城砦は天を殴るように#1 嵐が来る


◆1


 雷雨の中、一台の蒸気車が進む。蒸し暑い夕暮れは一気に闇に染まり、頭上に渦巻くは巨大な積乱雲。クラウドシルフの巣だ。
「ぐうぅ、前が見えない!」
 ほぼ意味のないワイパーが狂ったように動き、雨水をぬぐう。車に乗るのは一人の女性……名前はレイシィ。

(参ったな……どこかに避難したいけど……)
 レイシィは安っぽい玩具の様にガクガク揺られながら、荒野の闇の中街の光を探す。ヘッドライトは期待に反して闇の中吸い込まれていく。
 頭上には積乱雲が渦巻き、意地悪なシルフの表情は刻々と変化しならが無数に現れる。

 灰土地域南部。交易路からも外れ、辺りに街は無い。
(光……光はどこ……ぴかっと……ん!!)
 突然のフラッシュに思わずブレーキを踏む。それと同時に爆音が張り裂けた。近くに落雷したのだ。
「は……危なかった」
 ブレーキから足を放す。

 車は動かない。
「あれ……あれれ?」
 アクセルを踏む。蒸気の漏れる音。落ち着いて機関部を止める。蒸気圧確認。爆発の心配、なし。
「まって、まってよ〜こんな荒野のど真ん中で立ち往生なの……?」
 計器を見るが、指し示す針は芳しくない。

 恨めしそうに狭いフロントガラスの向こう、渦巻く雨雲を見上げる。雨足は強まるばかり。こんな中車外に出て暗い中整備をするなど不可能だろう。いや、可能かもしれないがレイシィは不可能ということにした。
「こりゃ、車中泊かな……」

 シートを傾けて横になる。天井が視界に入った。錆びだらけの天井だ。しばらくうとうとすると、雨漏りの雫が鼻先を濡らした。
 眉をしかめて、身体を横にする。轟音。閃光。心を落ち着けるため、彼女はダッシュボードからチョコを取り出し、口に含んだ。

 翌朝、レイシィは風の音で目を覚ました。雨の音は消え失せ、雲間から眩しい朝日が降り注ぐ。森であったなら小鳥の声でも聞こえてきそうだ。
 レイシィはシートの上で固まった身体をほぐし、車外に這い出た。強い風が前髪を濡らす。蒸気車のボンネットを開く。故障個所はすぐには分からない。

(はぁ、どうしてこううまくいかないんだろう)
 レイシィは天を見上げ、口をきゅっと結んだ。太陽が彼女の顔を無責任に照らす。いつもこうなのだ。車で遠出するたびに機関部のトラブル。
(あらゆる運命が私を裏切るんだ)
 理不尽な仕打ちに怒りさえ覚える。

 とりあえず助けを呼ばなければ直るものも直らないと素早く判断を下し、荒れ果てた荒野に人の痕跡を探る。
(あれ、あんな城が近くにあったんだ)
 そう……はるか後方に、アイスのコーンを逆さまにしたような城が立っていた。もちろん荒れ果てた荒野である。

 近くに村もなければ、交易路もない。土の色が僅かに違うだけの味気のない道が南北に伸びているだけだ。木も生えていない真っすぐな地平線に、ぽつんと城が立っている。
(誰かいたら儲けもんってことで)
 車から背嚢を引っ張り出し背負うと、城に向かいレイシィは歩き始めたのだった。


◆2


 城に近づいたレイシィは、その城が昨日の雷雨で崩壊していたことに気付いた。壊れた箇所が新しい。そもそも城は新築のようだった。
「もったいねー」
 レイシィはぽかんと口をあけながら一言。入り口から中を覗くと天井が崩落しており、青空が見える。

 城には生活感といったものが一切なかった。普通ガス灯で炙られた場所が変色していたりするものだ。
「新築も新築ね」
 こんな荒野に意味不明な建築。レイシィは急に背筋が寒くなってきた。住居や軍事目的以外で城が建てられると言ったら理由は一つに決まっている。

 この城は石造りの頑丈な城だ。そういう城には、石から魔力が滲み出て狭い空間に漂うようになる。それを利用するのは魔法使いだ。
 魔法使いは危険だ。平気で人を殺したりする。心を落ち着けるため、背嚢の中からチョコを取り出し、口に含む。

(誰もいませんよね〜)
 消えるか消えないかくらいの声で喋りながら、城の中を覗き込む。静寂。天井の穴から差す光。
「よかった〜誰もいない。いや、よくないか。助けが……」
「いるよ」
 背後から声!

