冒険者の酒場には#1 うまい話があるという


◆1


 酒場には今日も冒険者たちが集まる。ガチャガチャとした食器の触れ合う音。誰かが何かを話す声。それらは曖昧な音の塊となって心地よく耳に届く。
 料理の食欲をそそる匂い。あちこちでビールのグラスを傾ける光景。食事は冒険者の楽しみの一つでもあり、酒場の利用料でもある。

 冒険者たちはみな厳つい鎧や怪しい魔法服を着ている。これは冒険者の制服と言っていい。平時から彼らはこの格好だ。
 巨大な鈍器を壁に立てかけるもの。水晶球を覗き込むもの。分厚い魔法書に魔法を書き込むもの……その中に彼らはいた。

 手入れが行き届いていないようにも見える赤錆た全身鎧。彼の持つ新品同然の、しかし使い込まれた武器類とは不釣り合いである。それを身に纏うのは冒険者のミェルヒ。
 魔法服であろう、ネズミ色・絵の具汚れ・ワンピース。それを着る彼女が持つのは紙の束とペン。名はエンジェ。

「そもそもいつ出発か決まってたっけ」
 紙にペンでドローイングしながらエンジェは話す。ミェルヒは陶器のグラスのビールを呷った。
「なーんにも情報を渡してこない。金だけ渡されて、酒場で待機しろ。それだけ」
「ま、もう飲んでもいいよね」
 彼らの受けた依頼は不可解だった。

 当初はダンジョン探索護衛、しかも簡単ということであり、魔法の在庫が少なく危険を冒したくないミェルヒの提案で受けた依頼だった。今のところ仲介人に金だけ渡されている状況。怪しすぎるが、危険も今のところ感じない。
「もう3日目だよ……料理はおいしいけど」

 待機場所に指定されたのは開店したばかりの酒場であった。流石に繁盛しているようだ。昼間だというのに、8割の席が埋まっている。昼飯時には立ちテーブル席もいっぱいになる。居心地がいいのか、客の半分は長居して求人や噂話に花を咲かせていた。エンジェとミェルヒも同じだ。

「いい料理人だね……味付けが繊細だよ」
 素材自体はありふれたものだろう。瓶詰茹で野菜。肉は保存用に干したもの。チーズも三級品かもしれない。けれども、それらの長所短所を的確に把握し、パズルのピースを組み立てるように完璧に調和させている。隙間は全て調味料が埋めていた。

 酒場には音声拡散の呪文があるので感想は聞こえないが、周りの客たちのほとんどは満足顔だ。
「きっと繁盛するよ」
 そう言ってエンジェはパリパリに焼かれたソーセージを食べた……そのときである。ガタン、と何かがぶつかる音。

 見ると、一人の酔っ払いが二人のテーブルに向かってぐいぐい進んでくる。途中、テーブルや椅子に身体をぶつけ、そのたびに悪態をつく革鎧の軽戦士。
「わ、面倒ごとだ」
 酔った軽戦士はこちらを見て笑顔で手を振った。

「よう、来てるなら言ってくれよ。待ちくたびれたよ……さぁ、仕事を始めようぜ!」
 まるで知り合いのような口ぶり。エンジェとミェルヒは顔を見合わせる。その軽戦士は、どう見ても初対面だったからだ。


◆2


 酔っ払いの軽戦士は、へらへらと笑って二人の顔を見る。順番に見る。見返すエンジェとミェルヒ。ようやく様子がおかしいことに気付いたようだ。軽戦士はバタバタと手を振って釈明する。
「わりぃわりぃ、人違いだ!」
 軽戦士は言い訳めいた状況説明をする。

 どうやら仲介人と交渉していたところを以前見かけて、仲介人の仲間だと勘違いしたらしい。
(ということは、同じ仲介人から仕事を受けている……?)
 エンジェは訝しんだが、口には出さない。藪蛇な行為で危機に陥ることは少なからずある。こういう些細なことでも。

 軽戦士は顔を赤くして自分の席に戻っていった。その後姿を見ながら、ミェルヒが顔を寄せて囁く。
「あのひと……妙だね」
「……ん?」
 二人のテーブルからは軽戦士の立ちテーブルがよく見える。エンジェは特に違和感を覚えない。

