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――砂の魚#1


 そのオアシスは灰土地域北東にある白亜砂漠にあった。一面の砂の大地にぽつんと緑の木々の生い茂る場所がある。南国の暑い気候に様々な南国の果実が実るそこは有名な観光地だった。レジルとミレウェの二人もまたそこに観光に訪れた。そのときの話である。

 砂の船が大地を滑るように進み、オアシスの港へと到着した。砂の船は巨大な箱舟のような形をしており、豪華客船を思わせる。それは魔法の力で推進し、砂漠の旅をかなり快適なものにしている。レジルとミレウェは港のタラップから恐る恐る降りた。

「いやはや、流石南国。暑いね」

 小さなカイゼル髭を生やした若い紳士、レジルは南国に似つかわしくなく黒いスーツを着ている。シルクハットに木彫のステッキ姿はまさに紳士のいでたちだ。日傘も差さずかなり暑そうに見えるが、彼は汗ひとつかいてない。

「日焼けをしてしまいそうですわ」

 白を基調としたドレスに革のコルセットをつけた婦人がミレウェだ。そのスカートはくるぶしまで届く巨大なもので、ワイヤーで補強されフリルが詰まっている。だが、やはり彼女も汗ひとつかいていない。

 タラップは木の梯子を組み合わせたようながらくたで、降りるのに難儀したが二人は長旅の末ようやくオアシスへ辿りついた。このオアシスにはベリメルクという名が付いており、この地方の言葉で水の都という名らしい。

 街の入り口には木製のアーチがかかり、観光客をもてなす言葉が書かれている。だがミレウェは街に入る前に街の外の森が見たいと言い出したため、二人で森を散策することにする。そう、街の外には奇妙な森があるのだ。

 その森は街を取り囲むように生えていて、多くの木々が緑や黄色の果実を実らせていた。奇妙なことに、砂地からにょきにょきと生えているのだ。砂地も乾燥していて、とても水があるようには思えない。だが木々は青々と生い茂っていた。

「落ち葉とかどこに行ってるんだろう」

「ふむ……燃料用に回収しているのかもな」

 二人は話に花を咲かせながら南国の森を歩いていた。木々は高く伸びていて日光を遮りかなり涼しかった。街の人だろうか、籠を背負い器用に木を登って果物を取っている。

 二人は森を進むうちに、不思議な場所を見つけた。それは森の中にあり、そこだけ木が生えていなかった。空がぽっかりと顔を出していて、丸い日だまりを作っていた。そこに男が一人いた。奇妙なことに……彼はそこで釣りをしている!

「こんなところで何をなさっているのですか?」

 レジルはシルクハットを取り挨拶をしながら男に話しかけた。男は笑って釣りをしていると言う。しかし、釣竿を持っているものの釣り糸は砂地に沈んでおり、そこにやはり水など無かった。

「砂地で魚が釣れるものなのでしょうか」

 ミレウェの疑問ももっともなものだ。男は釣り糸の先をじっと見つめながら言った。

「自分は釣りが何よりも好きでね、いつもどんな時でも魚を釣ってきた。でももう普通の魚じゃ自分の欲求を満たせなくなってきたんだ」

「そりゃ釣りは好きさ。でも釣り糸を垂らしてかかって引く。その繰り返しに少し遊びが欲しくなってきたんだ。難しいところで釣りをしよう、誰も釣ったことのない魚を釣ってみよう。そういう、思いがね」

 男の視線はどこか遠くを見ているようだった。

「それでとうとう砂地で釣りを……?」

「まぁそういうことだな。ここで釣ったら凄いだろう」

 確かに凄いは凄いが……思い切った挑戦もあったものである。しかしレジルはそんな変わり者たちを幾度となく見てきた。

「なるほど、貴方にしか見えない道というのもあるのでしょうな」

「ハハッ、分かってくれたか。みんな馬鹿にしているが……ここには、確かに魚がいる。俺には分かるんだ。ずっと……釣りをしてきたからな」

 男は少し照れながら笑った。男は真剣に釣り糸と釣竿を見ている。一見は確かに狂人にしか見えないだろう。だが、確かに男は信じているのだ。そんな彼を止めたり馬鹿にするなど無粋なことであろう。レジルはそう思っていた。

