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 名前を取り戻した男#1 彼とは違う彼


◆1


 ひとには色々な自分がいる、と後にエンジェは思った。もちろんエンジェ自身にもたくさんのエンジェがいる。それに気づくかどうかは、そのひと次第かもしれない。
 気づかなくても何の問題もなく暮らすひとも多い。振り返ってみると、気づく事件だったとエンジェは思う。

「オハヨウ!」

 いつもの朝に、いつものミェルヒの声。エンジェはベッドの上で身をよじった。カーテンの隙間から朝日が差している。同居している集合住宅のあちこちから、朝の支度の音が響くオーケストラ。
 ガシャガシャと赤錆の鎧を揺らしてミェルヒが部屋に入ってきた。

 エンジェは訝し気な顔でミェルヒを見る。

「誰?」
「ハハ、寝ぼけてるのかよ。僕だよ、ミェルヒだよ」

 錆びだらけなバシネットのバイザーを開き、ミェルヒが笑う。

「違う。あなたはミェルヒだけどミェルヒじゃない」

 声を聴いただけで、表情を見ただけで分かった。

 エンジェとミェルヒは二人組の冒険者だ。職業騎士のミェルヒと、冒険画家のエンジェ。もう何年も一緒に組んでいくつもの冒険を繰り返していた。男のミェルヒと同居しているのに、28にもなる女性のエンジェは裸で寝るくらいの信頼がある。

「ミェルヒをどこにやったの」
「えーと……」
「あなたは誰?」
「あの……」
「誰?」

 とうとうミェルヒは折れた。肩をすくめて、疲れた笑みを浮かべる。

「降参だ、降参。初めてだよ、見るなり正体を見破られたのは」

 エンジェは毛布を裸体に巻き付けて、着替えのある箪笥に這って行く。

「そうさ、僕は別人だ。けれども、この身体も記憶も癖も言葉遣いも、確かにミェルヒのものだよ。ただ、魂だけが違う」
「やっぱり」

 毛布の中で暴れているエンジェ。それを跳ねのけると、いつものエンジェ……ネズミ色・絵の具汚れ・ワンピース姿になる。

(魔法犯罪でしょ……面倒ごとに巻き込まれた!)

「ミェルヒは大丈夫なの?」

 エンジェは思わず出かかった「通報」の言葉を思いとどまり、別の言葉に直した。こういう時に相手を不安にさせる言葉は言わない。

「大丈夫だ。頼む、少しの間だけなんだ。協力してくれ!」
「まぁ、ミェルヒのためなら協力を惜しまないけど……私も冒険者だよ。対価無しに力だけ借りたいってもねぇ……」

 危ない橋だが、相手に弱みがあると察した以上商売っ気を出さずにはいられないしたたかさをいつの間にかエンジェは手に入れていた。

 ミェルヒは赤錆の鎧を軋ませて窓際に移動した。さりげなく外の様子を伺い、安堵の息を吐く。

「人の人生を借りるんだ。当面の生活費は全部僕が出そう……ミェルヒの財布じゃなくて、本当の僕の財布からだ。教会の口座にあるから、引き出して使うよ」

 そうして、奇妙な生活が始まった。そう、奇妙な生活が……。

「お姉さん、もう一杯ビールお代わり!」
「ちょっと何杯飲むつもりなの……」

 ミェルヒは、酒場で毎晩酒を飲んでいるだけなのだ。ひとの身体を借りて、やっていることは何の変哲もない酒浸りだけだった。


◆2


 酒場は今日も活気にあふれ、幾人もの冒険者たちがたむろしていた。木造のホールいっぱいに並べられた机には料理が並び、木樽のジョッキが無造作に並べられている。髭面の男たち、妖しい女魔法使い、異種族の戦士……ここは冒険と危険の最前線から最も遠く離れ、同時に一番近い場所でもある。

 エンジェは酒場の隅で小さく丸まっていた。馬鹿騒ぎとは縁のない人生を送ってきたため、喧騒を聞くと小さくなってしまう。ミェルヒもそうだった。彼は彼らしく、小鉢のつまみを食べながらジョッキのビールを飲む。エンジェも陶器のグラスでビールを飲んでいた。

