html> 掌編






 死体を売る#1 疲れ果てたOL


◆1


 帝都の本質は地下にあるという。蟻の巣のように張り巡らされた地下街と地下鉄。寒さの厳しい地方にある帝都は、暖かい地下にその版図を広げた。
 あちこちから湿った蒸気が噴き出し、猛スピードで地下鉄が駆け抜ける。車内にぶら下がった裸の電灯がその振動でふらふらと影を揺らした。

「あー、しんど」

 地下鉄の中で思わず声が出たことに、彼女自身が驚いて恥ずかしさに顔を伏せた。スーツを着たOL、名前はエルムラ。

(自制心が衰えている……疲れてるなぁ)

 深夜23時の「通勤」が彼女の心をすり減らしていた。家にいたのは1時間程度。突然の呼び出し。

(仕事も5年目、ここが大事だから、頑張らなくちゃ)

 自分を奮い立たせて、列車の揺れに抗う。意識を強く持って、降車駅を確認した。まもなく最寄駅だ。列車が停車し、薄暗いホームに降りて、そのまま会社へ直行した。臨時の仕事はよくあることだ。

 エルムラの所属する企業は儀式素材を扱う。魔法使いは魔法の素材として様々なものを必要とすが、それらを融通することで、魔法使いからお金と殺されないという立場を得ているのだ。魔法使いの国家である帝都は魔法こそ絶対である。
 特にエルムラの会社は人体素材を扱っていた。

 会社で上司からすぐさま命令が下された。死体が大量に出たらしい。場所は教導院歯車街支所。歯車街は工場地帯であり、大きな労災が発生してたくさんの死体が運び込まれたという。
 エルムラの会社は隣町にあり、すぐ駆けつけることができた。こういった素材は取り合いになることも多い。

「ああーこの死体も脳が無い……」

 生臭い匂いの立ち込める死体安置所を右往左往するエルムラとその同僚。ここにある死体は生前に蘇生を希望しないことを表明した死体たちである。大抵身寄りもなく、貯金もない労働者たちだ。

「脳は人気ですからね。高く売れるし」

 同僚も困り顔だ。薄暗い死臭のこもった部屋。その扉が開かれ、5人ほどの男女が入ってくる。誰も彼も目玉が覗くターバンを頭にかぶっていた。それ以外は普通のスーツ姿だ。
(教導院の職員だ……)

 エルムラは彼らのことをよく知っている。蘇生や死体の最終処理を行う者たちだ。
 奇妙な職員たちは、それぞれ思い思いに死体の状況を確認し何かメモしている。職員と出会うことは稀だ。エルムラが興味深そうに横目で見ていると、頭の中を引っ掻くような声が聞こえてきた。

『大量の死体が搬入されたんならノルマは達成しているだろうな!』

 上司からのテレパスだ。芳しくない報告をすると、上司は怒鳴り、罵り、エルムラのことを無能だと決めつけた。

『ノルマを達成するまで帰ってくるんじゃないぞ!』

 そのときエルムラの心の奥で何かが堰を切ったように溢れ、涙が一筋零れる。

『知るか』

 短く返事をしてテレパスを遮断するエルムラ。

(あーあ、後で反省文だな)

 ざわざわする同僚たち。エルムラは大きくため息をついて、何の成果も得られない死体安置所を後にした。これから起こることを思うと頭が重い。それでも彼女の足取りは羽のように軽かった。


◆2


 エルムラは仕事を終え、始発列車で帰宅した。

(今日は死ぬほど怒られたなー)

 どこか他人事のように思いながら、スーツを脱いでベッドに横になる。電灯の灯る天井は冷たく、静かだった。遠くに地下鉄の唸るような轟音が響いている。机の上にはパンがあるが、食べる気にはならない。

(別に怒られたからって、私の何かが欠けるわけでも、死ぬわけでもないしなー)

