――ナィレンの暴走特急#1



 かつて科学文明を築いた古エシエドール帝国の首都ナィレンは今日も静かな朝を迎えた。古代の都は今やそのほとんどの区域が放棄され建築物の残骸を晒している。栄光の都市の跡を眺めながら、薄汚れたバラックの群れは朝日を浴びる。

 巨大な特殊材質の四角い建築物群は暴走状態にあり、街のひとが住むことは無い。ナィレンの街のひとは、巨大建築物群を円環状に取り囲むボロ屋に身を寄せ生活していた。いつもと変わらない朝、のはずだった。

 高い警笛が朝のナィレンに響き渡り、鳥の群れが飛び去った。街のひとは巨大建築物群を見上げる。すると、いまだ健在している高架の上を、列車が動き出したのが見えたのだった。それを見た街のひとは青い顔で庁舎へと駆けだした。


――


 ナィレン庁舎は幾分豪華な建物だったが、その建物が揺れ動かんばかりの喧騒に包まれていた。旧ナィレンの鉄道システムが今朝突然復活したのだ。もちろん暴走状態になっている旧都市部でいくら列車が動いていようが構わないのだが……。

 問題は、古代のレールは都市外部まで伸びており、いまはその上に街が出来ているのだ。バラックの粗末な街ではあるが、たくさんのひとが住んでいる。しかもレール跡は破壊が不可能であったためそのままなのだ。

 このままでは全自動で動いている列車がダイヤ通りにやってきてしまう。……レールの上の街を蹴散らしながら! 幸い都市外部への列車は本数が少なく、時間に余裕があるのが分かっている。というのは、かつて何回か列車が復活したことがあるのだ。

 100年前列車が復活した際は、チームを編成してナィレン旧都市部へ赴き、システムを停止して事なきを得た。だが、システムの破壊までは不可能だったのだ。今回、それが何らかの理由で復活したことになる。

 ナィレン政府はギルドに救援要請を送ることになった。すなわち遺物破壊を取り扱うグランガダル廃棄物処理社である。このギルドはナィレンの暴走都市部も管轄していたため、市内にはいくつかギルドの詰所がある。早速市長の命令で招集がかけられた。

 さらにギルドは街に常駐する冒険者を人足として臨時雇用する。冒険者はダンジョンや遺跡探索を専門にする特殊職業だ。彼らは戦闘の経験と遺跡の扱いに長けている。赤錆の鎧を着る冒険者ミェルヒと冒険画家のエンジェもそんな形で今回雇われたのだった。

 いまミェルヒとエンジェは外周の街に来ていた。ここは木の板で作られた粗末な建物ばかりが目につく。ミェルヒは足で道に積もった砂を払う。すると確かにそこには金属のようなレールが見えた。

「これ脱線とかしないのかなぁ。こんなに土積もってるし」

「遺産列車はレールの上を浮遊するものだと言われています」

 冷静に返事を返すのは、グランガダルギルドの派遣員であるミガサスだ。ミガサスは水色のゴーグルを額にかけ、赤と青の基調のギルド制服を着ている。

 グランガダルギルドの制服は少し変わっている。たくさんのパイプが露出した作業服で、背中に大きなバックパックを背負っている。バックパックには長い筒状の物……火炎放射器が取り付けられていた。彼女の髪は燃えるような赤である。

「で、どうするの? 走って列車を追いかけるの?」

「そのような無意味な行為は推奨されません」

 エンジェの問いもまた冷たく返す。ミガサスは小さな公園へと歩いていく。その公園には変わった構築物があった。

 それは台形の小さな細長い隆起した場所で、何か特殊な材質で出来ていた。この構築物を破壊することが出来なかったため、公園になったという。ミェルヒとエンジェはミガサスについていく。

「私の背中にはジェットパックがあり、緊急時に加速飛行することが可能ですが私一人しか飛べませんし高速で動く列車に接近するのも危険です。そこで、これです」

 ミガサスはその土台のような場所に手を触れる。

「これは古代の駅の跡なのです。いわば列車が停車するホームですね。暴走した列車はこのホームで停車し、ドアを開きます。そこに我々が乗り込んで、列車を無力化します」

 ミガサスは地図を数枚取り出すと、ミェルヒ達に手渡した。

 地図を見てみると、そこには曲がりくねったレールの場所が記されており、駅の場所もすべて書いてあった。この地区は全部で5つの駅があるようだ。最後の駅を通過すると……レールの先はナィレンの繁華街へと伸びていた。

