願いが叶う井戸の底で#1 観光客襲来! ◆1 新婚旅行で訪れたのは、湿った苔だらけの井戸の底だった。レジルはタキシード姿にシルクハット、カイゼル髭を生やす若い男。妻のミレウェは白いドレス姿で畳んだ日傘を腕にかけている。 二人は井戸の底の横穴を背を屈めながら進んでいる。なぜか二人の服は汚れ一つない。 井戸の底……いわゆるダンジョンだ。かつて水で満たされていたであろう井戸は、水が枯れて新たな役目を与えられていた。 井戸は魔力の溜まりやすい場所であり、ダンジョンとしてよく利用される。水を求めて深く穿たれた地下空間がそのまま魔力の集積地となる。苔も魔力を浴びて育つ。 あちこちから滴る水、柔らかい濃緑色の苔。レジルとミレウェを先導するのは、腰の曲がった老人だ。彼はロームゥという名で、二人の案内人として雇われていた。 「気を付けてくだせぇ、この井戸は水没した地下遺跡に繋がっているんですさ」 なるほど、壁面の石造りが井戸にしては立派だ。 「ふぅむ……なかなか魔力が濃いな。ロームゥさん、やはり化け物がでるのですか?」 レジルの問いにロームゥは険しい顔で告げる。 「化け物の巣ですさ。くれぐれも、軽率な行動は……」 「見てくださいまし、人面サソリですわ!」 パシャパシャとカメラで写真を取るミレウェ。 ミレウェは天井を見上げていた。レジルも天井を見る。そこには大きな亀裂があり、一匹の人面サソリが詰まっていた。 寝起きのようで、本来サソリの針がある尾の先に生えている人面がイラついた表情で3人を見下ろす。 「化け物だァ!」 叫ぶロームゥ。 人面サソリはうめき声と共に魔法を展開しようとしたが、素早くミレウェが日傘の石突で突く! するとそこからドロドロに溶けていき、零れ落ちる液体は空中で蒸発し、人面サソリは跡形もなく消えてしまった。 「さ、流石ですさ」 「おお、あそこにいるのはスケルトンではないか!」 「ひイっ!」 ロームゥは天井から通路に視線を戻す。するとレジルの言う通り、通路の向こう側から骸骨戦士が猛スピードで走ってくる! 「カタカタカタッ!」 「ひイっ!」 レジルはやはりカメラでスケルトンを悠長に撮影しているようにしか見えない。しかし、スケルトンの振り回すメイスの動きが次第にゆっくりになり、とうとう立ち止まって、メイスを地面に落としてしまった。そのままバラバラになるスケルトン。 「な、何が……あったのですさ」 「意思を制御したのである。僕の得意とする魔法さ」 死霊は妄執で縛られている故、意思を操られれば妄執を解決されて浄化されることもできる。ロームゥは何が何だか分からない様子で、冷や汗を流していた。 「魔法使いは恐ろしいですさ」 「僕たちの目指す先にあるのは、こんな魔法どころではない、強力な奇跡……そうであるな」 「そうですさ、『願いの泉』はすぐ先ですさ」 願いの泉……それを目指し、3人は背を屈めて先へと進んでいった。 ◆2 「旦那さんは願いの泉で何を願うんですさ?」 ロームゥはびくびく怯えながら暗い遺跡を歩いていく。井戸の底から繋がった地下遺跡は、ひどく冷え込んでいて吐く息が白くなる。 彼の後ろにレジルとミレウェが続いた。 「願い……願いか」 レジルは興味もなさげに言う。 「これから決めますわ」 ミレウェは能天気にコロコロと笑った。ロームゥは卑屈に笑うと、遺跡の扉を開いて二人をさらに深層へと招く。足元を蛇のような長虫が素早く泳いでいった。 願いの泉。それは名の示す通り願いを叶える泉である。高名な魔法使いの死後も機能する魔法陣があり、願いの泉もまたそのたぐいだった。 すなわち、「願ったことが叶う」というルールが適用される魔法陣である。 「気を付けて下せえ、わしらを狙うのは化け物だけじゃありませんですさ」 「ほう、化け物と区別するということは……」 「化け物より恐ろしい、不死の怪物ですさ」 ロームゥはヒヒヒと笑い、鍵で閉じられた扉を開き、進む。 