――夏の城


 エリーは冬の山を歩いていた。雪はまばらだが、風が骨まで凍りつけるように吹いてくる。粉雪がちらつき、荒れ地の大地を僅かに濡らす。彼女は商人だった。隣町に薬草や木の実を運んで売るのだ。背嚢はずっしりと重いが、全部売っても大した金にはならないだろう。

 苦しい仕事だ。街の娘たちは綺麗な服を着てパーティーにでも出ているのだろうか。自分はといえば、同じ年頃なのにボロ切れのような防寒具でだるまのようになって荒れた山を歩いている……。靴底は薄く足が痛い。新しく靴を買いたい……そのためにどれだけ商品を売れば……。

 ふと、彼女は周りの景色に違和感を覚えた。来たことのない場所だ。雪で景色が変わって道に迷ったのだろうか。彼女は周りを見渡し、記憶と照らし合わせる。降ってくる粉雪はだんだんと大きさと勢いを増し、吹雪の到来を予感させた。急がねば……彼女は当てもなく歩く。

 遠くで狼の遠吠えが聞こえる。歩いても歩いても道はわからない。日は傾き、辺りは薄暗くなってきた。目的地の街のひとたちは暖炉の前で暖かい食事を食べている頃だろうか……エリーは涙をにじませながら、辛く寒い山道を進んだ。すると、前方に明かりが見えたのだ。

 街だろうか、いや、こんな山の中に街などない。山小屋か何かか……エリーはとにかくそこで一晩泊めてもらおうと思った。こんな山の中で凍えて死ぬのはごめんだ。明かりに近付くにつれ、目的の明かりはどんどん大きくなってきた。なんと、そこには大きな城があったのだ。

 大きな立方体の要塞のような城だ。少ない窓から明かりがもれる……それは山のゆるやかな斜面にまっすぐと立っていた。緑の萌えあがる若芽のような三角旗が下から照らされはためいている。城門の扉は開かれ大きな口を開けていた。中は薄暗く、どこまでも続いている。

 城にしては門番の一人もいなかった。辺りには誰もいなく、中からも人の気配はしない。とても奇妙な城であったが、エリーは中に入ってみることにした。こんなボロボロの遭難者を追い返すほど冷たいひとはいないだろう。城の中に足を踏み入れた途端、首筋に汗がにじんだ。

 恐怖だろうか? いや、これは……暑さだ。暖房が効きすぎているのだろうか? 湿度も十分にあり、乾いた鼻を湿らせた。城門をくぐってすぐ、2個目の扉が姿を現す。ここまで温かければ中に入る必要はないが、城の主に話を通しておいた方がいいだろう。

 エリーは大きな扉の横にある出入り口の小さな扉をノックした。しかし、ここに来るまで一人の人間も見たことが無い。無人の城なのだろうか。気づいてもらえれば……。少なくとも明かりが灯り暖房が効いているので誰かしらはいるのであろう。意外にも、すぐ扉は開いた。

「あのう、一晩泊めて……」
 そこまで言いかけて、エリーは驚いた。扉の先に誰もいないこともそうであった。だが、扉の先には中庭があり、まるで夏の森のように植物が生い茂っているのだ。扉から吹きつける風も完全に夏の物だ。

「これは……」
 エリーはさらに奥に入ってみる。中は植物園のようになっており、夏の森が完全に再現されていた。汗がにじむ。羽虫が飛びまわり、歩くたびに地を這う虫が逃げていく。上を見上げると、城の上部はガラスの天窓になっており、奇妙なことにそこから覗く空も青空だった。

 夏の植物園に見とれていると、誰かが緑をかき分けて姿を現した。ノースリーブの若草色ローブを身に纏った青年だ。髪は長く後頭部に結わえてある。
「ようこそ、夏の森へ」
「あなたは……?」

「この城の主人……といったところでしょうか。家来の一人もいませんが」
 話を聞いてみると、この城の中で来年まで夏を保存していると言う。夏はこの城で守られ、静かに息づいている。城の主人は木陰から台車を引き出す。

 その台車の上には湯気が立ち上る温かい鳥の丸焼きだとか、色とりどりのサラダだとか、香ばしい香りを漂わせるたくさんのパンが並べられていた。主人はボトルを取り出し、二人分のグラスにワインを注ぐ。

「この城には夏を渇望するものしか入れません。あなたは大切な夏の客人。ゆっくりしていってください」
 エリーはお腹が空いていたので、夢中でその御馳走をほおばった。いまなら街の住人の誰よりも自分は幸せだ……そう思いながら。

「あなたが望むなら、ここで永遠に夏の番人をしませんか。ここは年中夏です。悲しい秋も、冷たく凍える冬もありませんよ」
 エリーはそれを聞いて、どきっとして食べるのをやめた。夏は好きだが、このまま無条件の幸せに身を置いて何になるだろう。

「ごめんなさい。わたし、仕事があるの……隣町に商品を売りに行かなくちゃ」
「なるほど、残念です。けれども、夏はいつもここにありますよ。また、いつか」
 ゴォ、と突風が吹き、周りの木々や城のレンガが宙に舞う。主人は風に乗り、天高くどこまでも舞い上がっていく。

 エリーは吹き飛ばされないようにしっかりと地面の草に掴まっていた。突風は竜巻となり、渦を巻いて何もかもを吹き飛ばし、周りに再配置していく……。

 気付くと、エリーは夏の山にいた。セミがやかましく鳴いている。荒れ地の山の斜面の真ん中で、エリーは倒れていた。遠くに生い茂る緑の森。羽虫の飛ぶ音。青い空はさわやかな雲を浮かべどこまでも高かった。

 結局、エリーは二度とその城に出会うことは無かった。相変わらず生活は苦しかったが、苦しみを耐えて生きている。大丈夫、季節がめぐればいつだってあの夏に出会えるのだから。










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