「幸い駅のある場所は比較的閑散とした地域です。最初の駅で乗り込めば、繁華街へ突入する前に列車を無力化出来るでしょう。もっともこれは最終防衛ラインですが」

 ミガサスは旧都市部の方を見上げる。そこには列車が通る高架がたくさんある。

「今向こうで我がギルドの精鋭が列車無力化作戦を行っております。彼らが失敗したときのために、我々はここにいます」

 そう言ってミガサスは地図の最初の駅を指差した。どうやらこの駅の跡が最初の駅らしい。

「なんだ、楽な仕事なのね」

「いざというとき、もっとも責任がある仕事ですよ」

 ミガサスは無線で配置についたことを本部に伝えた。グランガダルギルドほどの大きな組織ならば、個人用の無線も配備されている。

 グオオーンと爆発音が響き、続けて3回の爆発音が続いた。ミガサス達は旧都市部の方を見上げる。するとそこから黒煙が立ち上り、鳥のような生き物が飛び立っていくのが見えた。作戦が始まったのだ。

 そのとき、駅のホームからアンテナのようなものが持ち上がり、チャイムのような音を発した。ホームが怪しく発光する!

「これは……列車が来るということですか?」

 直後、ミガサスの緊急無線が鳴る。

「えっ、停止に失敗……はい。わかりました。必ずや」

 ミガサスは無線で連絡を取っている。どうやら精鋭たちは列車の破壊に失敗したらしい。無線を切るミガサスと、エンジェとミェルヒは無言で頷きあった。

 とりあえずホームによじ登り、列車を待つ。遠くからバリバリという何かが壊れる音が近づいてくる。きっと列車が建物を破壊しながら近づいているのだろう。この地区の避難はすでに完了しているが、心苦しいものである。

 駅のホームからは、いまや七色に発光する様々な機器がせり上がってかつての機能を取り戻しつつあるようだった。

「乗り込むチャンスは一度だけです。気をつけて」

 ミガサスも緊張しているようだった。

 そして、大きく爆発音が聞こえた。向こうから土煙を上げながら銀色の塊が突っ込んでくる。あれが列車だろう。列車は銀色の四角い角棒のような形で、前面にレンズが3つ光っていた。そのレンズは光線を発し、障害物を焼き払いながら進んでくるのだ。

 列車はやがて駅に近づくにつれゆっくりと速度を落としていった。列車の横には規則的に透明な窓が開いているようだったが、こちらからは鏡のように光を反射して中の様子は窺えなかった。

 おそらく古エシエドール語と思われるアナウンスが繰り返し響いた。ゆっくりと列車はホームへ進入しそして止まった。列車の窓の間には縦長の扉のようなものがいくつかある。そして列車の停車と共に、それが開いた。

 3人は列車内部を見て息を飲んだ。列車の中は……化け物の巣だったのだ。



――ナィレンの暴走特急#2



 電車の中は半透明の糸だらけになっていた。その糸を行きかうのは巨大な半透明の肉塊だ。ぶっくりと腹が膨れた蜘蛛のような姿をしており足は短い。ドアが開くとともに酸っぱい腐ったような匂いが漏れだしてきた。

「うぇ、何これ……」

「時間がありません! 行きましょう」

 ミガサスは落ちついて火炎放射器を取り出すと透明な糸を焼き払う。化け物は火を恐れて一旦は奥へ逃げた。

 3人はなんとか列車内に進入した。足元は糸だらけで、粘っこく足を持ち上げると糸を引いた。エンジェはもう泣きそうだ。先頭車両に操舵室があると踏んで先端の方に乗り込んだが、糸のせいで思うように進めない。

「少々想定外ですが、何とかしましょう。何とかなるはずです。何とか……」

 ミガサスの声は少し震えていた。ミガサスは今まで後方支援ばかり回されていて、実戦は初めてであった。とにかく火炎で糸を焼き切り車内を進む。

 この列車は今まで旧都市部の奥に安置されていたのだ。そこに生息している生き物など碌なものではないだろう。幸いこの化け物は火が苦手なようだ。火炎放射で糸を焼くたび、蜘蛛の化け物は文字通り蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 こんなことならもっと先頭車両に乗り込むべきであった。しかし乗車タイミングが短かったのと、どこに停車するか分からなかったため、列車の中ごろに乗り込むしか無かったのだ。ミガサスを先頭に火炎放射で道を開きながら進んでいく。

