満開の桜に包まれて安らげ!#1 古城の法則 ◆1 古城に桜が咲く。アヅマネシアの春は花の咲く春だ。石垣だけが残る古城に溢れんばかりの桜が咲くと聞きつけて、観光客のフィルとレッドは遥か東の地までやってきた。 「やぁ、ガイドブックを凌駕する景色だぜ」 いつものトレンチコート姿でレッドが呟く。隣には背の高いフィル。 ここは街から離れた山城の跡で、遠く盆地が見渡せる絶景の場所だった。アヅマネシア人の観光客ばかりで、フィルとレッドの姿は妙に浮いている。所々にフィールドワーク中の研究者だろうか、桜を調べている者たち。 「世界中のどこだって、美しくない場所はないね」 眩しい日差しの下、フィルは団子をもぐもぐ食べながらベンチに腰を下ろしていた。素朴な疑問が浮かぶ。 「古城には桜がよく咲いているよね。誰かが植えていったのかな」 「まぁ、確かに自然に密生するようなモンでもないよなぁ」 そのとき、背後の石垣から声が。 「そのとーり! 桜の謎には訳がある!」 女の子が石垣から半透明の身体を乗り出していた。フィルとレッドはビビッてのけぞる。 「おい、フィル! やべーぞ、死霊だ!」 「待って、この死霊、訳アリって感じだ」 死霊。人間の執念が魂の形を取って現世に残る現象。死霊は例外なく強い妄執に心を蝕まれている。それは時間の経過と共に強くなり、最後には完全な破壊衝動の塊となる。 救われる方法は、執念を開放し浄化されるか、蘇生されるのを待つだけだ。ただ、いくらか冷静な死霊は妄執の成長も緩やかで、浄化するために交渉の余地がある。 「君は何かを知っているようだね、それが君の妄執の元か……よかったら教えてくれないか」 「おいおい、大丈夫なのかよ……死霊で失敗したの2度や3度じゃすまないぜ」 「どれもこれも、君は乗り気だったじゃないか」 「ごちゃごちゃ言ってないで、あたしの話を聞きなさーい!」 霊は誇らしげに話し始めた。 「桜の花は鎮魂の意味もあるの。血の流れた古城に桜を植えることで、死者を花で包んで弔おうって話よ」 「なるほど、それはいいね」 アヅマネシアは争いの絶えない土地だ。いつの時代も、この時代でさえもどこかで戦火を交えている。 「あたしは待っていた……あたしの声が聞こえるひとを。そしてとうとう出会ったの! 知ってる? 霊媒師でもないのに死霊の声を聴けるひと。それって死霊を救う運命にあるひとなんだって! キャー! 運命きちゃったー!」 そういえば霊に反応するひとが周りにいないなとフィルは思う。 「おにーさんたちは運命を運んできた人なんでしょ? そうでしょ? そうなんでしょ?」 「いいや、僕らは……」 「俺たちは観光客だ! 観光客のプロだ! 全力で観光する!」 キメポーズを取るレッド。桜吹雪が背後に舞った。霊は目を輝かせる! 「運命の人! ありがとう! あたしの願いを聞いてくれるよね! うん、運命の人だから当然よね!」 霊はレッドと手を取り合ってくるくる回る。周りの人間は流石に一人で踊るレッドを怪しい目で見る。桜は散ってなお、彼らの頭上に満開となって咲き誇っていた。 ◆2 山城を埋め尽くすように咲く桜の花。観光客は思い思いに春を楽しむ。彼らに死霊の少女は見えていない。なので、フィルとレッドは奇異な目で見られないように人の少ない場所に移動して、三人でベンチに座った。 少女は得意顔で言う。 「城跡に桜が咲く理由を考えたことがある?」 同じく得意顔で考え込むレッド。 「ちょっとまって、いま最高に詩的な理由を考えるからよ……」 「ブッブー。現実はもっと泥臭くて、汗臭くて、地道な努力なのです。正解は、城跡を巡って桜の苗を植えたひとがいるということでした!」 「へぇ、それがさっき言っていた鎮魂なのかな」 少女は満開に咲き誇る桜の向こうに、その人物を思い浮かべた。 