 静かに目を閉じて考える。心臓の音だけを感じようとする。

(私は全力を出している。身体と心を削って生きている。これがベストなんだ。怒られたからって、私の何かが覚醒するわけでもない。無意味だよ)

(何のために怒られているんだろう)

 答えは見つからない。

(何のために頑張っているんだろう)

 目を開く。答えは見えない。

(何のために、生きているんだろう)

 ぽろりと涙がこぼれた。内臓が締め付けられて、背骨に冷水を注ぎ込まれたような感覚。

 勤めてから5年間の思いが次々と押し寄せてくる。悪夢から逃れるように立ち上がり、冷蔵庫に冷やしてあった酒を乱暴に飲んだ。どうせ朝になったら出勤だが、もはや彼女は構わなかった。
 冷蔵庫の前にしゃがみこんで、ぽろぽろと涙を流す。

(自制心が衰えている……止まらない)

 冷蔵庫から手当たり次第に食べ物を取り出し、むしゃむしゃと食べた。

(頑張って就職して、頑張って仕事して、得たものは何だろう。吐き気のする死臭を嗅ぎながら死体を漁って、ノルマがこなせないと怒鳴られて、成果が出ないと罵られて、それで私が得たものって何だろう……)

 自分を取り戻した時には、エルムラは地下鉄に乗って出勤していた。時計を見ると悪夢はわずかな時間だったようだ。酒は深くは飲んでいないので会社に着くころには抜けるだろう。

(不良社員だな)

 そう思って笑った。あんな思いをした後にも、また仕事のことを考えている自分に笑った。
 会社につくとすぐにまた教導院歯車街支所へ行くことを命じられた。どうやら今回は別の事故で死体が担ぎ込まれたらしい。
 人間の死体が行き着く先は教導院だ。エルムラは近くの街の教導院を渡り歩く毎日。支所ごとに人員を配置しろとは思うが、人件費削減でそんなことはしない会社のようだ。

 死体安置所についた時、今回は先に教導院の職員が死体を調べていた。今回も5人の男女が死体を検査している。以前見た記憶がある職員の青年が、珍しくも挨拶をしてきた。
「やぁ、いつもお世話になっております」
「こちらこそ」

 死臭が似合わない清潔感を、青年から感じる。青年は年下にも見えるし、年上にも見える、捉えようのない顔をしていた。彼の方から自己紹介をしてくる。

「ミクロメガスと申します。今回の通達、突然のことでしたね」
「あ、エルムラと申します。通達と申しますと……?」

 青年は困った顔をして、頬をかいた。

「困ったことに、政府が死体の希少部位の流通制限を行うと言ってきたのですよね。教導院としてもそれに従う方針です。今後も企業と教導院、連携して死後素材の有効活用ができるように調整していきましょう、よろしくお願いいたします!」

 エルムラは一抹の不安を抱えずにはいられなかった。


◆3


 会社に帰ったときの居心地の悪さはエルムラの想像以上だった。全体的にピリピリしている。とくに、上司などはカタカタと貧乏揺すりをしている。眉間のしわは深く、エルムラを見るなり睨みつけてきた。

(ああ、例の通達か……)

 エルムラは黙って上司に向かって会釈をし、自分の席について納品リストの整理を始めた。死体が無いときはこうして事務仕事をやる。事務員を雇えばいいのにと思ったが、やはり人件費削減とやらだろう。
 脳の納品が10件も予定されているのを知った。

(これ大丈夫なのかな……)

 もちろん大丈夫ではない。通常業務でも納品が難しい脳を10個。それも希少部位だ。流通制限の対象となり、探すのは難しい。もし納期が遅れたら、取引先の気まぐれな魔法使いが何をするか分からない。
 いつもだったら絶望し焦っていただろう。いまは周囲のざわめきが遠く感じる。

(知るか)

 その言葉が彼女の辛さを軽くしていた。まともな待遇だったら責任感も湧くだろうが、薄給でこき使っておいて、こちらの尊厳を踏みにじり、労働力だけをむしり取っている。そんな奴らに捧げる責任感など今のエルムラには無い。