 レジルはミレウェを見た。彼女もまた同じ思いのようだった。二人は新婚旅行の世界一周の旅で様々なひとたちを見てきた。彼らはみなひととは違う夢を持ち、多くは時代に埋もれていった。だが、世界を変えた者も確かにいる。

 彼がどうなるかは分からないが、不帰の道へと旅立つ旅人を指差し野次を飛ばすようなことは出来ようか。ミレウェはせめてもの手向けに彼に短い祈りを捧げてやった。そうして彼らは別れ、レジルとミレウェは街の観光に戻った。

「きっと釣れると思いますよ」

 ミレウェはいつものように静かに笑って言った。空は雲ひとつなく風は夏の匂いを感じさせた。森を抜け先程のアーチへ辿りつく。アーチの向こう側はオアシスの目抜き通りだ。

 そこで、レジルは先程アーチを見た時には気づかなかったあることに気付いた。目抜き通りに立て看板が立っており、小さく人混みが出来ているのだ。さっそくレジルはミレウェと共に立て看板の元へ近寄ってみる。

「困ったことになった……」「どうすればいいんだ……」

 人だかりは皆オアシスの住人のようだった。一様に困った顔をしながら立て看板を見ているが、ひとが多く文字が見れるほど近寄れない。

「失礼。何か揉め事でも?」

 レジルは近くにいた男に聞いてみる。男は快く答えてくれた。

「ああ、観光の方ですか。ちょっと難問がありましてね。ここのオアシスの領主……このオアシスの水源を管理している地主様がですね」

 聞けなその領主が最近自分の庭に池を作ったというのだ。そこまでは別によかったのだが、その領主が自分の池に魚を飼いたいと言い始めたというのだ。このオアシスにはもちろん、遠くに行こうとも砂漠ばかりで魚などいない。

 魚を生きたまま運搬し、広大な砂漠を越えて来いというのだ。砂漠では水は重要だ。大型の砂の船でも、飲料水を確保するだけで精一杯だ。とても生きたままの魚を持ってくるなど、不可能だ。しかしそれを持って来いと立て看板には告げられているという。

「領主さまはオアシスの水源を管理なされています。持ってこれないと、水の値段を倍にするというのです。これには我々はどうすることも……」

 男もレジルも、フゥームと唸ってしまった。確かに難題だ。

 そのときミレウェがレジルの脇を指で小突いた。顔はムフフと笑っている。

「さっきの、さっきのひと」

 そう囁くのだ。

 レジルも、それを聞いて彼を思い出し、にやりとした。


――砂の魚#2


 レジルとミレウェは急いで来た道を引き返した。魚を釣ろうとしていた男、彼なら領主の要求に応え生きた魚を手に入れることができるかもしれない。二人はもう一度森に入った。森は涼しく、木は光を遮り薄暗い。

 記憶を頼りに森を進むと、先程の日だまりに辿りつくことができた。やはり男はそこでじっと魚を待っている。男はレジル達に気付き、挨拶をした。

「どうも、どうしたので?」

「街で起きてる騒動を知っていますか?」

「いいや、街にはあまり立ち寄らないね。それよりも魚が釣れるかで精一杯なんだ。今にも釣れそうな、でもまだまだ時間がかかりそうなそんな予感がするんだ」

 レジルは男に領主の要求についてざっくりと説明した。

「なるほど、魚ねぇ……」

 男は別段興味を持ってはいないようだったが、しばらく考えたのちフフッ笑うと笑顔で振り向いた。

「いいだろう、いい腕試した」

 そしてまた視線を釣り糸の先に戻して話を続けた。

「俺はいままで自分のために魚を釣ってきた。自分の腹を満たすため、そして自分の向上心を満たすため。こんなどうでもいいことが他人の役に立つなんて考えたことは無かった」

「でももしそれがひとのためになるなら……それは素晴らしいことだと思う。俺もとうとう皆から必要とされる……皆のためにその技術を使う、その時が来たってわけだ」
 男は先刻あった時のような真面目な顔ではなく、照れるように笑顔を見せながら自己紹介した。