「そう、ただ鎮魂のために……名も忘れられた兵士のために一人黙って桜を植えたひとがいるのよ……それって凄いことじゃない? でも、それは誰も知らない。桜を褒めるひとはたくさんいるけれど……そのひとも讃えたいの!」 「つまり、そのひとを宣伝すればいいわけだ。君はそのひとのことを知っているの?」 「ふふ……すべてはこの古文書に記されている!」 得意げに懐から古い巻物を取り出す少女。そこにはアヅマネシアの言葉で何かつらつらと書いてある。フィルとレッドはこの言葉を話せるが読めない。 少女が言うには、桜の木を植えた伝説の人物が書いた手記のありかが、この巻物に記されているという。 「さぁ、あたしの願いを聞いてよね、助けてよね、協力してよね! 手記を一緒に探しにいきましょう!」 レッドは不思議そうな顔で古文書を見る。 「これどっから手に入れたの? ほら、信憑性とか……」 「の、農家の蔵から発見されたの! 確実だよ!」 「それを君はどうやって……」 「譲り受けたのよ!! 協力するの? しないの? どっちなの!」 少女の身体がガタガタ揺れる。 「フィル、これも観光だよね」 「ああ、観光ですね!」 フィルとレッドはそんなボロボロの説明でも快く引き受け、3人は古文書の情報を元に手記を探すことにした。 「古文書の情報によれば、この城のどこかに埋まっていることが確実なの!」 「手記って、埋めるもんか?」 「個人情報でも書いてあったのかな」 少女は死霊の怪力で二人を引っ張り、城の怪しい地点に連れていく。目星はついているようだった。 「個人情報とか生活感のあるワードは禁止です! 伝説なんですから! 桜に殉じた伝説のひと!」 目的の場所は城の影になっており、雑草が生い茂っている。観光客の気配はない。 「げっ……こんなとこを掘り返すのかよ。スコップも魔法も持っていないよ」 「スコップなら用意しています!」 少女が草むらからスコップを取り出す。 「一流ホテルのサービスより用意がいい!」 「場所は分かっているんだから、準備していたの! 悪い!?」 そのとき、フィルは誰かの存在に気付いて振り返った。桜が咲いている。その木の下に数人が固まって何かをしている。フィルとレッドも怪しいが、彼らも怪しい。互いの怪しさを紛らわすため、互いに挨拶をした。 「やぁ、こちらは宝探しです」 「ほう、こちらは伝染病の調査でして……」 ◆3 宝探しを名乗るフィルとレッドを華麗にスルーした男たちは、自らを植物学者の団体だと名乗った。 「学者さんかぁ。白衣着てないんだね」 「白衣じゃフィールドワークはできんよ」 フィルとレッドも死霊の少女について軽く説明した。 それを聞いた学者たちは、一様に暗い顔をする。 「桜を植えた伝説の方……きっと悲しい思いをしているでしょうな」 「と申しますと……」 学者たちはフィルにいくつかの写真を見せる。黒く変色し、枯死した桜の写真。 「まさか、伝染病というのは」 「そう、桜の伝染病だ」 「教授! この木はもう駄目です」 作業を続けていた学者が報告する。採取した樹液をルーペで互いに観察する学者たち。一様に厳しい表情だ。 「手遅れであったか……もう木を切っても遅い。ここの桜は来年見ることはできないだろう」 フィルはそのとき、死霊の少女がやけに静かなことに気付く。振り返ると、草むらの中に蒼白な顔で立っていた。。 恐る恐る彼女はこちらに歩み寄り、写真を見て絶句する。学者たちは写真をしまい、撤収の準備を始めた。 「伝染病は北上している。鳥や獣、観光客の靴に乗って……」 学者たちが去った後も、三人は桜の木の下でしばらく佇む。レッドがスコップを肩に背負い、口を開いた。 「そういうことなら、桜が枯れる前に手記を見つけるしかないな」 レッドはそう言って草むらの中へ歩いていく。