「いやですわ。不死ですって。きっと魔法も通用しないんでしょう」 「ミレウェ、案ずることはないさ。相手が不死だろうが、逃げるが勝ちさ」 「そのときは置いて行かないでくだせぇ……相手は吸血鬼ですさ。勝ち目はありませんですさ」 そう言って腕をまくる。 そこには深い傷が刻まれていた。老人のしわくちゃの肌に溶け込んでいる傷。だいぶ古いが、かなりの大怪我だったことが分かる。 「その吸血鬼にやられたんですさ。危うく……左腕を持っていかれるところでしたさ」 「恐ろしい……」 「注意してくだせぇ、あいつも泉を狙っているのですさ。わしらの後をつけている……そして、泉の願いを横取りしようとしているのですさ」 そういってロームゥはちらりと来た道を振り返る。レジルとミレウェも振り返る。通路は魔力の暗い霧に覆われている。 「見てくだせぇ……通路の奥、奴が潜んでいるのが分かりますかい? 背を屈めた、背の高い男の姿が……」 ロームゥは震える腕で闇の向こうを指さす。確かに、暗がりの向こうに立ってこちらをじっと見ている男がいる。 「襲ってこないんですの?」 ミレウェの心細い声。ロームゥは再び二人を連れて歩き出す。 「奴は不死だけんども、勝算があるわけではないみたいですさ。じっとこちらを追って、チャンスを窺っているのですさ。追えば逃げる、逃げれば追う。だから……」 声を落とすロームゥ。 「罠に嵌めるんですさ」 彼の目が油のように光った。光源の魔法が3人を照らす。地下水に濡れた遺跡の壁面がてらてらと光る。 「そろそろですさ。わしに任せてくだせぇ」 ◆3 狭い通路の先に辿り着いた場所は、大きな地下空間だった。ドーム状になっており、地面は平らで薄く水が張っている。地下水のサラサラ流れる音。 「古代のダンスホールかしら?」 ミレウェは大きく背を伸ばす。 「どうやら祭壇のようだね……」 レジルはカーブした壁を光源の魔法で照らす。その一角にくぼみがあり、巨大なグレイソフィアの神像が納められていた。グレイソフィアはスキュラの女神で、下半身が犬の塊になっている。 ロームゥは神像の前に二人を案内する。そして油断なく辺りを見渡した。例の吸血鬼の姿は見えない。 「ここで待っていてくだせぇ。作戦開始ですさ」 「ふぅむ、我々にすることはないか?」 「心配ないですさ」 そう言って彼は魔力の闇の向こうに消えてしまった。暇になった二人は、カメラでグレイソフィアの神像と共に記念写真を撮って観光を楽しむ。 「グレイソフィア信仰なんて珍しいですわね、こんな北の方の土地で……」 「かつてはあったのだろう。今では失われたが……」 そのとき、歯車の軋むような音が聞こえて、二人は目を剥いた。神像が……動き出したのだ! 「ゴーレム……!」 「どうしましょう、デカすぎますわ!」 神像の両目が光り、魔力の光弾を発射する! 素早く二手に分かれるレジルとミレウェ。光弾の命中した場所は、大きな氷の柱になった。 「遺跡の破壊の心配は無さそうですわね!」 「少し厚着する必要はあるな!」 光弾は回転砲のように連続発射され、あちこちに氷の柱ができる。 ミレウェは地面を滑るように移動しながら巨像の倒し方を考える。そこで目に入ったもの。 「あっ、あれ……ロームゥさんですわ!」 ロームゥが、巨像の居座っていた窪みに、空いた穴に潜り込もうとしていた。振り返りもせずに。 「なるほど、罠に嵌められたのはこちらだったか」 「どういうことですの?」 巨像を挟んで二人で会話。 「通るためにはこの神像を動かさなくてはいけないのだろう。面倒ごとは我々に任せて、一人で願いを叶える気なのだ」 伝説では、一度願いが叶ったら50年は願いを受け付けない。 「困った話ですわ。レジルの催眠術もゴーレム相手には効きそうにもないし、私のマスケットは宿に預けてきましたわ」 「長物は狭い井戸に不利だという判断は間違っていなかった。