「上手く行くはずですよ、私はギルドの一員なのですから……」

 小さい声でミガサスは呟く。火炎放射器が抜群に効果を発揮し、今のところは順調だ。ミガサスは以前ギルドの先輩に言われたことを思い出した。

“物事は大抵上手く行かないものさ。それも上手く行かないときはいつだって最悪のタイミングでやってくる。それは運命だから受け入れるしかない”

 大丈夫上手く行くに決まっている……ミガサスは不安を打ち消そうとする。

“大事なのは最悪の状況でいかに最善を尽くすかさ”

 列車の先頭部分まで来たようだ。突当たりには白い壁があった。エンジェはその壁にドアのようなものを発見した。

「あった! ドアだ! ここが操舵室だよ!」

 エンジェは震える声でドアを指差す。開けたいのは山々だが……そこにも糸はびっしりと貼りついていて触るのをためらわせた。

「僕がやる!」

 ミェルヒはドアを押したりしてみる。というものの、四角い溝がドアのように見えるのだが、取っ手も無くどうやって開けたらいいのか分からないのだ。そうこうしているうちに奥から化け物の群れがもぞもぞと大量に這い出してきた。

 ミガサスは断続的に火炎を浴びせるが、一旦は引くもののまたじわじわと無数に這い寄ってくるのだ。

「ミェルヒさん! 開けられますか?」

 振り返ることなくミガサスは問う。

「ダメだ、ミガサスさん、代わってくれ」

 今度はミェルヒとエンジェがミガサスの背中を守ることになった。ミェルヒは剣で、エンジェは絵筆から繰り出す魔法で化け物を蹴散らす。

 だが火炎と違い傷ついた化け物は傷口から分裂を開始し、さらに数を増して這い寄ってくるのだ。

「エンジェ、火炎魔法はあったっけ」

「ごめん、在庫切れ……」

 エンジェは鋭利な破片を撃ち出す魔法しかいまはストックに無かった。

 蜘蛛の化け物は次々と酸っぱい悪臭を放つ体液を撒き散らしながら死んでいくのだが、一撃で仕留めないと分裂を繰り返すのだ。そのたび、さらに戦闘に特化した形態の化け物が生まれているようだ。

 ブヨブヨと太った蜘蛛の姿から、前線にいるのは装甲を持ったものや魔法の力で攻撃してくるもの等に変化を始めていた。

「ミガサスさん、この化け物は僕たちには相性が悪い。早く扉を開けて操舵室に入ろう」
 破片を飛ばしてくるタイプの化け物の攻撃を盾で弾きながら、ミェルヒは振り返った。ミガサスは素早く手を動かし、ドアの表面に浮き上がった光のコンソールを操作していたが、なかなか上手く行かないようだ。

「こいつら僕らの攻撃を学習しているのか……?」

 剣で切断していくと、前肢が剣のように鋭く変化したものが分裂で生まれていく。盾で防ぐと、装甲を身に纏ったものが生まれてくる……そんな気がするのだ。

 そしてエンジェが魔法の破片で敵をなぎ倒し始めた頃だ。その頃から化け物に魔法の心得を持った者が現れ始めたのだ。最初は仲間の死体を投げ飛ばす程度だったが、いまやエンジェに及ばないものの魔法を結晶させて石つぶてのような塊を飛ばしてくる。

 暴走している旧都市部には、その暴走した魔力に寄生する化け物が大量に生息している。その奇妙な生き物たちは、濃い魔力によって異形と呼べるまでに変化している。エンジェもミェルヒも、この蜘蛛のような化け物は初めて見た。

 二人は何度か旧都市部に探索に訪れたことがあるが、この蜘蛛の化け物に出会ったことは無かった。より奥の危険なまでに魔力が濃くなっている場所で生きている存在であろう。その奇想天外な進化は、冒険者にとって最も恐るべき予測不可能な脅威だった。

 ミガサスはドアの表面で発光するたくさんのボタンを押し続けている。旧都市の機械の操作は冒険者よりむしろギルドのようなより専門的な職業の領域だ。しかし1から10まで知っているわけではなく、解読には時間がかかる。

「待って、もう少し……開いた!」

 コンソールが光に包まれ、ガスンと音がするとドアはへこみ、ゆっくりとスライドしていった。しかし、ドアの向こうには渦巻くエネルギーのプラズマがあったのだ! 