 ミェルヒは視線をエンジェに戻す。
「さっきから一人で飲んだり食ったりしている。連れはいないみたいだ。とても仕事をしているようには見えない。普通、暇なら求人くらい見るだろう」
「お食事なんじゃない? 美味しいし」

 酒場は冒険者の雇用を仲介したり、噂話の売り買いをしたりする場所だ。基本的には。だからと言って、ただのお食事がダメだというわけではない。飲食物は冒険者の支援のために普通の飲食店より安い。仕事が決まっている貧乏な冒険者なら、噂話を買うことも仕事を探すこともないだろう。

「誰かを待っているようにも見える……怪しい、怪しいぞ」
「ミェルヒ、ひとを疑うひとがいちばん疑われるように、ひとを怪しむひとがいちばん怪しく見えるんだよ」
「くっ……その法則は僕につらい」
 錆びだらけの鎧を着ているミェルヒも怪しさでは負けていない。

「人間観察なんて流行らないって。やめなさい」
「思うだけなら自由さ。僕の見立てでは、店内の4グループがお食事のみだ。1人から3人のパーティまで。全席のうち6割って所か。明らかに多い」
「人間観察ミェルヒの中では大ブームでございましたか……」

「もちろん、僕らもその中に入っている。ワクワクするよ。僕は昔探偵になりたかったんだ。何か大きなものが動いている……大きな思惑が、この異常な状況を作り出している。バランスが悪いいびつな箱庭さ。それを僕は知りたい。箱庭が崩壊する前に……」
「無理やり壮大にしてきた」

 ミェルヒはビールを呷って、堅炒り豆をつまんだ。ぼりぼりかみ砕きながら牙をむいて笑う。
「謎に挑戦しようよ。もし、この『お食事組』が僕らと同じ仕事を受けていたとしたら……?」
 エンジェの眉がピクリと動く。そして碧の瞳が輝いた。

「ま、他の話題も尽きたし……思うだけなら自由だし」
 二人は肘をついて顔を近づけ、共ににやりと笑った。
「謎解き、始めちゃいますか!」


◆3


 ミェルヒは油断なく酒場の様子を見渡した。エンジェもつられて酒場を見渡す。新品の椅子やテーブル、バーカウンター。照明はガス灯で、壁の上の方に灯っている。落ち着く橙色の光だ。
「謎解きの手掛かりは……?」
 エンジェはミェルヒに問いかける。

「例えばさ、こうだ……爆破テロの計画」
「ぶっそうね」
 肩を抱いて辺りを見るエンジェ。確かに、ガスパイプに工夫すればいくらでも爆破することが可能だ。新品の酒場なので工事中から細工することもできる。
 薄暗い店内がまるで悪魔の内臓のように見えた。

「ターゲットを選んで、一つの店に集結させる。全員揃ったタイミングでドカーン。どう? 一人一人始末するより、ずっと効率がいいし、証拠を残さないようにする工夫もまとめてできる。完璧な計画」
「ちょっとまってよ!」

 エンジェが目を白黒させて抗議した。ビールを飲んで心を落ち着けてから、ミェルヒの案の穴を突く。
「わたしたちどこかで恨みでも買ったの? しかもこんなにたくさんのひとたちと一緒に」
「なくて七癖、どこかで嫌われているもんさ」
「それに新築爆破するかなぁ……もったいない」

 エンジェは新築を改造できるならもっと役に立つ犯罪の仕方があると説く。ミェルヒは納得した様子で、次の案を繰り出した。
「じゃあ、やっぱり犯罪方面で言うと……資金洗浄だ」
「なにそれ」
 ミェルヒはエンジェに軽く説明をする。

「まず盗賊ギルドなんかが不正に得たお金を、出所が分からなくするためにいくつか手順を踏ませて正規の収入として手元に戻すという行為さ。例えば、不正なお金を依頼料の名目で僕らに支払う。僕らは酒場に拘束される。必然的に、僕らは酒場でお金を使う。その正規な売り上げが悪の手元へと……」

「悪なら悪らしく正々堂々すればいいのに、せこいことを繰り返すのね」
「秩序の前には悪は肩身の狭い思いをするほかないんだよ。盗賊ギルドだって証拠を残せば絞られるんだ。どうだい? 新規に出店したから従業員も全員息のかかった者を集められる」
「ミェルヒ、気づいてるだろうけど……」

