――階段


 フィルとレッドは乗合馬車にガタガタ揺られ、何もない火山灰の荒野を進んでいく。まばらに生える枯れ草の他は全く生命の気配のない平原である。地平線の向こうに薄くぼんやりと山並みが見える。ここは水瓶盆地と呼ばれる場所だ。昔豊富に地下水が取れたらしいが、いまは枯れている。

 空は遥か高くすじ雲が流れる晴天だ。馬車の車輪は無機質な火山灰をかきあげ、静かな平野に土煙を立たせる。フィルとレッドは馬車の中のボロボロなソファに腰かけ窓から殺風景な荒野を見ていた。乗客は10人程度で、皆長旅に飽きて居眠りしている。大きく揺れても起きる気配はない。

 レッドはこの何もない荒野に早くも飽きつつあるようだ。欠伸をして腕を伸ばしながらフィルを見る。
「フィルよう、本当にこの先にその名所があるのか?」
「あるから乗合馬車の便があるんだろう、もうすぐだと思うよ」
 レッドはつまらなくなって帽子のつばを下ろし居眠りをしようとする。

 フィルはやれやれとレッドに声をかける。
「レッド、この世界は決して僕たちを喜ばせるために存在してるわけじゃない。だからこちらから観光することで楽しんでやろうというのが僕らの目的じゃないか」 
「そうは言うが、白紙を楽しめというのも……」 

 そのとき馬車の鐘が鳴らされ、目的地が近いことを知らせた。フィルは馬車の窓を見る。レッドも起きだして同じ窓から外を見つめた。
「さぁ、階段だよ! 水瓶盆地の名所さ!」 
 彼らの視線の先には……確かに階段があった。

 確かに階段に思えるのだが……その階段は何故か見えなかった。透明なのだ。荒野の真ん中からまるで階段を上っているかのように人が空中を歩いている。階段の下と思われる場所には立派な小屋が立っており、階段を柵で囲っていた。どうやら入場にも金がかかるらしい。

 階段の端は見えないので、登る人々はみな這いつくばって、手で足場を確かめながら恐る恐る見えない階段を登る。なるほど、これが話に聞いた名所、透明な階段か。風が強く、上っている観光客はせいぜい10メートルくらいまでだ。彼らは皆空からの眺めを楽しんでいるようだった。

 乗合馬車は小屋の前に駐車し、観光客たちはぞろぞろと下りはじめる。フィルとレッドも馬車から下りて空を見上げる。階段はどこまで続いているのだろうか? 遥か空高くよじ登っていく人が見える。もっと上まで行けそうだが、皆恐怖して先に進めないようだ。風も強い。

 さっきまでの不機嫌はどこへやら、レッドはこの不思議な階段に興味津々に目を光らせる。聞いた話では材質や原理さえ解析不能な謎の超古代遺物とか、歪んだ大自然の奇跡だとか色々言われている。とりあえず上るくらいしか楽しみは無いが、空中散歩も悪くないだろう。

 フィルとレッドは早速小屋の窓口で入場料を払い切符を買う。
「いらっしゃい。保険は入ってないよ。落ちたら死ぬから注意して」 
 何とも物騒なことを切符売りに言われる。早速門をくぐり階段に近づく。階段のたもとにはたくさんの観光客がたむろしていた。

「登ろうぜ! どっちが高くまで行けるか挑戦だ!」 
 そう子供のようにはしゃぐレッド。フィルは透明だが確かに存在するその構造物に近づき手を触れてみた。まるで石のように冷たく硬い。その感触は綺麗に磨かれた大理石に似ていた。しかし汚れも埃も付いているように見えずただただ透明だった。

 レッドとフィルは階段を昇り始めた。フィルは慎重に足場を確かめながらゆっくりと登る。まるで自分が宙に浮いて、自分の下には何も存在していないように見えた。レッドはどんどん先に登ってしまっていたが、5メートルほど先を登ったところで足を止めてしまった。

「や、やべ、高すぎる……無理だ!」 
 レッドは高いところが苦手のようだ。這いずった姿勢のままゆっくりと下りはじめる。しかしこの階段はどこまで続いているのだろうか? 他の観光客の中にはもっと先に上っている者もいる。

 二人は慎重に階段を下り、地上に戻った。不思議な階段を堪能した二人は門をくぐり外に出た。小屋の切符売りに話を聞いてみる。
「この階段はどこまで続いているのですか?」 
「さぁ……何せ昔からあるものだし、誰も突当たりまで行ったことが無いんですよ。どこまでも続いている」

 途中で風にあおられて落ちたのか、上ったまま帰ってこない客もいると言う。やれやれ、恐ろしい観光名所もあったものだ。
「観光も命がけであるものだなぁ」 










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