「しまった、防衛機構だ!」

 急に飛び出してきたプラズマと衝突したミガサスは、激しいエネルギーに揺さぶられる! 

「エンジェ、なんとか……!」

 魔法でプラズマ球を弾き飛ばそうとするエンジェだったが、ミガサスが取り込まれているためなかなか動けない!

「うぐぐああああ!!」

 悲鳴をあげながらもミガサスは冷静に右腕のバックパックコンソールを操作した。歩いて逃げようとするものの、プラズマがまるで火が燃え移ったように纏わりついてくるのだ。意識が飛びそうになりつつも、背嚢のジェットパックを起動させる!

 ジェットパックが火を吹き、ミガサスは化け物をなぎ倒しながら吹き飛んだ。しかしなかなかプラズマは離れない。そして何回かぶつかった後窓を破壊してミガサスは車外に吹き飛ばされた。

 一瞬の出来事に、化け物もエンジェもミェルヒも動きを止めていたが、エンジェとミェルヒは我に返り操舵室に駆けこんだ。ミェルヒは強引にスライドしていたドアを閉めようとする。しかしなかなか動かない!

 化け物も金切り声をあげるとわらわらとドアに殺到する。ドアは重かったものの、少し動かすと後は自動的に閉まっていった。化け物の顎が挟まれたが、そのまま強引にドアは閉じられ、千切れた顎が地面に落ちた。

 二人はしばらく黙って見つめあっていたが、操舵室の機械の方を見て、二人で頷いた。ミェルヒはドアを閉めるため足元に置いておいた剣と盾を拾うと、剣を鞘におさめ盾を背中に背負った。

「ミガサスさん、大丈夫かな……二人で頑張って列車を止めなくちゃ」

「……ああ」

 ミガサスのような遺跡破壊のプロは遺物の操作にある程度知識がある。だが二人は遺跡に潜ると言っても遺跡には基本的に触れないので知識はあまりない。

 列車は凄まじ勢いで建物を破壊しながら突き進んでいた。



――ナィレンの暴走特急#3



 操舵室は狭く人間二人分の奥行きしか無い。列車の復活と共に灯ったであろう照明がチカチカ点滅していた。キッチンの流し台のようなカウンターテーブルには様々な機器が光っている。用途不明のレバーもいくつかあった。

「どうしたものか……解読できそうな文字はある?」

 機器にはそれぞれ古エシエドール語で書かれた金属プレートがついている。ミェルヒは兜のバイザーを上げ、細かい文字を凝視する。

 灰土地域の辺境にはエンジェやミェルヒのように古エシエドール帝国の末裔であるエシエドール人が住んでいる。人類帝国標準語が普及してきているとはいえ、彼らエシエドール人は固有の言語を持つ。だがそれは古エシエドール帝国崩壊と共に大分変化してしまっていた。

「ミツメタマエ、コレ、ミズカキラ、ノチ、テイイゲイ、ヲシラス……いくつか分からない単語があるな。ミズカキラってなんだ?」

「ミズカキラ……水偏の単語みたい。調べてみる」

 エンジェは鞄からポケット辞書を取り出し、単語を探す。

 人類帝国標準語も、古エシエドール語も神の言語を元にした象形文字である。いわゆる漢字によく似た言語で、部首を持ち大抵一文字で一語を現す。そのため非常に大量の文字があり解読が困難になっていた。

「ミズカキラ……安定する水……うーん、テイイゲイは定位置という意味だし、何かの計器っぽいね」

「別なやつを見てみよう。ココロエ、ミガシ、ソロヨ、デンハ……」

 とにかくこうして一つ一つ解読していくしかない。

 遺跡の機械はでたらめに操作すると大変なことを引き起こす可能性があるのだ。もちろんそうでない機械も多いのだが、非常に強力な装置が暴走した場合手がつけられなくなってしまう。適当に操作していたら爆弾だったという話もある。

 古エシエドール帝国は魔法金属の扱いに長けた科学文明だった。しかしその技術は古エシエドール帝国崩壊と共に失われた。技術は断絶し、理解不能な機械だけが取り残されてしまった。都市は暴走し、いまやその莫大なエネルギーは化け物の餌にすぎない。

