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――悪霊の住む家


 始まりは夏の暑い日差しの照りつける午後だった。リルケンは休日の買い物をそこそこに済ませて家に帰ったところだった。はやく部屋の空調をガンガンに効かせて冷蔵庫に冷やされているビアでも飲みながらゆっくりしたい……。団地の一つ赤い屋根の家の前に彼の乗った車が止まる。

 高級車ならば車にも空調がついているだろうが、彼の鋼鉄板をつぎはぎにしたような安い車にはそんなものは付いていない。エンジンから噴き出す蒸気がさらに暑苦しさを増し、彼は汗だくだった。エンジンを止め、車から降り家に向かう。家の中はきっと暑いだろうが、すぐ楽園になるだろう。

 玄関のドアに手をかけたところで、リルケンは異常に気が付いた。鍵が開いているのだ。しまった、鍵をかけ忘れて出かけてしまったか……。彼は暑さとは違う汗が額に滲んだことを感じた。家の中は荒らされてはいないだろうか。リルケンはこっそりと家の中に入っていく。

 家の中は意外にも若干涼しかった。空調が効いている……? リルケンはぞっとした。今朝は空調をつけていないまま外出したのだ。誰かが部屋にいるのだろうか。彼はリビングのドアをそっと開けて中の様子をうかがう。ドアの隙間から涼しい空気が漏れ彼の汗を乾かした。

 電影機の騒がしい声が聞こえる。やはり誰かいるのだ。彼は玄関に戻り、傘を武器にゆっくりリビングに侵入した。そこにいたのは……電影機で午後のプログラムを見ながらビア片手にクラッカーをつまんでいる顔色の悪い娘だった。電影機をみてアハハと笑っている。

「お前……何をしている!」

 リルケンは娘に怒鳴りつけた。娘はゆっくりリルケンに顔を向けると、にやりと笑った。電影機を消し。ビアをあおってから信じられないことを語りだした。

「あたしは悪霊さ。この家のね……。久しぶりに目が覚めたからゆっくりしてるんだ」

「悪霊だって!? くそ、道理で安い中古物件なはずだ……。ええい、出ていけ!」
「やだよ。この家はあたしの家さ。出ていくのはおまえだ」

 その次の瞬間、リルケンは奇妙な浮遊感を覚え、視界が暗転した。気付いたときには、彼は自分の家の庭にいた。

 リルケンは悪態を付きながらもう一度玄関から家の中に入ろうとする。だが、何度繰り返しても数歩家の中に入ると先程の浮遊感に襲われ、気付いたら庭にいるのだ。5回ほど試みた後、彼はとうとう諦めてしまった。だが家を諦めたわけではない。

「持久戦だな」

 庭にあった倉庫からアウトドアセットを引っ張り出し、リルケンは庭にテントを設営した。銀行のカードもあるし、当面の買物は大丈夫だろう。七輪と金網、アウトドア用フライパンも倉庫にあった。これで料理もできる。非常用セットの中にラジオもあった。

 家を盗られたというのに、こういった用意をしているとだんだん楽しくなってくるものである。彼は再び買物に行き、ソーセージとスペアリブ、そしていくつかの野菜を奮発して買ってしまった。冷蔵庫代わりのクーラーボックスと氷も買う。燃料とライターもだ。準備はできた。

 その晩、リルケンの庭には肉の焼ける香ばしい匂いが漂った。家を盗られたことへの悪態をつきつつも、ビア片手にスペアリブを焼いているとまるでキャンプに来たような開放感を味わえるのだ。ふと、リルケンは二階の窓を見る。するとそこにはつまらなそうな顔をした悪霊がいた。

「てめぇ、家を返す気になったか!」

 ビールを掲げながらリルケンは声を投げかけた。むっとした悪霊の娘は舌を出してあかんべーをすると顔を引っ込めた。リルケンはハハっと笑いビアをあおった。

「あの顔! 俺が参ってないと知ってがっかりしてるな!」

 リルケンはビアの缶を潰し放り投げた。そしてスペアリブにソースを塗りひっくり返す。しかし、あの悪霊の娘。寂しそうな顔をしていたな……。彼はそう思うと少し悪霊に同情した。彼女の居場所はもうこの世には無いのだ。あとは死の侵食で狂っていくだけだ。

 死霊は死後長きにわたって意識を保持する場合があるが、時間の長さに長短はあれ、みなその壊れていく精神を抱きながら消滅に向かっていくのだ。スペアリブがじりじりと焼けていく。あの娘は何か未練があったのだろうか。こういう風に美味しい物を食べれば浄化されるのだろうか。