コオロギが跳ねて逃げていった。フィルも続く。 土を掘ろうとして、二人は少女の様子がおかしいことに気付いた。彼女は地面にへたり込み、呆然とうなだれている。 「もう、いいんだ……手記は、探さなくても……」 「何言ってんだよ、まだ何にもしてないじゃないか」 レッドは笑って、ザクザクと土を掘る。 死霊の少女は草むらに佇み頭上に咲き誇る桜たちを見上げている。その目は涙で潤んでいた。 「桜はもう終わりだ……桜の苗は一本の桜から挿し木で作った。だから病気にかかったら耐えられる木は存在しない。みんな枯れてしまう……ひとつ残らず」 それでもレッドは掘るのをやめない。 少女の姿が次第に透明度を増し、空気に溶けていく。浄化されようとしているのだ。それは妄執が消えゆく証。その原因が諦めであることは、フィルもレッドも分かっていた。桜が散っていく。 「もう、さよならだよ。最後は桜に包まれて消えたい」 ふわりと浮き上がる少女。 視線の先には桜があった。石垣の上に零れそうなほど咲き誇る桜。少女は目を細め――そこで止まった。 視線の下、レッドがスコップで猛然と土を掘る。そこらじゅう土を掘る。気まずくなってきた。一人で勝手に浄化しようとしている自分が気まずい。 「どうして」 フィルはレッドの気持ちを代弁した。 「兵士の鎮魂のために桜を植えたひとがいるって凄いことだよ」 「いくら凄くたって枯れたらおしまいだよ」 「兵士だって死んだらおしまいじゃないだろう?」 桜の花びらが少女の頭に触れ、髪飾りのように彩を加えていた。 桜で包んで弔うために#2 伝説のひと ◆1 「いやだー! 浄化されたいー! 兵士さんは立派に戦ったから鎮魂してもいいけど、桜を鎮魂したって意味なんかないー! 消えるー! 消えるんだー!」 わめく死霊の少女。フィルは彼女の足にしがみついて逃げられないようにする。彼の身体が僅かに浮いて、少女は空中に静止した。 少女は城跡に咲き誇る桜に手を伸ばして言った。 「桜に包まれて消えるだけであたしは幸せなんだよ、それで十分じゃないか」 「それじゃあ君の知りたがっていた、桜の木を植えたひとを知らずに消えてしまう」 フィルは空中でじたばた足を振る。 「分からなくていい、知らなくていいのに!」 「僕たちは何をしようとしていると思う?」 不意に質問されて、きょとんとした顔でフィルを見る少女。僅かに下降し、フィルの足が山盛りの土の上につく。 「何するって……何するの?」 「僕たちは……」 「俺たちは!」 土を掘っていたレッドも声を重ねる。 「二人で一つのプロの観光客! ライセンスは《サウザン=マウンテン=エキスプレス・スーパー・パス》! 誇りをかけて、俺たちは最高の観光をする! こんな名所を、知らない、興味ないでは済まされない!」 フィルは少女の足から手を放し、訴えた。 「僕たちは最高の観光をしたいんだ。ただ景色を見るだけじゃ足りない。景色に込められた理由を知りたい。それに立ち会うのは、君じゃなくちゃダメなんだ。君は僕らに助けを求めたね。今度は僕らが君にお願いする番だ。もう少しだけここにいてくれ!」 少女は黙って二人を見ていた。レッドは答えを待たずに、土掘りを再開する。フィルはにこりと笑って答えを促した。 「貸し借りはしょうがないわね……あたしもあんたたちに恩返ししたいし……こんなに土を掘らせちゃったし……」 満開の笑顔になるフィル。 不機嫌そうな照れくさそうな、複雑な表情をして少女はフィルをどつく。 「しょうがないわねー! あたしのためじゃないんだからね! あんたたちのため! あんたたちのためにしょうがなく、手記を見つけるのを見守ってあげる! 見届けてあげる! だから精一杯土を掘りなさいよね!」 フィルはそれを聞いてレッドに目くばせした。