ミレウェは何も間違っていないさ」 「まぁ♪」 全く深刻さを感じない声色。 「いつまでもダンスを踊っているわけにはいかないな、仕掛けるぞ」 「あ、あなた。ダンスに混ざりたい方がいらっしゃるようですわ」 そう言ってミレウェが顔を向けた先には……例の吸血鬼が、蒼白な表情で佇んでいたのだった。 願いが叶う井戸の底で#2 思い出す日 ◆1 ロームゥは光源を左手で握りしめ、這って歩く狭い隙間を急いでいた。服は地下水でずぶぬれになっていたが、それすら構わず血走った目で先を急ぐ。 「急げ、急げ……」 言い聞かせるように呟く。 再びロームゥは戻ってきた。50年待ち続けていた場所へ。50年の間水没し、人の行く手を阻んだ遺跡は当時のままだった。神像の罠も同じだ。 ただ一つ違うのは、ロームゥの隣に彼がいないこと。彼はロームゥと同じ夢を見た仲間だった。 二人はいつも一緒だった。そして同じ夢を語り合った。 「永遠に生きて、世界の終わりの夜明けを見ようぜ!」 世界の終わりの夜明け。遥か未来に訪れるという、とこしえの暗き夜が終わりを告げる時。二人は途方もない夢を馬鹿にせず、笑顔で追い求めた。 そんな折、願いが叶うという泉の伝説を聞いた二人。 「願いを先に叶えるのはロームゥだ。俺は50年後、生きてたら願いを叶えに行くよ。先に不老不死になって待っててくれ」 彼はそう言ってくれた。そのはずだった。しかし彼は裏切った。先程のロームゥのように。 直前になって騙されたことに気付いた。巨像の氷弾で左腕に深い傷を負い、逃げることしかできなかった。彼は泉で願いを叶えたはずだった。どういうわけか吸血鬼となり、泉に近寄る者を妨害し続けている。 (今回ばかりは成功ですぜ……) レジルとミレウェの強さは目の当たりにした。 吸血鬼も巨像も二人の前に倒れるだろう。 狭い隧道が終わり、広い空間が現れた。そこは少しだけ水が深くなっており、水面に満月のような光が浮かんでいる。 「や、やった……とうとう……」 その振り乱した髪も服もずぶぬれだったが、頬はりんごの様に赤い。 まるで恋をしたような、青春が帰ってきたような感じがして、ロームゥは目を潤ませた。 「願いを叶えてくだせぇ! わしに、永遠の命を!」 『永遠の……命……』 子供のような高い声がこだました。ロームゥは全身の感覚を喪失する。 「どういうことですさ、何があったんですさ!」 視界と音を失ってうろたえるロームゥ。子供の声はガンガン頭の中に響いている。 『大地と同一化させているんだよ。永遠の命を叶える方法だよ。大地は死なない。大地は老いない。だから、君も同じように不老不死だよ』 「そんな! 何も見えない、何も聞こえないですさ……」 『大地には目も耳もないからね』 「うう……騙された……なんでわしだけこんな……いや、騙したのはわしも同じだったか……」 脳裏に浮かんだのは、50年前の彼。 「すまん……すまん……」 「謝ることはない」 「もう、わしは世界の終わりの夜明けを見ることはできない……夢だったのに、約束したのに……」 そこまで言いかけて、ふと疑問に思う。聴覚が失われたのに聞こえた声は? その瞬間、視界が開けた。 ◆2 ロームゥはゆっくりと目を開けて、恐る恐る自分の両手を見た。しわくちゃの老人の手。大地と同一化したはずのそれは、元の人間のそれに戻っていた。 顔をあげる。目の前に立っている三人。レジルと、ミレウェと、吸血鬼。 「流石に大地と同化するのは時間がかかりすぎる」 「どういう……?」 レジルはカイゼル髭を撫でて言った。 「もっと簡単ですぐに叶う願いを挟ませてもらった。即ち……吸血鬼の彼を人間に戻すという願いだ」 「どうして……」 ロームゥはびくびくと吸血鬼の顔を見る。彼の顔はすっかり老人になっていた。 「俺も同じだったんだよ、ロームゥ。