 列車が停車する。駅についたようだ。遠くから駅のチャイムの音が聞こえる。

「駅は5つだったよな……あと3つ、急ごう」

 ミェルヒは制御装置の場所を探しているが、なかなか見つからない。とにかく計器が多いのだ。

 作戦を聞いたときの話では、確かに制御装置は列車内にあると100年前から伝わっていた。しかし、制御装置を弄った列車は逆走し始めたため駅で脱出し図面などは残せなかったという。制御装置は緊急時にしか使用しないせいか、複雑なセーフティを解除しないと現れない。

 ミガサスはその知識を持っていた。これは失敗だった。ミガサスはそれを詳しく教えておけばよかったと後悔した。彼女はゆっくりと立ち上がった。装備はボロボロになり、装備を縫うように伸びているパイプはあちこちが外れていた。

 状況を確認する。いま彼女は線路から外れた廃屋に突っ込んでしまっていた所だ。身に纏わりついたプラズマはその衝撃でようやく分散した。列車を追いかけねば……彼女はゆっくりと歩き出し、そして線路に復帰すると走りだした。

 しかし装備は重く、彼女はすぐに歩きに戻る。ミガサスは頭を振り、冷静になろうとした。走って列車に追いつけるわけがない。ジェットパックを使うか? しかし飛んでいける距離にも限りがある。列車はどこまで進んでいってしまったのだろうか。

 そもそも高速で移動する列車に並走するくらいしかジェットパックの速度は出ないのだ。追いつけるわけがない。彼女の脳裏に作戦失敗の文字がよぎる。いや、もしかしたらミェルヒとエンジェが上手くやって列車を止めるかもしれない。

 彼女の歩みは遅くなり、とうとう立ち止まってしまった。そうだ、私の役目はもう終わりだ。無駄な労力を使っても、結果は変わらない。それはすでにあの二人次第なのだ。しかし、彼女の胸はそれを考えるたびちくちく痛んだ。

 彼女はまだ出来ることがある気がした。本当に全ての道が閉ざされているのか? 閉ざしてしまっているのは自分の絶望ではないのか? 考えよう……最後のときまで、考えるのをやめるのはやめよう。彼女は装備を確認しつつ、歩き出した。

 腰につけておいたポシェットをまさぐったとき、彼女の脳に電流が走った。地図だ。駅の場所が記してある……なんでこんな単純なことに気付かなかったのだろう。相手は暴走するイノシシではないのだ。列車は決まったルートを走る。

 自分の場所を推測する。列車は大きく弧を描いて曲がりくねっている。直接最後の駅に行けば間にあうかもしれない。幸いなことに、自分の場所と最後の駅はジェットパックを使えばすぐだ。いける! ミガサスは機械の点検を素早く開始する。

 壊れていた個所に急いで応急処置を施し、彼女はジェットパックを起動させた。背嚢はジェットを吹きだし、彼女は一瞬で宙に舞った。飛ぶのは初めてではない。訓練で何度もやったものだ。高い場所から街を見下ろすと、遠くで街を貫く列車の土煙が見える。間にあうか!?

 轟音を上げミガサスは空を駆ける。最後の駅は街の繁華街に続く大通りにあった。凄まじい勢いで風景が後ろに消えていく。駅は、最初の駅のようにたくさんの機器がせり上がっていた。列車はあと少しで最後の駅に到着しようとしていたのだ。ミガサスもまた同じだった。

「間にあえええええ!」

 ミガサスは叫んだ。ホームの列車を告げるチャイムの音はその叫びにかき消されて消えた。



――ナィレンの暴走特急#4



 体当たり同然にミガサスはホームに着地した。それと同時に列車が到着する。うめき声を上げ、ミガサスは立ちあがった。ジェットパックの燃料は尽き、大分軽くなっていた。火炎放射器の燃料と共用しているため、火炎放射器はもう使えない。

 ドアが開く。ミガサスは火炎放射器と背嚢を捨てると、列車に飛び乗った。内部は蜘蛛地獄である……が、彼女は無策だったわけではない。腰につけた二振りのナイフを抜くと、ナイフから炎が迸った。近接戦闘用の特殊装備だ。

「燃えてしまえ!」

 ナイフを巧みに操り、ミガサスは道を切り開いていく。蜘蛛の化け物は本能的に炎を恐れているようだった。しかし化け物たちも黙って見ているわけではない。彼らは先の戦闘で戦闘力を向上させているのだ。

 装甲を持った化け物が進路を防ぎ始めた。奥には……怪しい紋様の浮き出た個体! 魔力の高まりを感じる。魔法を使うらしい。ミガサスの背後にも装甲を持った個体が壁を作ろうとしていた。包囲し、遠距離から攻撃するつもりだ。