 恐る恐る振り返るレイシィ。そこにいたのは、黒い詰襟の軍服を着て、薄汚れたマントを羽織った若い男だった。
「どう見ても帝国の魔法使いですよね……いいひとですよね……?」
「いいひとだよ」
「やったー!」
「じゃあ早速君を生贄に……」

 レイシィは顔をしわくちゃにして泣き叫ぶ。
「どう見てもダメなひとじゃん! 終わりだ……」
「そうはいっても、腹が減ってるから君を生贄にしなくちゃ倒れちゃうよ。君も喜んでくれると思うよ」
「喜びません! 確実に! ……お腹が空いているというのなら、これを……!」

 差し出したのは、チョコレートだった。魔法使いはごくりと喉を鳴らした。
「くれるの? やったぁ。じゃあ君は殺さないであげるよ」
「ひ……ひひ……」
 チョコを手渡したレイシィは全身の緊張が解け、へなへなと座り込んだ。魔法使いはあっという間にチョコを平らげてしまう。

「ありがとう、満足できたよ。これでもっと魔法を使える」
「どんな魔法を使っていらっしゃったのですか……あっ」
 つい会話を膨らませてしまう。魔法使いは苦笑して頬をかいた。
「そんなに不思議かい? 確かにお腹がすくほど魔法を使うなんてなんか間抜けだね」

 冷や汗を流すレイシィ。魔法使いは自分に言い聞かせるように、壊れた城の天井を見上げて言った。
「僕は城を作っているんだ。最高の城を作るために魔法を使っている……今回もダメだったよ。嵐で壊れるなんて論外だ」
 言葉とは裏腹に口調は弾んでいた。

「城を作る……やはり人類帝国の版図を広げるため……」
 腹に力を込め立ち上がるレイシィ。そして一歩踏み出して話した。1を話せば2が帰ってくる。次第にこの魔法使いが掴めてきた。平気で人を殺すかもしれないが、それ以上に……話し相手を求めていたのだ。


◆3


「恐ろしい……帝国はこんな辺境にも軍事拠点を建設し、地方の反乱に目を光らせているのね」
 話を盛り上げるのはレイシィがこの魔法使いにとって「面白い話し相手」と認識してもらうためだ。けれどもそんな彼女の努力とは裏腹に魔法使いはきょとんとするだけだ。

「いや……別に。城を建てるのは僕の使命なだけで、仕事でも何でもないよ。国から金が出たらいいだろうなぁ」
 レイシィは唖然として次なる言葉を探す。魔法使いはそんな彼女の焦りなどどこ吹く風で、饒舌に話を続けた。

「金が無くても、あらゆるものは魔法で何とかできる。服も生活必需品も何でもさ。城を建てるのだって魔法でホイホイ。ただ、食料だけはどうにもならんね……食料は魔法で作れるけどさ、作れる養分はどうしても消費する養分より少なくなっちゃう。どうあがいても餓死」

「だから、その辺の草やトカゲや虫とか……不味いけど養分のあるやつを魔法でごちそうに変えなくちゃね。もちろん人間が捕まえられれば最高。君みたいにね。大丈夫、チョコをくれたから約束は守るよ。帝国魔術法は言う。命は奪っても、財産は奪うことなかれ。紳士たれ、魔法使い」

 苦笑いを浮かべて聞いているレイシィの頬に雨粒が落ちた。見上げると、遠くの空に雨雲が広がっており、その下は豪雨のカーテンだ。魔法使いは目をぎらつかせてそれを見る。
「野郎、きやがったね」
「何なの?」
「クラウドシルフだ。目を付けられているんだ」

 魔法使いはシルフとの因縁を語ってくれた。彼の作る城が気流を乱すと言ってきて、片っ端から潰して回っているという。
「いやいや、気流乱しちゃダメなんじゃないの」
 レイシィの疑問にも魔法使いは不満だらけだ。

「クラウドシルフは雨を降らす、雷や、風を巻き起こす。それだけじゃない。帝都だって他の都市だって高層建築で気流を乱しているじゃないか。皆が皆、主張し合って生きているんだ。都市も、自然も、人もだ。それなのに僕が弱いから自重しろって? 無理だね!」

 魔法使いはマントを翻し雨雲へと向かっていく。
「雨の中飛び込むつもり!? 濡れちゃうよ」
「濡れたから何になる! 誰も僕を止められないのさ。数え切れないほど作った城を破壊された……それでも僕はここにいる。だから止められないんだ!」