 リルケンは考えてもしょうがないと思考を打ち切り、クーラーボックスから二本目のビアの缶を取り出し、カシュッと小気味いい音を立てながら開封した。スペアリブは丁度よく焼けている。彼はスペアリブにかぶりつき、庭で過ごす夏の夜を満喫したのだった。


――


 翌朝、リルケンは身体中を蚊に刺された状態で目を覚ました。夏の屋外で寝ればこんなものだ。彼はテントからはい出すと、家を見た。彼は小さな違和感に気付く。家の明かりが付いているのだ。朝の光は眩しく気づくのに時間がかかったが、リビングの照明が確かについている。

 彼はそっと玄関に忍び寄った。音をたてないようにゆっくりと扉を開け中に侵入する。しばらく歩いてみたが、昨日のように庭に飛ばされることは無い。忍び足でリビングに侵入すると、依然として空調は効いたままだった。リルケンは電気代を考えると頭が痛かったが、奇妙なことだ。

 例の悪霊の娘が、人工的なリビングの照明に照らされながら机に突っ伏していたのだ。リルケンはそっと彼女の傍に歩み寄る。机の上にはビアの缶やつまみを食べたであろう冷蔵庫の中身にあった食物の包装が散らばっていた。リルケンは静かに悪霊の娘の顔を覗き見る。

 娘は涙を流して眠っていた。悪霊化するほどの未練だ。暴飲暴食程度では慰めにもならないだろう。霊が風邪をひくとは聞いたことがないが、リルケンはソファーにかけたままの毛布を取り娘の肩にかけてやった。家を盗られたことも忘れて、彼はにこりと微笑んだ。

 その感触と重みで娘は目を覚ましてしまったようだ。おはようと声をかけるリルケン。こんな馬鹿なことはやめなさいと諭そうとしたところ、彼女は急に顔を赤くしてむっとした表情になり、次の瞬間視界は暗転しリルケンはまた庭に戻されてしまった。彼は諦めて仕事場に向かうことにする。

 仕事から帰ってきて家を見ると、2階の窓から悪霊の娘がこちらを見ているのが分かった。すぐ顔を引っ込め窓を閉じる。ずっと待っていたのだろうか。テントに入ると庭に面した1階の窓に悪霊の娘が現れ、やれ貴方が働いてる間昼寝してやっただの、棚のお菓子を食ってやっただの自慢してくる。

 それがあまりにも年相応にどうでもいいことだったので、リルケンは思わず笑ってしまった。すると、彼女は顔を真っ赤にして何笑っていると怒りだした。リルケンはそれを軽くいなしテントに戻った。日は暮れ街の明かりが灯り始めていた。ラジオでも聞いて時間を潰すか? 

 リルケンは少し考え直し、再びテントから出た。悪霊の娘はまだ窓際にいた。この寂しい顔をしてじっとこちらを見てくる娘を一人にはしたくなかった。

「昼間、何か面白い番組やってたかよ」

 他愛もない話を振る。彼女はすこし楽な顔をして、他愛もない話を返したのだった。

 庭と窓際を繋ぐこの会話は毎日続いた。リルケンもいい歳だったのでこんな年頃の娘と話す話題などあまりなかったが、彼女もうまく話を返してくれて話は途切れなかった。いつの間にかリルケンは家のことなどどうでもよくなっていたかもしれない。もちろん家のローンはまだ残っている。

 それよりも、売り物件だったこの家に付いてきたこの余計なおまけ……この、悪霊の娘ともっと話してみたくなった。彼女の方がこの家に長く住み、この家と共に生きてきたのだ。そのときの思い出もたくさん聞いた。犬を飼っていたとか、近くの学校に通っていたとか。

 そうして二週間が過ぎた。あっという間の二週間だった。いつものようにリルケンが仕事から帰ると、いつも二階の窓から彼が帰るのを待っている悪霊の娘が今日はいなかった。不思議に思って庭から家を覗いても誰の気配もない。娘の名を呼びながら玄関から入るリルケン。

 リビングに入ると、一つの買物袋と置き手紙が置いてあった。変な予感がしてリルケンは置き手紙を読む。そこには、簡潔に別れの言葉が書いてあった。

”家を借りてすみませんでした。楽しかったです。さようなら。私は魂の安らぐ場所に行けそうです”

 彼女は無事浄化されたのだろうか。精神が壊れる前に未練の呪縛を断ち切ることができるとそういうこともありうる。買物袋を覗いてみる。すると、そこには……

 胎児のように丸くなって安らかな顔で眠る娘の姿をした……小さな宝石の塊があった。


――悪霊の住む家(了)











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