 ミガサスはゴーグルを下げ、腕を前方、化け物の群れに向けた。次の瞬間、化け物の魔法が炸裂すると同時にミガサスのグローブから液体が発射される! ビシビシと魔法の破片が彼女に振りかかるが、致命傷というほどではない。

 魔法の破片に耐えながら、ミガサスはグローブから液弾を発射し続ける。この液体は酸と猛毒の混合物で、酸で皮膚を破壊し強力な毒を浸透させるものだ。液弾は前列にいた化け物の装甲を貫通し、やがて化け物は苦しみ暴れ出した。一気に化け物の陣営はパニックに陥る。

 その隙をついてミガサスは蜘蛛の化け物に突進する! 火を吹くナイフの赤熱した刀身は装甲を貫くことは出来なかったが、液弾で開いた穴に突き刺すと蜘蛛の化け物は火を噴いて絶命した。魔法を使う個体も混乱状態で魔法が使えないようだ。

 化け物の陣営は総崩れになり、慌てふためいて逃げだした。だがそれらにかまっているミガサスではない。進むことを最優先にし、炎のナイフで活路を切り開いていく。とうとう、操舵室のドアまで辿りついた。化け物は戦意を喪失し遠巻きに見るだけだ。

 ドアの開錠をはじめる。先程開けたばかりなので作業はスムーズに終わった。プラズマの罠を警戒しながらドアが開くのを待つ。

「誰……ミガサスさん!?」

 ミェルヒとエンジェが驚いた顔で出迎えた。

 プラズマの罠は作動しなかった。操舵室に人がいると作動しないのか、理由は分からなかったがとにかくミガサスは解読作業に加わる。

「大分作業は進んでるみたいだね」

「ここから先が分からなくて……」

 100年前の資料と同じだ。機械の乗る台の下部の扉が開き、隠されたコンソールが露わになっていた。これは特殊な操作を行うためのもので、ラベルが無くて進めなかったのだ。ミガサスは手早くコンソールを叩く。

 すると台の上の機器が左右に割れスライドし始めた。そしてレバーのついた台がせり上がってきたのだ! ミガサスはレバーを思いっきり引く! すると、ガゴゴゴゴゴと歯車が軋むような音が聞こえ、車体が揺れ始めた。

 やがて列車は次第に減速していき、完全に止まった。そしてゆっくりと逆走し始めたのだった。ミガサスは大きく息を吐くと、その場に座り込んだ。ミェルヒもエンジェも安堵の笑みを作る。

 そうしてナィレンの列車暴走事件は幕を下ろしたのだった。



――ナィレンの暴走特急 エピローグ



 ナィレンは今日も静かな朝を迎えた。栄光の都市の残骸を眺めながら、薄汚れたバラックの群れは朝日を浴びる。列車が暴走したレールの上はしばらくは建築を行わないことにした。また列車が来るかもしれないからだ。

 しかしまた100年も過ぎれば記憶は薄れ建物は立つだろう。それは仕方のないことではあるが。ミェルヒとエンジェはバラックでできたカフェテリアのテーブルで朝食を取っていた。エンジェは大きなオムレツを行儀よくナイフとフォークで切り分け食べている。

 結局あの後駅で降りて旧都市部に帰っていく列車を眺めることになった。今回も破壊することはできなかった。ミェルヒは手から零れそうなほど大きなサンドイッチにかぶりついている。

「今回は大変だったね。私も遺物管理の勉強しなくちゃ」

「何かと役に立つからね……今回の報酬でしばらく楽できるから、勉強に専念してもいいかもしれないね」

 カフェテリアには、おこぼれにあずかろうと小鳥がたくさんやってきては客を遠巻きに見ていた。

 そのとき街角から悲鳴が上がった。そちらに目を移すと、昨日の蜘蛛の化け物が街人を追いかけている。

「あいつ……昨日駅でドア開いたときにでもはぐれたのかな」

「みたいね」

「誰かー! 助けてくれー!」

 ミェルヒとエンジェは目を合わせ、笑い合った。そして同時に立ちあがる。ミェルヒは隣の席に置いてあった兜を拾い被る。

「さて、今日も仕事を始めるかな!」

 化け物の叫び声が響き渡り、鳥の群れが飛び去った。今日もナィレンの日常は過ぎていく。



――ナィレンの暴走特急 (了)










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