吸血鬼になって、不老不死になって、一度は喜んだ。けれども血なまぐさい血液を摂取する毎日は苦痛だった。体質が変わっても、価値観と感覚は変わらない。この泉はそういう意地悪をするんだ」 「そんなァ……お前の永遠の命が……」 「すまなかった、ロームゥ……お前は本当に、純粋な夢を見ていたんだな……俺は不老不死に目がくらんでしまった。けれども、お前は最後まで世界の終わりの夜明けを見ることを信じていた……」 「このお二人を裏切った時点で同じですさ」 「夢のために他人を蹴落とすことくらいあるものだよ」 レジルは手を取り合う二人にカメラを向けた。 「さ、仲直りの一枚を撮らせていただいてもよいかね?」 「いいですさ、きっと記念になりますさ」 パシャリ、と間抜けなシャッター音。ロームゥと友人の表情が和らぐ。 「願いの泉、伝説通りでしたわ! すばらしい名跡でしたわね! もっとも、伝説が正しければ……」 「いけねぇ! 水が来ちまう!」 そのとき、地響きの音と振動、地下水の量が見る見る増えていく。4人は再び隧道を這って進む。 ロームゥは見た。隧道を抜けた先、巨大神像のあったホール。いかなる技を用いたのか、巨大神像は床に横たわり、関節が粉々に砕けている。七色の光を放つ流星がその上を舞っていた。 「ひぃ、これをやったのですさね……」 「ゴーレムだから再生するはずですわ、先を急ぎましょう」 老人のロームゥと友人は走ることはできなかったので、途中からレジルとミレウェに背負われて進んだ。背を屈め、床をスケートで滑るように進む。 そしてとうとう井戸から飛び出した4人。背後で井戸から噴水の様に地下水が飛び出し、雨を降らせた。 「また50年後……わしらはもう生きていないですさ」 近くの岩に腰を下ろして休むロームゥ。彼の友人は周囲の森を眺めながら言った。 「もう、見ることはできないのだな……」 「見たですさ。わしは……」 ロームゥは目を細める。 「井戸の底で、わしは一度願いに触れた……それだけで十分ですさ」 「ああ、願わくは二人の最後の時まで、共にいれたらいいな」 二人は再び手を取り合う。 「ささ、今度は4人で記念写真はいかがですかな?」 レジルはそう言ってカメラを掲げたのだった。 願いが叶う井戸の底で(了) 【用語解説】 【スケルトン】 骸骨の戦士。ただの骨と侮るなかれ、強力なタフさを持ち、完全に粉みじんに破壊されるまで戦い続ける。関節は磁力の様にくっついているので、骨が折れても新たな関節になるだけなのだ。死霊の一種なので、カウンセリングで悩みを開放させれば浄化してくれる 【用語解説】 【不死】 人間には寿命があり、種族ごとに異なるが大体50歳から60歳まで生きれば上等である。一部の魔法使いは魔法によって不死性を手に入れ、永遠の時を生きる。原理的には自分の周囲に常に魔法陣を展開し、「死なない」というルールを設定するのが一般的である 【用語解説】 【ゴーレム】 オートマタ技術の元になった疑似生命技術。古代神秘帝国時代に編み出され、生命なき石や泥に命を与える。命は疑似的な感情を生み、魔法を使用させることができるが、複数の魔法を扱う、状況に合わせて使用するなどは非常に苦手である。命令も単純なものしか理解できない 【用語解説】 【大地】 円盤形の世界であり、天動説の世界である。世界の端に行くほど寒くなり、世界の中心がいちばん暑い。中心部の地下にはコアがあり、生命金属の塊だと言われている。パンケーキが積み重ねられているように、古い地層の上に新しい地層の円盤が重ねられている 【用語解説】 【魔法陣の綻び】 魔法は人間の編み出した術であり、人間が完全な存在でない以上、魔法もまた完全ではない。それはルールを生み出すという最高峰の魔法、魔法陣であっても同じである。いつしかそのルールは人間の不完全な感情から生まれる綻びによって、抜け穴だらけの、歪なものに零落する |