「俺の名はクローキ。まかせてくれよ、とびっきり活きのいい魚を釣ってやるからよ」
 それを聞いてレジルもミレウェも互いの顔を見て笑い合った。そして二人もクローキに向かって軽く自己紹介をする。

 レジルはシルクハットを脱ぎ、深々とお辞儀をして言った。

「僕はレジル。新婚旅行の最中でね、世界一周旅行の途中なのさ。各地の観光名所をしらみつぶしに回っている。これでも昔はそこそこの冒険者でね……冒険者の仕事で妻と出会ったんだ」

 ミレウェはスカートを摘んで、行儀よくお辞儀をした。

「レジルの妻ミレウェですわ。射撃が得意ですが、魔法の心得も少々。今までたくさんの場所を訪れましたわ。その中でたくさんのひとと出会い、別れてきました……」

「どうもどうも。このオアシスはいいところでしょう。……いや、本当のことを言うとここに来てから少しの間準備をして、それからずっと釣りをしているので……どこがいいとかはあまり言えないのですがね。ははっ」

 クローキは自分が狙っている魚のことを語り始めた。それは白亜砂漠の地下深くに住む奇妙な魚だ。砂の魚と呼ばれ、詳しい名前はまだついていない。普段はじっと眠っているが、時折眠りから覚め地中を高速で移動するという。

「なるほど、ちゃんと狙いがあったのですね。安心しました」

「ハハッ、目標も無く挑むほど酔狂じゃないさ」

 クローキは話している間も砂に沈んだ糸の先から目を離さない。糸にはラベルが貼ってあり、これが浮きのように目印となっているのだろう。

「砂の魚は眠りにつく間周囲の水を飲み干してしまう。このオアシスも元はたくさんの水で溢れていたはずなんだ。そしてそいつは……そろそろ目覚めていいはずだ。そのチャンスを狙っている」

 正確にはその時期は分からないようだったが、1ヶ月の期間くらいには絞れたらしい。しかし結果は出ないまま3週間が過ぎようとしている。いつ魚が目覚めてもおかしくない時間だ。クローキは寝る間も惜しんで釣竿を構えたという。

 寝る時は竿を握って座ったまま寝た。一瞬でも竿が動けば起きられるように……クローキはかなり痩せていた。元はもっと肉があったと笑う。落ちくぼんだ目からはかなりの疲労が感じられた。

 しかしその爛々と光る眼には恐ろしいまでの情熱と執念が感じられた。釣りの一瞬のチャンスを逃すまいと、まばたきさえ惜しむような……そんな思いが詰まっている。しかしクローキ自身はそんなことを気負いもせず自然とこなしているようだった。

「釣りの偉人……メレシエッキは座ったまま釣りをしすぎて両足が腐ってしまったことに気付かなかったという……その後神々から魚の足びれを貰ったそうだがね。私はそこまでじゃないが、そのくらいになってみたいね……」

 レジルとミレウェ、そしてクローキはしばらく語り合った。クローキはいままで一人で誰と話すことも無くずっと釣りに集中していたらしい。レジルとミレウェはクローキのいままで釣った魚などの話を聞き、話を弾ませた。

「人生の道はいくつもある。そこには行き止まりの道もあれば開かれている道もある」

「どんなに無理な道に見えても、開かれている道はあるのさ」

 クローキはじっと、病的な目で糸の先を見つめ続けている。

「俺はどんな不可能とされた釣り場でも魚を釣ってきた。これは俺の誇りさ。経験が俺を強くするんだ。決して誰から褒められることは無い……だけれど、その経験が俺を何度となく奮い立たせる」

「初めは一匹の釣果だったかもしれない。それが百、千、そして万と数えるたび情熱は確信へと変わっていった。この道の先に何があるかはわからない。ただ、道が続いてることだけがはっきりとわかったんだ」

「その確信は道を歩いてるものにしか分からない感覚だと思う。少なくとも、その領主は……」

 そして言葉を途切れさせた。フフッと笑い、視線を糸の先から逸らさずにいう。

「領主をここへ連れて来てくれないか」

「見せてやりたいよ、目的を達成するには本気が必要だってことを。それを他人に任せているようじゃその道は閉ざされた道だね」

 レジルはクローキの執念の目を見た。その目は自信に満ち爛々と輝く。レジルはわかった、と短く応えた。そしてミレウェを連れて再びこの日だまりを後にした。午後の太陽は天中を過ぎ次第に傾きつつあった。