 死体は欲しい時には転がっては来ない。忙しそうに四方八方のつてを頼って死体を探す社員たち。まるでジャングルで鳥でも騒いでいるかのように、エルムラは感じていた。エルムラはどこまでも自由だった。

(今私は解き放たれている。私を縛っていたものから解放されたんだ)

 苦しかった仕事もはかどる。

(はやく死体来ないかなー。いまならピクニック気分で行けそう)

 ここまでに5年かかった。5年の歳月を苦しみで過ごしたのだ。エルムラはふと思った。
(この5年間で私が得るはずだったものって何だろう……私は何のために働いているんだろう)

 タイプライターを叩く姿はまるでピアノを弾くよう。エルムラは、いまなら分かる気がした。

(そうだ、幸せが無かったんだ。私は、幸せになるために生きてきた……幸せになるために、この世に生まれたんだ)

 幸せなんて贅沢だと思っていた。それは幸せを奪う奴らの嘘だって気付けた。ふっと息を吐き、背伸びをする。上司が血走った眼でエルムラを見ていた。

(そう、関係ないね)

 上司がエルムラを呼び、雑用を命じる。仕事の進みが早かったので、エルムラはそれを了承して倉庫へと向かった。そこまでは覚えていた。

 頭がガンガンする。体中がギシギシと痛む。声が出ない。薬品の匂いが顔からする。毒物を嗅がされたようだ。
 目をゆっくりと開けると、薄暗い空き部屋の内装と、無造作に積まれた箱が大量に見えた。誰かの気配がする。関節が焼けるように痛む。身体が麻痺して……力が出ない。

 エルムラは椅子に縛られていることを、朦朧とした頭でようやく認識した所だった。



 死体を売る#2 幸せの手


◆1



 エルムラはゆっくりと首を回して部屋の様子を見る。薄暗い中で、覆面を被った男たちが立っている。

(どういうこと……私は何をされるの?)

 朦朧とした頭にじわじわと危機感が浸透する。カチャカチャという何かの音が背後から聞こえた。

「だれか……」

 舌が回らないが、それでも声を出す。誰も答えようとしなかった。手術服をきた覆面の男が目の前に立つ。

「誰も来ないし、誰も知らないし、誰も……」

 聞き覚えのある声。上司だ。頭上に強い光が灯る。まるで手術室だ。

「ボス、何でこんなことを……」
「納期だよ」

 無感情な声で告げる。ゴムの手袋をはめて、何かの機械を手に持つ。工具か何かにしか見えない。

「納期って、何の……」

 ようやく、エルムラはこれから何が起こるのか察した。室温が一気に下がったように錯覚し、背筋が震える。

「脳の納入を遅れさせるわけにはいかない。死体を待つ余裕もない。足りない分は、自前で用意する。それだけだ」

 静かに、無感情に、まるでレストランのメニューでも読み上げるように言う。

「そんな! ふざけないで……」
「生意気なんだよ!」

 一転、怒りを露にする上司。

「中途半端な仕事ばかりで、反抗的で、給料もらってるくせに……お前はいらないんだよ! なぁ!」

 エルムラの首を掴み揺さぶる上司。椅子が揺れて倒れそうになったが、誰かが支えたようだ。エルムラの頭が真っ白になる。

(ああ、死ぬんだ、ここで)

 たくさんの思いが駆け抜けていく。真っ白になった頭を埋めるように、感情の奔流が心を突き破って頭を満たし、口を動かす。

「返せ……」

 上司は工具のスイッチを入れる。ドリルが回転し、不愉快な駆動音を立てる。周りの男たちが、暴れるエルムラを抑えつけた。

「返せよ! 私の5年間を……私の努力を、私の時間を、私の……人生を! 私はこんな仕打ちを受けるために5年を支払ったんじゃない! 私は……私は幸せになりたいのに! お前らは私から幸せをむしり取って、私にはもう何も残っていない! 返せよ、幸せを、返せよおおお!!」