レッドも以心伝心といった様子で、今まで掘らなかった地点を掘り返し始める。そこは生えている雑草の種類が少し違っていた。その地点だけ他の場所とは違い、地を這うような雑草が生えている。栄養の少ない場所に生える草だ。 大地の栄養がある地点だけ少なくなるのにはいくつか理由がある……例えば土を掘り返した後また埋めたことで、栄養の少ない土と入れ替わってしまった……など。しばらく掘ると、古びた木箱が見つかった。 「おや、こんなところにあったのか」 木箱を開けると、そこには古びた手帳が入っていた。 「よかった、間に合ったよ」 フィルはそう言って少女を見る。少女は静かに歩み寄る。 「しょうがないわね……こんな土の下で、誰にも見向きもされなくてさ……」 その言葉は彼女自身に言い聞かせるような口ぶりだった。 ◆2 土の中から掘り起こした手記。レッドはそれを紐解いた。手書きで綴られた苦労の記録。植樹に挑んだ決意、失敗、工夫、再挑戦。再挑戦。再挑戦……フィルはレッドの肩越しにそれを読んだ。時が止まったように静かな読書は続いた。開かれたページに桜の花びらがはらりと落ちる。 手記の最後に、一行の名前。 「サルサワ・マナ……それが、桜を植えたひとの名前。日付は50年前だ」 そう言って少女の方を向くフィルとレッド。少女は照れくさそうに視線を逸らした。 「どう? 鎮魂になったかな」 フィルは掘り返した土を戻しはじめた。スコップの音。 「きっと喜んでいるよ」 少女は長い沈黙のあと、そう返した。レッドは手記を静かに読んでいる。掘り返した範囲が広いので、なかなか大変な作業になりそうだとフィルは額の汗をぬぐった。 「嬉しいと思ってくれたなら、わがまま言ってよかった」 あらゆるものが消えていく世界だ。 物は壊れる。流れは止まることなく変わり続ける。ひとは死ぬ。フィルはいま必死に土を戻している。それも月日がたてば、誰にも分からなくなるだろう。フィルが、レッドが、どれだけ苦労して手記を掘り当てたか……それは彼ら自身の記憶からも薄れていく。一つとして留まるものは無い。 少女の身体が光と桜に溶けていく。浄化の時。妄執から解き放たれ、安らげるときがきたのだ。 「今この瞬間、あたしは全ての後悔を投げ捨てることができた。辛いことも、苦しいこともすべて清算して、ゼロに……」 全ては春の風の中に消えた。 掘った穴を埋め終えた二人は観光の続きを始めた。すっかり日が暮れてきたが、このまま夜桜を楽しむプランである。宵闇が広がり始める空に、蝙蝠が行き交う。城跡のあちこちに照明が灯されて、幻想的な佇まいだ。 二人はそこで、昼間会った学者たちと再会する。 「やあ、君たち。朗報があるよ」 話を聞くと、桜の伝染病に対する特効薬が生まれたらしい。南ではすでに投薬が始まっているという。 「桜の木は運がいい……死の間際に救われるなんてね」 「偶然ではないよ」 学者たちは胸を張って言う。 「病気が見つかって、必死に知恵を凝らして、桜が死ぬ前に薬を作り上げた誰かがいる。その誰かにとってこれはただの偶然かな? いや、情熱の先に辿り着いた必然だよ」 「うっ、恥ずかしい……観光客としてまだまだ未熟でしたね。ところで、城跡に桜が咲くのも偶然だと思います?」 フィルはにこりと笑う。学者たちは不思議そうな顔で首をひねる。 「ご存じないのですか! そう、桜の花の向こう側には、やはり同じように情熱を注いだ誰かがいたのです。よろしければ、彼女の話を少しさせていただけませんか? 僕はまだ未熟なので……」 夜の桜が風に舞う。レッドは古びた手帳を掲げて、一礼した。 「未熟故に、覚えたばかりのことを、誰かに言いたくて仕方がないんですよ」 そう言って二人は彼女の話をはじめたのだった。 ――思いを、桜の花で包んで弔うために。 ――(了) |