――砂の魚#3


 レジルとミレウェは早速領主の館へと赴いた。オアシスの建物は土を固めてできた粗末なものであったが、領主の館は煉瓦で出来ており、漆喰が白く眩しい豪華な建物だった。門番に魚の件を話すと、中へと通してくれた。

 領主の敷地は外の森やオアシスの街中と違い豊かな下草が生えていた。レジルは旅の中で知っている……この植物たちは南国の珍しい草花だ。砂漠に自生しているようなものではない。なるほど、領主は収集癖があるらしい。

 草原のような庭を横切り領主の館に入る。館の中は汗が乾くほど涼しい。空調設備か、魔法がかかっているのだろう。いずれにせよかなり豪勢な設備だ。レジルとミレウェは広間に通された。すぐ壇上に領主が現れる。

「おお、そなたたちか、魚を持ってきてくれるのは!」

 レジルはクローキのことを手短に説明した。もうすぐ魚が釣れそうなこと、彼は森で釣りにかかりっきりになっていること。しかしそれを聞いた領主は顔を赤くして怒り始めた。

「ふ、ふざけるな! 砂地で魚が釣れるわけが無い! そんな馬鹿なことを言っておらんでさっさと生きた魚を持ってこんか!」

「しかし、確かに砂の魚はいるというのです」

「嘘に決まっておる!」

 領主は怒り狂い、壇上の花瓶を掴んでレジルに投げた。花瓶はレジルの目の前に落ち破片と水を撒き散らして砕け散る。だがレジルは微動だにせず領主を見上げていた。ミレウェは困ったように両者を見ておろおろしている。

「……たしかに馬鹿げた話かもしれないですな。ただし領主どの、あなたの要求も同じくらい馬鹿げたものであることを認識すべきです。こんな砂漠で魚を求めるというのは、砂地で魚を釣るのと同じような物ということを」

 領主は怒りに震えていたが、やがて大声を上げ家来に命令した。

「馬を用意せよ! その馬鹿者を、一目見てくるわ!」

 家来はそれを聞くと、慌てて奥へと行ってしまった。領主はクローキの元へ行くらしい。そして元の尊大な表情に戻る。

「貴様ら、その男のもとへ案内せよ」

 それを聞いたレジルとミレウェはお辞儀で応えた。領主は煙草をポケットから取り出すと、家来に火をつけさせてぷかぷかと煙を吐いたのだった。

「お前か、砂から魚を釣ろうとする愚か者は」

 森の奥、日だまりに領主、レジル、ミレウェ、そしてクローキが一堂に会した。領主は相変わらず尊大な態度で馬上からクローキを見下ろす。

「愚かにもいろいろあってな……我儘を言うのと自ら追い求めるのは違うさ」

 領主は一層怒りの表情を深くした。いままで領主の前に出てくるものはみな領主にへりくだり、領主の言うことに従ってきたものばかりだ。

 領主は今にも叫びだしそうだったが、ふふんと鼻を鳴らし煙草を掴んだ。そして火をつけ大きく煙を吐き出す。

「そうか、お前は気づいていないのだな」

 クローキを見下ろしながら、そう続けた。

「追い求める? 違うな。お前は自分に我儘を言っているのだ。魚が釣れるはずだと自分を騙し、無理難題を押し付け、どこまでも無駄な道を歩いておる。釣れるはずが無いのにな!」

 クローキは黙ったまま釣り糸の先を見ている。だが、彼の額には僅かに汗がにじんでいた。

「そもそも私は領民の者どもに水を分け与えている……これは立派なことだぞ? 水が無ければひとは生きていけないのだからな。お前はどうだ? 砂地で魚を釣ってどうになる?」

「自らの我儘のいいなりになってお前が好き勝手している間、私は民のために水を分け与えているのだぞ? そこはどうなのだ? お前の道の先には何がある? 荒れ地に続く道など無いにも等しいのではないか!」