「お酒美味しい?」
「ああ、人間のメシは最高だよ!」

 ミェルヒはいつも食べ物をおいしそうに食べるし、酒も楽しそうに飲む。全く同じ反応、全く同じ声、全く同じ表情。けれども、エンジェははやり別人だと思う。そして実際、他の誰かが彼を支配している。

「動物にとっては酒も毒だし濃い塩分も毒だ」
「鳥になって空を自由に飛びたいとは思わない?」

 エンジェは小鉢のキャベツソテーをちびちび食べながら言う。川魚のペーストが隠し味に入っており、小さくても食べ応えがあった。
 ミェルヒは少しも迷わないで返事をする。

「鳥か……遠慮するね!」

 ミェルヒは軽く酔っているようで、次第に声の調子を上げていく。

「そりゃあ鳥は空を飛べて幸せかもしれないけど、それ以上に人間はたくさんの幸せを持っているじゃないか。食べて幸せ、飲んで幸せ、遊んで幸せ。きっと人間はあらゆる生き物の中で、幸せの能力にいちばん秀でているんだよ」
「私は気づいているよ」

 エンジェはミェルヒをクールダウンさせるように、静かに囁く。

「貴方はとても幸せそうには見えないよ。辛そうにお酒を飲んでいる。それは貴方のお仕事のせい? それとも他の……。その言葉通りの生き方をしているとは思えないよ」

 酒場の喧騒が一瞬止まったかのような感覚。エンジェは分かっていた。いつものミェルヒとは違うものを感じる。まるで狼に追い立てられているウサギのように怯えている。だから酒の力を借りている。
 酒場にはいつもは見ない怪しい男たち。周囲をじろじろ見ている。

「人間は幸せを追い求める生き物だよ。不幸から逃げて何が悪い……そう思うんだ」
「それもまた正しいね……」

 不幸を打ち消すのは難しい。不幸から逃げられるならそれが最善だろう。ただエンジェは僅かに不満だ。その不幸を浴びている身体は、本当の身体の持ち主であるミェルヒだ。

 そのとき、一人の街娘が二人のテーブルの横に立った。こういった酒場では商談や秘密の計画のために、よっぽど近寄らないと魔法装置によって声の成分が拡散されて雑音にしか聞こえないようになっている。だからこそ冒険者は酒場にたむろすのだが……テーブルに接近するのはご法度だ。

「メイオン……メイオンでしょ……?」

 娘はミェルヒに向かって、その名を呼んだ。エンジェは身に覚えがない名だったし、ミェルヒも知らないだろう……そう思ったが、明らかにミェルヒは動揺し、身体を硬直させたのだった。


◆3


 突然現れた街娘は、どこにでもいる普通の街娘に見えた。ブラウスに長いスカートをはいた旧文明的スタイル。鎖帷子がきしみレザーの鎧の獣臭さが漂う酒場にはまったくもって似合わない、カフェにでもいそうな娘だった。

「ほら、反応した。メイオンでしょ」
「あ、あ……」

 よっぽど致命的な名前だったのだろう。そして、街娘は彼にとって特別な人間なのだろう。怪しい男共に狙われるほど危険な仕事を請け負っているのに、まるで悪戯がばれた少年のように挙動不審になる。エンジェは助け舟を出した。

「彼はミェルヒです。私の相棒です」
「そうですか……でも……」
「危ないよ、あなた。ここはスーツや私服で入る場所じゃないの。鎧と魔法服がドレスコードだよ。何が目的?」
「店に入るのを見かけて……」
「今日は帰りなさい、さ、面倒ごとが次々やってくるよ」

 そう言って店の外まで追い出すエンジェ。

 流石に怪しい男たちの視線を感じたので、その日は早めに切り上げて帰宅した。

「助かったよ」

 赤錆の鎧を着たままミェルヒがソファにもたれかかる。エンジェはいつものように紅茶を淹れ始めた。

「いい加減素性くらい教えてよ。私も狙われそうだったし」

 エンジェは紅茶をミェルヒに手渡した。

「ありがとう。素性か……まぁ、僕のこの能力……身体憑依能力を上手く使った仕事さ。一言でいえば、情報屋。憑依によって得たその人物の記憶……丸々全部を頂いてしまえる。あとは憑依しながら逃げるだけ」
「逃げる途中の船なのね、ミェルヒは」

