――楽園への旅路


 嵐が来ようとしていた。時間は夕方のはずだが、空には分厚く暗い雲が立ち込め雷鳴をとどろかせている。いまにも雨が降り付けそうで、風はびゅうびゅうと吹いている。その闇を切り裂くヘッドライトが二本伸びていた。小さな車が車体を軋ませ荒野を突き進んでいく。

 エンジン音が通常の車と違い悲鳴を上げるような異常音を発していた。運転手の娘は暗い車内で不安そうな顔をしていた。嵐の真ん中で車が止まったら……不安は的中した。荒野の真ん中、土の色が変わっただけの道の真ん中で車のエンジンが止まった。速度がどんどん落ちていく。

 娘は舌打ちをして車から降り、ボンネットを開けた。焦げ付くようなにおいが溢れだす。どうしたものか。懐中電灯で装置を照らしてみるが、暗くてよく分からない。雷鳴がとどろき、大きな雨粒が娘の頭にぽろぽろと落ちてきた。娘はボンネットを閉じ、肩をすくめた。

 辺りを見渡すと打ち捨てられた荒城がひとつ目に入った。娘はそこで一夜を明かすことにする。車内もいいが、あの車は雨漏りがするのだ。懐中電灯片手に荒城へと向かう。最悪山賊のアジトになっている可能性もあるが、ここは比較的治安のいい地方だ。慎重に城の内部に入っていく。

 荒城の中は静かでかび臭い匂いがした。城の中は綺麗に砂が積もっていて、たき火もできそうだった。しっかりとした石造りの城で、あちこち天井が崩落しているが今にも壊れそうと言うほどではない。薄黄緑色の蔦が天上の穴から垂れ下がり、雨の雫が伝っていた。

 娘は足元を注意深く照らした。そしてぎょっとして辺りを警戒する。砂地の地面にはいくつかの足跡があったのだ。誰か先客がいるのだろうか。ここを根城にしている盗賊団……? 娘は危険に思い車に戻ろうとした。しかし彼女が振り返ったとき……出口の方に松明の明かりが見えたのだ。

「誰かいるのか?」
 訛りの強い低く唸るような声が聞こえた。娘は咄嗟に隠れる場所を探すが、あいにく一本道で影になりそうな場所は無かった。やがて娘がおろおろしてる間に、滑るように松明を持った巨大な影が通路の奥から躍り出た。なんとそれは赤銅の肌をしたミノタウロスだった。

 娘は死を覚悟した。ミノタウロスは辺境の蛮族で、凄まじい怪力を持つ牛頭の亜人だ。その力を武器によく傭兵などをしている。時には山賊行為を行う者もいる。彼も革鎧を身につけ腰に大きな鉈をぶら下げていた。しかし、娘が怯えて動けないでいると以外にも彼は柔和な表情を見せたのだった。

「心配することはない。襲うつもりは無い」
 ミノタウロスは腕を広げ平和的なジェスチャーをした。娘がびっくりしておどおどしていると。さらに話を続ける。
「俺は山賊でも殺人鬼でもない。ただの隠者というか世捨て人さ。娘さん、どうしてこんなところに?」

 娘は落ちついて自分の状況を話した。車で移動中車が故障したこと、この荒城に避難してきたこと、自分はレイシィという名前であること……。ミノタウロスは笑ってレイシィを奥へと案内した。
「一晩泊っていくといい。俺はグレン。ここに住んでいる者だ」

 荒城の奥へ進むと、大きな囲炉裏と毛皮でできた簡易ベッドがあった。グレンは松明で囲炉裏に火をつけ、薪を投げ込む。すると炎が上がりその小さな部屋を照らした。天井は煤で汚れ、砂地の地面にはところどころ灰が散らばっている。出入り口が3つある正方形の部屋だ。

 グレンは真鍮で出来た薬缶を囲炉裏に吊るしお湯を温め始めた。ひびが補修されたセラミックのティーポットに茶葉を入れる。
「紅茶でも飲んで暖まるといい。まぁ、ゆっくりしてくれ」
 レイシィは埃を払って囲炉裏の傍に腰を下ろした。グレンは長くここに住んでいるようだった。

 しばらく沈黙が続いたが、お湯が沸き紅茶が入るとグレンはぽつぽつと喋り出した。
「久しぶりの客だ。俺の話でも聞いていってくれ。俺も昔は普通のミノタウロスの傭兵だった。戦場を渡り歩き、たくさん殺してきた……」
 彼は戦士だった。戦場ではいつも恐れられる存在だった。

 彼を見つめる視線はいつだって怯えと恐怖の色に塗りつぶされていた。グレンはそんな荒んだ生活がだんだん苦しくなってきた。もっと自由に生きたい。殺し、殺される中で生きるのは疲れた。もっと穏やかな世界を見つけたい。だが、別の生き方が分からない……。

 彼はある日護衛対象の旅人と語り合い、その自由を知った。そして彼はその仕事の後傭兵をやめ、薬草を摘んだり薬草から薬を作ったりして生活することにした。野戦での知恵だ。そしてこの地方に流れ着き、この荒城に身を寄せている。いまでは生活も大分軌道に乗ってきた。

「俺はその旅人から聞いたんだ。この世のどこかにミノタウロスたちの楽園がある。そこは俺達の種族の故郷で、戦いを忘れて生きられるというんだ。しかし俺達はその場所を見失い、戦いながらさまよい生きている……俺は、そこにいつか辿りつきたいんだ」

 それからグレンはレイシィと遠い異国の話に花を咲かせた。いつか辿りつける場所がどこかにあるのだろうか。グレンはこうして旅人と語り合い楽園を探しているという。レイシィは夜も更けてきたので眠くなってしまい、横になった。そしてグレンに言った。

「グレンはもう楽園を見つけてると思うな……夢見れるならどこでも楽園になれるよ……」
 そしてレイシィは寝てしまった。グレンはそっと彼女に毛皮をかぶせてやった。
「楽園か……」
 グレンは一人つぶやき目を閉じた。そのままベッドに倒れ込みずっと考えていた。

 翌朝、雨はすっかりあがっていた。レイシィは車のボンネットを開け、修理をしている。
「よし、なんとか動くかな……」

 運転席に座りエンジンキーを回す。雨漏りのせいでシートが冷たい。エンジンは何度か空回りしたものの、幸運にも無事動き始めた。彼女は窓を開け、荒城に向かって手を振る。
「さよなら、グレンさん!」

 グレンは荒城の見晴らしのいい櫓に座り、レイシィに手を振った。車はすぐに丘の向こうへ小さくなって消えていく。彼女はどこへ行くのだろうか。それは聞くのを忘れてしまった。グレンもどこかへ行くのだろうか。それは彼自身にも分からなかった。

 だが彼の視線の先には、いつも楽園があった。嵐の通り過ぎた空は、青くどこまでも透き通っていた。











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