだんに体内に取り入れているため、魔法使いたちに高値で売れる。男はそれを目的とした漁師の一人だった。今日はまだ一匹も釣れていないが。ふと竿が動く。かかったかなと、ゆっくり糸を巻き上げていく。しかし、手ごたえがやけに重い。

 これは大物だ、1週間分の稼ぎになるなと男は喜んだ。海での漁はとても危険だが、大物のもたらす利益はその恐怖を麻痺させるには十分だった。しかし妙なことに、泥の水面は動かないし、引く釣り糸は次第に重さを増していく。リールを巻く手の動きがどんどん遅くなる。

 よく見ると水平線の向こうに島がひとつ見えた。あんなところに島があっただろうか? 竿を引くと、島がどんどん近付いてくる! しみのようにしか見えなかったおぼろげな島が、いまや上に生えている木まではっきり見えるほど近づいていた。島を釣り上げてしまったのだろうか?

 海鳥たちが騒ぎ立てる。島は唸りを上げ泥の波をかき分けこちらに向かって進んでくる! リールはもうすでに巻いていないが、島の勢いは止まらない。島から何羽もの海鳥が鳴き声を上げながら飛び立っていく。島は黒い岩石の土台に捻じれた木が生え暗い緑の苔がついている。

 男はにわかに怖くなってきた。この海は魔法で不思議なことがよく起こるが、大抵碌なことじゃない。魚が高値で売れるのに漁師が少ない理由の一つだ。島はぶつかりそうな勢いで近づいてくる。男は思わず竿を手放してしまった。島は近づくのをやめ、ゆっくりと遠ざかって行く。

 竿はどこかにいってしまった。やれやれ、とんだ出費だと思いつつも、命が助かっただけでももうけものだと帰ることにした。竿を買うくらいの蓄えはある。帰りの準備をしていると、どこからか若い娘の声が聞こえてきた。それはさざ波のように静かな声だったが、はっきりと聞こえる。

「釣りの邪魔をしてすいません。竿は海岸にあります」
 奇妙なことに娘の姿は見えなかったが、恐る恐る男は波打ち際まで足を進める。すると確かに波に揺られて竿が浮かんでいた。泥まみれだったが、確かに自分のものだ。

 不思議なことに、その釣り針は大きい透明な水晶に覆われ、きらきらと輝いていた。










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