 ミェルヒは……ミェルヒに憑依した男は自分の術について教えられる範囲で解説した。憑依された側も無害であり、憑依されたことに気付かず、憑依の終わった後は偽の記憶を残される。そして、次の憑依先へ転移するのに時間がかかる……。

「このくらいの情報は僕の敵も十分把握している」
「どのくらい時間がかかるかは言えないけど、もうすぐこの身体は解放されるよ」
「もうすぐ……まぁ、そんな致命的な情報言えるわけないよね。信じて待ちましょうか。貴方が私を信じて話してくれたのだから」
「ありがとう……僕はどこまででも逃げてやる。僕は幸せに辿り着いていない」

 次の日の朝、エンジェはミェルヒの顔を見て少し落胆した。まだ憑依は終わっていない。けれどもエンジェはいつものようにミェルヒの作った朝食を食べ、コーヒーを淹れ、少し話をした。

「朝食なんて作ったの何年ぶりかな」
「本当、何から何までいつものミェルヒと同じなんだね」
「ミェルヒが酒好きで助かるよ……本人の嫌なことはどうしてもできないんだ。今日も酒を飲みたい気分だ」

 もちろん、怪しい男たちにマークされる可能性がある。けれども、酒場はギルドの盟約によって中立が保たれており、逆に安全な場所でもある。
 そうして酒を飲んでいた時であった。

「メイオン……今日は酒場のマスターに話を通してきたよ。同席させてもらってもいいかしら」

 そう、またあの街娘がやってきたのだった。



 名前を取り戻した男#2 辿り着いた場所



◆1


「とにかく真相が分かるまでこのテーブルからどきませんから」

 街娘はそう言ってテーブルにつき、料理と飲み物の注文までし始めた。

「まずあなたの言い分を聞きたいな。根拠だってあるんでしょ? あなたの探しているメイオンってどんな人?」

 エンジェはミェルヒに代わって聞く。

 ミェルヒは動揺しているようで、一言も喋らず目を合わせようともしない。街娘は、静かに自らの思い出を語り始めた。

「かつて同棲していた男の人がいました。名前はメイオン。1年前のことです。メイオンは優しくて、二人の生活は幸せそのものでした……」
「将来を誓うつもりでした。けれども半年前、彼はいなくなってしまいました。同じ名前、よく似た容姿の方はいましたが、彼はわたしの知るメイオンではありませんでした。探しました。きっとどこかにいると。そして、見つけたんです」

 幸せな日々だったのは、回想する街娘の表情からもわかる。
 エンジェはそれとなく察した。ミェルヒに憑依した男がかつて何らかの理由で借りていた男に、この娘は恋したのだ。

「顔も容姿も名前も違うのに、あなたは感じるというの?」
「人間なんて、いくらでも顔や容姿、名前を変えられます。けれども、魂を変えることはできません」

 やがて酒と料理が運ばれてきた。鶏肉にソースを塗って炙ったもの、サラダは……しなびた瓶詰野菜の盛り合わせだ。エンジェは料理を小皿に取り分けて言う。

「しょうがない、今回は私のおごり」
「えっ、いいんですか」
「あなたの言い分が分かるからだよ」

 酒代はミェルヒが出すのに、何だか払いたくなったエンジェは自分の行動に苦笑する。
 乾杯して、3人は黙々と料理を食べ始めた。さっきから一言も話していないミェルヒ、そして街娘は猛然と酒を飲む。ミェルヒは恐らく街娘の下へ二度と帰れないのだ。そして街娘は薄々それに感づいている。

 相当酔ってきたであろう街娘はジョッキを下ろして言った。

「顔をみせてください。もっとよく……ひっく」

 ミェルヒも観念したようだ。黙ったまま街娘と見つめ合う。次第に二人の目が潤んでいく。視界の向こう側に、二人で暮らした全ての情景が浮かんでいるのだろう。

「はいかいいえで答えて。全部、忘れちゃったのですか?」

 返答はなかった。ミェルヒは……メイオンは究極の問いから逃げた。エンジェはそれでも良いと思う。答えれば彼と街娘は不幸になる。ただの他人が最適解かもしれない。街娘は最後に優しく笑った。沈黙の奥にある答えに気付いた。