「報酬を全部食費に使うひとはいないよね」
「うん」
「資金を洗浄するのはいいけど……総量が減っちゃうんじゃない?」
 ミェルヒは困った顔もせず話を続ける。
「知らないけど……どうせ使えないなら、減らしてでも使えるようにするんじゃない?」

「もっと効率のいい方法あると思うんだけどなぁ……いや、わたしだってさ、盗賊ギルドのことよく知らないけど」
「お客さん……」
 気づけば、テーブルの隣に店主。盗み聞きをしてはいけないルールの唯一の例外、店主と給仕。真っ青になるエンジェとミェルヒ。

「お客さん、面白い話をしていますねぇ、よかったらもう少し、詳しく、聞きたいものですな……!」
 大きな腕を組んで笑う店主。その目は……笑ってはいなかった。



 冒険者の酒場には#2 今日も何かが起こる


◆1


「うちの酒場が仲介した仕事を疑っちゃいけないな」
 店主は硬直した二人のグラスにビールを注ぐ。黒い陶器のグラスなみなみにビール。飲む気にはなれない。こういう重大な情報を相手から言ってきたとき……相手は覚悟を決めたということだ。

「黒幕が出てきたってことは……最終決戦だね」
「そうなるな……」
 相変わらず店主の目は笑っていない。それどころか、どこか視線が泳いでいる。
「言っておくけど、僕もそこそこ頑張れる自信はあるよ」
 ミェルヒは一気に体の魔力を高める!

 魔力の風が巻き起こり、なみなみと注がれたビールの泡が吹き飛ぶ! 店主も負けてはいない。体中の筋肉を空気でも入れたように膨らませる! 魔力の代謝は筋肉で行われる。即ち、筋力が強いほど、より多くの魔力を代謝できる!
「フンッッッッ!!」
 魔力の風! 吹き飛ぶビールの泡!

 筋力で劣るミェルヒが見劣りするわけでもない。ミェルヒの鎧に組み込まれた増幅装置によって、彼の魔力は何倍にも高まる! それは良いものを装備すればそれでいいというわけではない。道具の熟練、経験、信頼がモノを言う!
「フンッッッッ!!」
 魔力の風! 吹き飛ぶビールの泡!

 騒ぎを目にした周りの客たちは大喝采! 店主を応援する者、まったく見ず知らずのミェルヒを応援する者、テンションが上がって踊り出すもの、どっちが勝つか賭けを始めるもの……一体感が生まれ、ボルテージは最高潮に!
「なんだこれ」
 ビールの泡まみれのエンジェ!

 魔力勝負は店主の勝ちで終わった。店主の魔力がミェルヒの魔力を押し切り、ミェルヒは酒場の床に転がる。魔力勝負は相撲とよく似ている。
「お前さんにだけ特別教えよう」
 その囁きを聞く者はエンジェとミェルヒだけだ。店主は倒れたミェルヒにそっと手を差し伸べる。

 店主は静かに理由を語り始めた。
「冒険者たちを雇って酒場に拘束したのは私だ。だが、悪気があったわけじゃない……酒場に賑やかしにサクラとして雇っていたんだ。私はこの街の人間ではない。初めての店に、誰が来てくれるか分からなかった。だから、せめて店が寂しくならないように……」

 ミェルヒは笑顔を見せてそれに答えた。立ち上がって、テーブルにつき、追加注文をする。
「いい依頼だよ、たくさん食べて、話をしているだけだからね」
 騒ぎを見てやってきた他の冒険者が魔力勝負を店主に持ちかける。人の輪の中心になる店主の姿は……彼の言うよそ者には思えなかった。

 店主は人の波にもまれ、カウンターへと戻っていった。
「ミェルヒ、お疲れ。まさか負けるなんてね」
「あはは、本気だったけど及ばなかった。きっと凄い冒険者だったんだろうね。でも、それを捨てて店を持ちたいと思った……」

 エンジェは賑わいを見ながら、紙にスケッチをし始めた。どこまでも楽しそうな絵が描けそうだった。


◆2


 依頼は唐突に終わった。いくらかばかりのキャンセル料が払われて、エンジェとミェルヒは自由の身となった。
「恐らく少しずつサクラを減らしているんだ。長居されると回転率が悪くなるからね」
 ミェルヒはそう言って、部屋の中で出かける準備をしている。

