――歌の街 雑踏のざわめきでさえ、この街ではひとつの音楽だった。ここは歌の街と呼ばれる芸術都市だ。過去何人もの世界に名だたる歌手を輩出し、そしてそれを目指し灰土地域各地から志望者が集まる。不協和音は完全に歌声にかき消され、大空に音楽が渦巻いていた。 フィルとレッドはそんなこの街の噂を聞き観光にとこの地を訪れた。街に到着した彼らを迎えたのは大音量の音の波だった。街中にスピーカーが設置され多種多様な音楽を奏でる。街の至る所で歌手が歌声を張り上げその存在を誇示していた。その情熱を現したように、街は赤で彩られている。 「すごい……耳が爆発しそうだ!」 「レッド、この街を現す言葉にこんなものがある……”音楽、無料。静寂、非売品。”だ」 「地面に潜ったって音は聞こえてきそうだな」 彼らは半袖の白いシャツと黒いズボンの同じような格好でこの街の目抜き通りを歩いていた。 夏の風が二人の間を通り抜けていた。普通はセミが鳴いているだろうが、この街にはセミがいない。説話では、歌声の強さに負けてセミが逃げだしたと言われている。街路樹は深緑に染まり勢いよく茂っていた。赤いレンガと赤いセラミックプレートの屋根の同じような建物が続く。 目抜き通りには露店がいくつも並び、レコードディスクを無造作に何枚も積み重ねていた。世界中の歌がこの街に集まるという。録音したての新鮮な歌声で市場は嵐のように塗り変わっていく。露店からは今日録音したばかりの新譜たちが流され、混ざり合ってこの街というひとつの音楽を作る。 二人は音楽が凄まじすぎて脳が疲れてきたので路地裏に避難することにした。路地裏では目抜き通りのようなやかましさは無く、ピアノの柔らかな旋律と優しい歌声が流れていた。赤いレンガの迷路のような入り組んだ路地には金管のパイプが張りめぐらされ、パイプの端の蓋をとると音楽が流れる。 この比較的静かな路地裏は音楽の迷宮とも比喩され、自分好みの音楽を探しに何人ものひとたちが迷い込むのだ。フィルとレッドはただの観光なので、そこら辺のパイプの蓋を開けては音楽を楽しんでいた。レッドは子供のようにはしゃぎあちこちの音楽を聞いている。 「なぁ、フィル。このパイプはどこに繋がってるんだろうな」 フィルは付箋だらけのくたびれたガイドブックをめくりながら答える。 「この金管パイプはこの街のどこかに無数にあるスタジオ一つ一つと繋がってるそうだ。誰かが聞いてくれる……そう信じて24時間放送されている」 そのとき、赤いキャスケット帽を被ったオーバーオールの少女が向こうからやってきた。背中には何かの機材を背負いマイクを持っている。 「そこのお兄さん、一曲歌いませんか?」 「へぇ、歌の街にはこんな余興もあるのか。もしかしてお代を取ろうなんて詐欺じゃないだろうね」 「もちろんお代はいただきません!」 少女はにっこりと笑って言った。フィルは不思議がったが、レッドはノリノリのようだ。襟を正して咳をし、マイクに向かって歌おうとする。しかし、何故だろう、声が出ない! レッドはびっくりして口をぱくぱくさせている。 少女はアハハハハと笑いながら姿がゆらゆらと揺らめいていき、完全に消えてしまった。レッドは泣きそうな顔でフィルを見て、口をパクパクさせている。フィルは困ったなとガイドブックをめくっている。やがて彼女の正体を現す記述が見つかった。 「声ドロボウに注意。歌の街では声さえも取引されます。怪しい人に歌声を披露しないこと……だってさ」 レッドは苦虫を噛み潰したような顔をして地団駄を踏んだ後、大きくため息をついた。フィルもどうしたものか……と考えていた時である。 「俺の声が無くなるなんて……」 レッドの声が戻ったのだ! フィルとレッドはどきっとして互いに見つめあった。 「声が……出る! 出るぞ!」 大喜びでレッドはジャンプして腕を振り上げた。それをアハハハハと笑う影。 声のする方を見上げると、赤い屋根の上で先程のキャスケット帽の少女が笑っていた。声ドロボウが声を返してくれたのだろうか? 「やっ、てめー! 何をした!」 レッドが声をかける。ジャンプをするが2階建の建物で届くはずもない。 「お兄さんの声は汚すぎて売れそうもないから捨てちゃったよ。じゃーねー」 そう言うと少女はまたゆらゆらとなって青空に染みるように消えていった。レッドはぽかーんとその様子を見ているしか出来なかった。背後でフィルが思わず噴き出す。 「レッド、よかったなー、声が汚くて」 フィルにからかわれてレッドは顔を赤くしてしまった。ラッパの音が響き渡り、ドラムが行進曲のように勢いよく叩かれる音がする。 「おや、パレードが始まったな。見ていこうぜ」 レッドはそれを聞くと急に機嫌が良くなった。 音の渦が街中を駆け巡り、ガラス窓がスピーカーのように振動していた。今日もこの街はお祭り騒ぎのように狂騒に明け暮れ、人々を迎え入れている。 |