 そのまま街娘は酔いつぶれてしまった。どこに住んでいるかも分からず、エンジェとミェルヒは街娘をおぶって帰宅する。エンジェのベッドに寝せて、ミェルヒはソファに身を預けた。エンジェはいつものように紅茶を淹れる。

「ありがとう……今まで助かったよ」
「私は何もしてないけどね」
「いや……約束の時が来たんだよ」

 ミェルヒは赤錆の鎧を名残惜しそうに撫でる。

「運が良かったと思っている自分が嫌だ。彼女の問いに、もう答えなくていい自分に……」

 そう言って深くうなだれたミェルヒ。そのまま眠りにつく。彼は旅立ったのだ。


◆2


「オハヨウ!」

 いつもの朝に、いつものミェルヒの声。エンジェはソファの上で身をよじった。カーテンの隙間から朝日が差している。同居している集合住宅のあちこちから、朝の支度の音が響くオーケストラ。

 ガシャガシャと赤錆の鎧を揺らしてミェルヒが部屋に入ってきた。

 エンジェは喜びを隠さない笑顔で言う。

「ミェルヒ、おはよう」

 声を聴いただけで、表情を見ただけで分かった。ミェルヒが帰ってきたのだ。当人はというと、機嫌が良すぎるエンジェに戸惑いを隠しきれないようだ。エンジェはソファから飛び起きる。

「昨日は酔っちゃって覚えていないんだ。何があったっけ」
「おいおい、人違いのお嬢さんと飲んで楽しんだじゃないか。お嬢さんはもう起きて朝食の準備を手伝ってくれているよ」
「そう……」

 そういうことになっているらしい。それであっけなく事件は終わった。

 ある日、エンジェとミェルヒは街外れの公園で例の街娘を見た。

「お久しぶり」
「奇遇ですね! 散歩ですか?」

 二人はエンジェの描いた絵を公開しに来たことを説明した。イーゼルを組み立て、今回の新作を立てかける。よく晴れた、積雲シルフの気持ちよく泳ぐ日だった。

「ところで……その肩のオウムはいったい……?」

 エンジェは気になってしょうがない。街娘の方に、大きなオウムが止まっているのだ。大人しいもので、微動だにしていない。

「ああ、この子は……私の新しい家族です」

 街娘はエンジェの絵を見ながら言う。

 エンジェも、自らの絵を隣で見ながら会話した。

「オウムを飼い始めたのですか、素敵ですね」
「動物屋さんで見かけて一目ぼれしてしまいましてね、それ以来いつも一緒なんです。この子も、私の心が分かるようで、とってもいい子なんです」

 そう言ってオウムを撫でる街娘。

「名前はつけたんですか?」
「ええ……メイオン。きっとあなたはメイオンなんです。メイオンの生まれ変わりです。そう信じれるのです……」

 エンジェはそこで思い立った。このオウムはメイオンなのだ。メイオンはオウムに憑依したのだ。

 オウムがエンジェを見て鳴き声を上げる。

「メイオン?」

 反応はない。もしかしたら、鳥に憑依したことで完全に鳥になってしまったのかもしれない。人間の思考を捨て、鳥になることで自らの持つ情報を破壊したのだ。変異術の使い手が最後に使う方法に似ていた。

「ほら、今笑った」

 街娘はそう言ってメイオンをくすぐる。メイオンは彼女の手に頬ずりをする。

(そうか、何も心配いらないんだ)

 彼女は気づいている。それを知っただけでも、エンジェは安心できた。

(鳥になんかならないなんて言ってたくせにさ)

「じゃあ、私たちはこれで……メイオン、行くよ」

 エンジェは二人の過ぎ去る後姿を見て思う。

(彼は、名前を取り戻せたんだね)

 ミェルヒはというと、何が何だかさっぱりわからないようだった。



 名前を取り戻した男(了)













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