 ナィレンのボロアパートに彼らは住む。当然、空調など無く、部屋は夏真っ盛りといった感じだ。エンジェはいつも半裸で過ごすし、ミェルヒは鎧(呪いで脱げない)の中に氷袋を入れてしのいでいる。
 限界に達すると、彼らは出かけるのだ。用もないのに。

 こういうとき彼らは大抵酒場に行って、安い飲み物で涼む。酒場にはエンジン付き空調設備があるし、注文さえすればいつまでも長居できる。常識の範囲内で。
「冷えたビールを飲もう、エンジェ」
「イヒヒ、賛成」
 エンジェが気持ち悪く笑う。

 午後の日差しが最高潮に達する中、二人は日陰を選んで街を歩く。ミェルヒはいつも通りの赤錆の鎧。エンジェはネズミ色・絵の具汚れ・ワンピース。
 陽炎が加熱したセラミックプレートの道をぼんやりとゆがめる。風が無い、不親切な日。蒸気式自動車が何台も行き交い、湿度を上げる。

 街の景色は移り変わる。木の板とセラミックプレートを無造作に組み合わせた不安定な建築物が、いつまでも増築と改築と新築と解体を繰り返している。
 それらはまるで生きているかのように、白く巨大で無機質な高層建築……旧時代の遺物を取り囲んでいた。

「ナィレンは変わっていくね」
 馴染みの店が閉店したのを見かけて、エンジェが呟く。
「全てのものが形を変えていくさ」
「わたしたちも、変わっちゃうのかな」
「さぁね……変わりたいなら変わったと思えばいいし、逆なら変わらないと信じればいいんじゃないかな」

 エンジェはそれを聞いて猫のように笑った。
「ミェルヒは変わんないよね〜」
「何でさ」
「だって、いつもお酒飲んでるか、何か食べているか、鉈を振っているかだけだもん」
「褒め言葉だね」
「イヒヒ! 前向きィ〜」

 自然と二人は例の店に向かっていった。新築の酒場。外観は他の建物と同じ、木材にセラミックプレートを組み合わせたあばら家。
 店に入ると、たくさんのお客の賑わいが迎えてくれた。
「もう心配ないんだね」
「いや、最初から心配なんていらなかったかもね」

 カウンター席いっぱいに背を屈めて座る騎士、立ちテーブルには妖しく頬杖を突く女魔法使い。重武装の戦士から、キザな剣士まで。店の奥では、踊り子のダンスや音楽の演奏が行われている。
 エンジェとミェルヒは立ちテーブル席へ。
「おう、今日も来てくれたな!」
 店主が笑った。

 冒険者の酒場には、今日も何かが起こる。それらは形を変えて……一つとして同じことはないのだ。


 冒険者の酒場には(了)


【用語解説】 【グラス】
ガラスのものはほとんどなく、大抵は陶器……セラミック製のものばかりである。樽のようなジョッキもよく使われる。ガラスを製造するには大量の燃料が必要であり、セラミック技術が発達した灰土地域では陶器の方が量産するコストが低いためである


【用語解説】 【軽戦士】
衝撃消散の呪文によってある程度は攻撃に耐えられるとはいえ、何発も殴られたら魔法が耐え切れずに崩壊し、無防備になる。これを解決するには装備の素材を重くし強力な魔法を織り込むか、軽い素材で妥協して肉体強化の魔法で攻撃が当たらないほど俊敏にするか、である

【用語解説】 【ガス灯】
光源の呪文は確かに便利だが、感情を消費して光る以上人件費が発生してしまう。なので一般的な街や施設はガス灯を使う場合がある。電球という選択肢もあるが、電力は不安定である。魔力が濃いダンジョンなら通行人の僅かな感情に反応して光るもっと便利な魔法が使える

【用語解説】 【魔力】
地中や水中、空気中に存在する物質。人間の感情の動きよって様々な効果をもたらす。常温では気体であり、様々な条件下で液体や固体にもなる。無色透明で毒性もなく、皮膚や粘膜から容易に吸収できる。ただ拡散はしにくく狭い場所に溜まりやすい

【用語解説】 【ナィレン】
キシュアの南、ニェスの南東にある巨大遺跡都市。かつてはエシエドール帝国の首都であったが、帝国が崩壊し、暴走した都市は放棄された。中心部の高層建築は化け物の巣になっており、後世に築かれた無秩序なあばら家がドーナツ状に遺跡を取り囲んでいる













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