 クローキは黙ってそれを聞いていた。竿を握る手に力が込められたが、彼は釣り糸の先から決して目をそらさず、声の一つも上げなかった。彼はじっと黙ったまま、釣りを続けていた。何を言い返すよりも、それは彼の信念を現していた。

「どうした? それが間違っているというのなら、今すぐ魚を釣って見せよ。出来ぬだろうがな、ハハハハッ」

 そう言って、領主は手綱を引き日だまりを去った。後には彼の吸った煙草の嫌なにおいだけが残った。

 レジルもミレウェも黙っていた。何か慰めの言葉を言おうとしたが、クローキはフフッと笑って言うのだった。
「そのくらい分かっているさ……ただ魚は必ず釣れる。それだけさ」


――


 結局その日から3日が過ぎた。クローキは……変わらず、変わらず釣り糸の先を見つめていた。レジルとミレウェはクローキに水や食料を持って来てやった。クローキはほんの少しパンを齧っただけでまた釣りを続ける。

 街ではクローキのことが囁かれた。何かを成し遂げてくれるか、それはわからない。領主は相変わらずクローキを馬鹿にしているようだった。しかしそんなこともクローキは全く気にしていないようだ。

 彼はいつも釣竿を握り、決して手放すことは無かった。そんなクローキをレジルとミレウェはいつも見守っていた。クローキは二人にここを去らないのか聞いてみる。レジルはにこやかに笑って言った。

「ここから私たちが去ってしまったら、あなたの道が閉ざされてしまう……そんな気がするんです。私たちは応援していますよ」

「……ありがとう、信じてくれて」

 クローキも笑った。だが、彼は二人に街へ戻っていいという。長い闘いなので、付き合う必要は無いと。

「感謝してるよ。だけれど君たちも観光の途中だろう。オアシスでゆっくり羽をのばしてくるといいよ」

「あそこはたくさんの果物やおいしい料理もある。こんな半分干からびたような男に付き合うだけじゃもったいないよ。ハハッ。俺のことは心配いらないよ。結果だけ持ってくるからさ」

 クローキは4日後来てくれという。それが最後のチャンスだと。その日までには必ず……釣って見せると。


――砂の魚#4


 レジルとミレウェは約束の日まで観光を楽しんだ。このオアシスはたくさんの甘い果物があり、食べ物もスパイスが効いていておいしい。だが、やはり頭の中からクローキのことが離れることは無かった。

 二人は旅の中でたくさんの人たちに出会ってきた。彼らの夢が果たされる時もあったし、果たされない時も同じようにあった。ただ魚を釣るだけだ。釣るだけのことに彼は全てをかけているのだ。

 夢が果たされても、一匹の魚が釣り上がるだけ。だが、レジルはそこに込められた思いを感じずにいられなかった。それはミレウェも同じだった。そして……約束の日が来た。レジルとミレウェは宿で眠りについている時だった。

 レジルとミレウェのオアシス滞在もまた最終日を迎えた。二人は今日この街を去りさらに南……竜芽山脈を越えて新たな街を目指すのだ。窓辺には極彩色の鳥がとまり、朝の歌声を響かせている。東向きの窓から朝日が差し込み、レジルの顔を照らした。

 ミレウェは美しい寝顔で隣に横たわっている。レジルはゆっくりまぶたを開き、腕を伸ばし伸びをした。今日も一日が始まる。何気ない普通の一日が。レジルはベッドから起き上がり、コンロにポットをかけた。紅茶でも飲もうとした、その時だ。

 ズズーン……と遠くから振動が響いてくる。地震だろうか? レジルはコンロの火を止める。続いて数回の地鳴りが響き、窓を揺らした。ミレウェも起きたようだ。目をこすりながらベッドから起き上がる。

「レジル……これは……」

 ドーンと大きな振動が響いた! レジルは窓を開け街の外を見渡した。鳥が驚いて街のあちこちから飛びあがる。レジルは街の外、森の中に土煙を見た。あの場所は……。

「クローキのいた場所じゃない?」

 ミレウェがレジルの後ろから外を見る。確かにあの森の場所から土煙が上がっている。そして土煙の奥に……何か巨大な影が見えたのだ!

