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――壺


 家の片隅に埃を被りながら飾られてある古い壺があった。白い磁器に青と赤で山水画のような美しい風景が描かれている。亡くなった祖父が生前大切にしていたものだ。その絵柄は独特のタッチで描かれ、どこの物とははっきりわからない不思議なものだった。

 幼いころからその模様を見ては、この世界の物語をいつも空想していた。どんな世界なんだろう、風景に溶け込んだ不思議な庵にはどんな人が住んでいるんだろう。その絵を見るだけで、遥か遠くの幻想世界に旅立つことができた。いまは大人になってすっかり忘れてしまったが。

 祖父がいなくなり、時がたち、壺にはすっかり埃が積もってしまった。そして、家の大掃除のついでに祖父の遺品を整理することになったのだ。祖父は世界各地の珍しい小物だとか調度品だとか家具などをいくつも収集していた。もちろんあの壺もそういった遥か異国の物であった。

 珍しいものばかりなので、古美術商を招いて売り払うことにした。自分としてはあの壺は残しておいてほしかった。幼いころの思い出もあったし、この家から祖父の気配が全部消えてしまうのは寂しかったのだ。しかし、家族は家が狭くなると言って全部売るつもりだった。

 そしてその日になり、庭にシートを敷いて上にいくつもの珍品たちが並べられた。私は例の壺だけは残してほしいとわがままを言った。家族は、あまり高く売れなかったらせっかくだから残しておこうと了承してくれた。家族もあの壺にどこか祖父のぬくもりを感じ取っていたようだ。

 時間通りやってきた小太りな古美術商は、ハンカチで額をぬぐいながら庭に置いてある様々な調度品を値踏みしていた。値段を書いたタグをぺたぺたと手際よく貼っていく。母は、信用できるのかしらとこっそり私に耳打ちした。私は不安そうにその古美術商を見ていた。

 やがて、例の壺が鑑定される番になった。古美術商は一瞬どきっとしてその壺を見た後、急ににやにやして母に言い始めた。
「ははぁ、これは大した値打ちもない模造品ですな。偽物ですよ、偽物。どうです、わたしが処分してあげましょうか?」
 母はそれを聞いて困惑した。

 私は思わず声を張り上げ、壺に駆け寄った。
「偽物でも大切なんだ。処分するなんて!」
「な、やめなさい!」
 そのまま古美術商と壺の取り合いになってしまった。偽物と言った当の古美術商は異常に壺に執着していた。私は壺を取られまいと必死に抵抗する……。

 そこまでははっきりと覚えていた。だが、そこから意識が曖昧になって、どうしても思い出せない。なぜか私は、その後美しい自然の中にいた。庭先ではない。どこか遠くの山や川が広がる静かな場所にいたのだ。どうやってここに来たか、何故ここにいるかもわからない。

 私は、その世界が壺に描かれた風景そのものに思えた。遠くに森や山に抱かれる小さな庵が見える。平地は青々とした草に覆われ、雲はかすかに桃色がかり流れていく。川は川底が見えるほど澄んでいて、魚が飛ぶように泳いでいた。本当に、静かな世界だった。

 ふと、私は川辺で釣りをしているひとを見つけた。彼は異国の服をまとった青年で、釣りをしながらうとうとと居眠りをしている。私は彼の元へ歩いていった。彼ならこの世界のことを知っているかもしれない。近づくにつれ、奇妙なことに気付いた。

 青年の風貌は、どこか自分に似ているのだ。しかし、生き写しと言うほどそっくりでもない。彼の横に座って、挨拶をした。青年は目を覚ますと、にこやかな笑顔で挨拶を返す。彼は大きなあくびをすると、いい天気ですねと当たり障りのない話題を返した。

 この場所はどこですか? と私はいきなり問いかけた。青年は遠くを見つめながら返す。
「自分はやっとこの場所に辿りついたのです……長い、長い旅の果てに」
 その喋り方はどこかで聞いた気がした。どこかで以前会ったような……。思わずどきっとして、私は青年に名前を聞いた。

 そこで私の目は覚めた。どうやら取り合いをしている最中倒れたらしい。あの胡散臭い古美術商はとっくに逃げてしまっていて、家族はカンカンに怒っていた。あの壺は……地面に落ちて割れていた。取り合いの最中落としたのだろうか。私は少し残念になってため息をついた。

 しゃがんで破片をひとつひとつ拾い集めていると、先程の不思議な世界が記憶の中で甦ってきた。私はこの世界に行っていたのだろうか。破片の一つを拾い上げ、あることに気付いた。記憶にない……釣りをしている人の小さな絵が描かれているのだ。

 あのときの青年だろうか……あの世界の記憶の最後、青年の名前を聞いた気がした。彼は……楽園を手に入れたのだろうか。彼の名前は、奇妙なことに私の祖父と同じ名前をしていた。











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