 エルムラの口は塞がれ、ドリルが頭蓋骨に穴をあける音が響く。くぐもった悲鳴は、やがて聞こえなくなった。


やぁ、ここにいたのか――


 静かな場所に、柔らかい光が満ちている。

(幸せになりたいよね……)

 声が聞こえる。少年だろうか、青年だろうか、捉えようのない声。

「幸せになりたいよ」

(なれるよ。たかが脳を失っただけじゃないか。さぁ、手を取って……)

 そして、光に向かって手を……。


◆2


 教導院支所には今日も死体が運び込まれる。蘇生が必要なものと蘇生されない死体に選別され、蘇生を必要としない死体は魔法素材として高く売れる。

「ミクロメガス、予知の苦手な君が良い予感って珍しいね」

 少年風の魔法使いが死体安置所で死体を見ながら隣の青年に話した。

「残念ながらハズレかもね……僕の会いたいひとは来てないみたいだ。オメガ、欲しい死体は遠慮なく言ってね」
「いいのですか、悪いですねぇ」
「君には十分な貸しがあるからね」

 オメガと呼ばれた少年と、ミクロメガスと呼ばれた教導院職員。死体はどれも内臓が抜き取られていた。骨髄や皮は魔力の旨みが少ない。

「どれもこれも、手を付けられた後ですね」
「流通制限のせいさ……帝都の魔法使いは好き勝手やってるから」

 ミクロメガスはオメガに死体一人分の分け前を約束した。ミクロメガス自身も死体一人分持って帰るつもりだ。
 しかし内臓が無い以上、どれを選んでも同じに思えた。

「ところで会いたいひとって?」
「たまに会ってた人さ。一目見たときから心の奥に感じるものがあった。声をかけるのは遅かったけど……ん?」

 ミクロメガスは一つの死体に目を留める。女性の死体だ。死んだときのままの姿で運ばれてきたのだろう。頭が半球状に切り取られていて脳は無い。涙が渇いた跡がある頬、スーツ姿で漏らした跡。残酷な死を迎えたことを思わせる姿。

「やぁ、ここにいたのか」

 目を閉じてやるミクロメガス。

 彼はゆっくりと彼女を抱き上げると、背中に背負った。彼女の頭から脳漿の残滓が零れ落ち、ミクロメガスの頬に垂れる。
 オメガはぎょっとした。よく知っている魔力の流れを彼から感じる。

「蘇生するつもりですか?」
「ああ。ただ脳が欠損しているから正常には蘇生できないね」

 ミクロメガスは死体を背負ったままゆっくりと彼女の手を握った。手の熱が次第に彼女の身体へと浸透していく。

「世界の副神、濁積の創造主たるベルベンダインに乞う。天の流れ、地の脈の中で安らいだ彼女の魂を再びこの地に戻さんことを」

 蘇生はすぐに完了した。

「以前のように君の部下にするのですか? 今度はどこに惹かれたのですか」

 オメガは不思議そうだったが、ミクロメガスは何にも特別なことはしていないつもりだった。

「大きな感情を見つけた……それは凄い力なんだ。感情の意力は運命を捻じ曲げる。運命と戦う力だ」

 オメガは不思議そうな顔で話を聞きながら、死体を選別していた。ミクロメガスは死体を背中から下ろし、まるでダンスを踊るように抱きかかえる。死体の首が横を向いてだらりと垂れさがった。

「そして、僕と似たような願いを持っているひとが気が合うんじゃないかって、そう思うんだ」

「し、しあわせに……」

 脳が空っぽのまま蘇生し、機械のように無感情な声を上げる元死体。ミクロメガスは自分のターバンを外し、切り取られたままの彼女の頭を隠してやった。

「そう、幸せになれるよ。いまからでも遅くないさ。僕のところで働かないかい?」



 死体を売る(了)










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