「やったんだ……彼はやったんだ!」

 レジルは急いで着替え始めた。ミレウェもそれに続く。宿を飛びだすと、街のひとがみな外に飛び出し土煙を眺めていた。

「砂の……魚……」

 今や土煙の向こう側にぼんやりとその巨体が見えるようになっていた。砂のような黄色い鱗に三角形の頭、鰭は長く極彩色に染まっている。そう、巨大な……森をひと飲みするような巨大な影が砂を巻き上げ踊っていた。

 そしてその巨大な魚は大きく身をよじると、空高く跳ね上がった! 七色の鰭を翻し、空中を泳ぐ。目指す先は……領主の庭だ! 魚は眠りから覚め、水を求めていた。水にめがけて、彼は空中を泳いだ。

 魚が空中を舞うと、その跡は七色の虹になった。俄かにさらさらとした雨がオアシスに降り注いだ。街のひとは魚だ、魚だと大喜びで雨に打たれている。魚は、そのエメラルドグリーンの大きな目で銀色に揺れる小さな水面を見つめていた。

 そして、魚は領主の池をひと飲みにする……。


――


 領主は轟音で眠りから覚めた。豪奢な寝間着をひっかけたまま、彼は裸足で館を駆けた。
「何事、何事だっ! 何が起こった!」

 館の警備員が武装し彼に付き従う。

 門を開き、庭に飛び出す。領主は呆然とした顔で庭を見るしか無かった。警備員たちは絶句している。広く大きく、豊かな水をたたえていたはずの池が……一滴の水も残さず渇きひび割れた泥の底を見せていたのだった。

 領主は力なくへたり込み、呆然と呟いた。

「水が……水が無くなってしまった。水が……」

 池を中心として周辺の土が次々と乾いていき、草木が萎れていく。その光景を領主はただ見ていることしかできなかった。


――砂の魚 エピローグ


 数年が過ぎた。レジルとミレウェは旅を終え、帝都に居を移した。そんなある日、レジルは新聞の記事にオアシスのその後を見つけたのだ。オアシスの外周に新たな水源が出没し、オアシスの規模は数倍になったという。

 レジルは新聞を読みながら椅子に座っていた。そばのテーブルには温かいコーヒー。ミレウェが淹れてくれたものだ。ミレウェはこの新居の窓から外を望遠鏡で眺めている。

「レジル、眺めのいいとこね。ここに家を買ってよかったよ」

 コーヒーの香りが新居の新しい匂いと混じって心地よかった。レジルは新聞の続きを読む。そこには昔の領主の話も載っていた。何でも、あの後領主の水源は逆に枯れてしまい、領主は破産したというのだ。

 オアシスは活気に満ち溢れ、豊かな水源を利用し果樹栽培を拡大させているらしい。そういえば砂の魚は水を食らうという。あのとき森に潜んでいた魚が領主の土地へ移動し、水を吸い尽くしてしまったのだろうか。

 あの後街を出るまでクローキに会うことは無かった。彼は約束通り魚を釣り上げたのだろうか、それとも偶然だろうか。それは分からなかった。ただ、彼が信じた魚はいた。それだけは確かだ。彼はきっといまでも魚を釣っているだろう。

 コーヒーを啜り、レジルは新聞を畳んだ。そしてミレウェの方に目を移した。ミレウェは相変わらず帝都の景色を楽しんでいる。新婚旅行が終わっても、彼女の好奇心は尽きることは無い。ミレウェは望遠鏡でセラミックプレートの街並みを眺めていた。

 帝都の景色はいつまでも飽きないものだった。巨大な重機が動き、工場は黒煙を上げ、街を行き交う魔法使いは色とりどりのマントを着ていた。不意にミレウェは屋根の上、雲の向こうに何かを見つける。

 それはとても小さく、雲の上にいるようだった。ミレウェは不思議に思い望遠鏡で拡大してみる。どうやら、人間が雲の上に座っているようなのだ。さらに拡大すると、ミレウェはそれに気付いた。そして笑顔を見せる。

 雲の上で……魚を釣っているクローキの姿がそこにあったのだ。


――砂の魚 (了)










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