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お題 石ころ 煙 ねずみ


 煙突掃除のミルイは今日も煙突掃除の仕事をしていた。この街にはとにかく煙突がある。煉瓦と漆喰の壁でできた工場が幾つも建ち並び、それぞれ赤い屋根からは煙突が伸び黒煙を吐きだしている。街の空は排煙で灰色に煤けていた。

 ミルイは煤だらけのブラシを手に煙突の中を覗きこんでいた。大分煤が溜まっている。長い柄のブラシを器用に使い煤を掃除していた。彼女の顔は煤だらけで、着ているデニムのオーバーオールも汚れたり穴があいたりしている。ミルイは年頃の娘だったが、綺麗な服など着たことが無かった。

 掃除に一区切りをつけ、彼女は昼食を取ることにした。灰色の雲の向こうにうっすらと太陽が見える。もう昼になっていた。ミルイは器用に柄の長いブラシを畳み煙突から降りる。屋根の上には昼食のサンドイッチが入った鞄が置いてあった。

 煙突の梯子を降りるミルイだったが、彼女は小さな声を聞いて下を見下ろした。屋根の上に誰かいる。誰か……いや、人ではない。小さな動物……ねずみが一匹屋根の上にいた。ねずみが喋ったのだろうか。ミルイは眉をしかめた。

「お嬢さん! お嬢さん! お願いがあります!」

 ミルイはねずみを踏みつぶさないように注意して屋根の上に降り立った。ねずみは足に縋りついて頼みごとをした。

「お嬢さん! あなたの昼食を少し分けてほしいのです!」

「たしかに鞄の中にはサンドイッチがあるけど……なんでまた」

「わたしの家内が病気なのです! しかし最近の食料庫には猫が番をしていて近寄れないのです。何か栄養のあるものを食べさせたいのです!」

 しかしミルイはその願いがとても見当はずれに思えた。

「ねずみさんよ。なんでまたわたしなんかに頼むんだい。わたしの昼食はそんな豪華なもんじゃないよ。肉だって入ってないさ。ただのピーナッツバター・サンドだよ。もっと他に頼む人がいるんじゃないかい」

「もちろんただで頂こうとは言わないのです!」

 ねずみはミルイの疑問にはすぐに答えず、毛皮の間から小さな石ころを取り出して言った。

「これは我が家の秘宝なのです。この石を手に握ると幸せな夢を見ることができるのです! でも夢では腹は膨れないのです……失礼ですが、お嬢さんは夢を失いつつあるのです。この石はあなたに絶対必要な物なのです。だから、小さすぎる対価でもきっとお嬢さんの役に立つのです!」

 ミルイは少しがっかりとしてしまった。そんなに夢のない顔をしているのだろうか。しかし、その失った夢というものをミルイは少し期待せずにはいられなかった。彼女はいつも煙突掃除の繰り返しで心が疲れてきていたのだ。

「よしわかった。騙されたと思って交換に応じるよ。サンドイッチは一つでいいかな? これ以上は、わたしの午後の仕事に支障が出てしまう」

「ありがとうございます!」

 ねずみは飛びあがって喜び、サンドイッチを受け取った。そして石ころをミルイに手渡す。小指の爪ほどの大きさだ。ねずみは何度もお礼を言いながらサンドイッチを背負って壁を降りていって見えなくなった。

 ミルイは残った3切れのサンドイッチを食べ、少し眠ることにした。午後の仕事までしばらく昼寝をする。ミルイは屋根の上に横たわり、太陽の光を浴びてうとうとし始めた。手の中には例の石ころを握って。

 その日は特に疲れていたわけでもないのに、彼女はすぐ眠りに落ちた。夢の中で彼女は学校に通っていた。同級生はみなねずみの姿だったが特に気にはしなかった。彼女は楽しい学生生活を過ごしていた。

 3年の月日はあっという間に過ぎていった。彼女はその中で恋をし、結ばれて、卒業後も一緒にいることを誓い合った。彼女は泣いていた。これは彼女が手に入れたくても手に入れられなかった夢なのだ。

 彼女は義務教育を終えた後すぐ煙突掃除の仕事についた。もっと華々しい学生生活を送りたかった。恋も人並みにしたかった。だが、それは叶わぬ夢だった。向かいに立っているはずの恋人……ねずみの姿だったが、彼の姿が涙で滲んでいく。もう嫌だ。手に入らないものを夢見て何になるだろう。

 ミルイは目を覚ました。彼女の目は涙で濡れていた。苦しい夢だったが、もう大丈夫だ。夢を失ったものにとっては夢そのものが毒になるのだろうか。いや……。

 彼女は笑った。これは夢ではなく、夢の残滓に過ぎない。ねずみが勝手に見た夢物語だ。彼女は握っていた手を開いた。そこには砕け散った石ころの破片があった。

「ねずみさん、煙突掃除も楽しいものだよ」

 そう言って彼女は石の破片を空の向こうに放り投げたのだった。










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