「やめた方がいいと思うけどなぁ……」
「君は殴られたら、どうする?」
 魔法使いは立ち止まって少しだけ振り返った。
「僕は殴られた。傷つけられた。プライドを踏みにじられた。それで終わりなんて嫌だ。殴り返してやる……ただ、拳を振り上げるのは野蛮だ」

 そして、再び雨雲を見据える魔法使い。雨雲はあざ笑うかのような表情をその表面に波打たせる。
 魔法使いは手のひらを掲げた。
「僕は怒りを城に変えて振りかざすんだ。怒りだ。怒りを美しい城に変えてぶつけるんだ。なぜならそれが紳士たる魔法使いだからだ!」



 城砦は天を殴るように#2 荒野の向こうへ


◆1


 彼は雨の中両足で大地を踏みしめ、片手を掲げている。レイシィはそれを城の陰から見ていた。立ち向かう気なのだ。たった一人で。暴風と雷雨を巻き起こすクラウドシルフに。レイシィは息をのむ。
 辺りは暗くなり、激しい雨粒が降り注いだ。

 魔法使いが手を握る! 崩れていた城から石のブロックが見えない力で拾い上げられ、新たな城へと再構築されていく!
 レイシィは慌ててその場から離れた。魔法使いはずぶぬれのまま、血走った眼でそれを見守っている。魔力の風が巻き起こり、雨粒をまるで濡れた犬の様に弾き飛ばした。

「これが僕の……右ストレートだ!」
 雨粒を弾き飛ばしながら拳を突く! その瞬間、城の土台が完成する! 魔法使いはにやりと笑った。
 頭上に渦巻く雲が威嚇の表情を表面に波打たせる。雨が一層強くなる。

「次は……左だ!」
 ずぶぬれの軍服が破れそうなほど勢いよく左ストレート! その瞬間、城の支柱が完成する。
 風が一層強くなる。レイシィは自分があまり濡れていないことに気付いた。彼女の周囲だけ雨水が明後日の方向へと散っていく。魔法使いの配慮だろう。

「こいつは……ジャブだ!」
 軽く手を振る魔法使い。すると城の桁が完成し、四角い城の骨格が出来上がる。クラウドシルフも鋭い目つきで見下ろす。雲の奥底で稲妻が迸り、暗い雲に光を明滅させる。
「全ての否定は打ち返せるんだ!」
 雷光一閃! 轟音が全ての音を消し飛ばした。

 思わず閉じた目を開くレイシィ。稲妻が城の骨組みを叩き壊し、作業は振り出しに戻っていた。魔法使いは気にせず高笑いをする。
「ハハッ、面白くなってきたよ! こんなもんかよ。土台が吹き飛んでないぞ? お前の本気はこの程度かよ。もっと僕をイラつかせてみせろよ!」

 そこで魔法使いはようやく振り返った。
「これからマジの戦いが始まるから、君は避難するんだ。雨よけはしばらく機能するから安心して。ここから東に行くと別の城跡が見えるから、そこからさらに東に行くと村が見える」
 ガクガクと頷くレイシィ。

 レイシィは最後に微笑んで言った。
「あんた……強がるのもいいけど、殴り殺されるまえにご自愛しなよ」
 そのセリフを聞いてきょとんとした顔をする魔法使い。すぐさま獰猛な肉食獣の顔に戻る。
「ああ……そんな優しくされたのは久しぶりだよ」

 そして再び雲を見上げる魔法使い。大きく両腕を広げて、再び城を組み立て始める。クラウドシルフは次なる攻撃の一手を準備するためか、風雨を弱めて雲を高速で渦巻かせる。レイシィは頷いた。必要なことは言った。小さく魔法使いの勝利を祈る。

 一瞬風が止んだ。
「いまだ! さらばだ!」
 魔法使いは大きく手を振る。レイシィは東に向かって振り返らずに……駆けだしたのだった。


◆2


 レイシィは無事東の村へとたどり着くことができた。煉瓦建ての小さな家が並ぶ寂れた村だったが、時間の流れは優しさを感じさせる。幾年の努力を重ねたのだろうか、不毛の灰土のはずが、村周辺の畑は見るからに肥沃で農村特有の香りを漂わせる。
 この村で技師の助けを借りる。

 技師を連れて城跡に戻ったときには、魔法使いは姿を消していた。彼が作ったであろう城は、土台を残して破壊されている。
(勝てたのかな……勝てたよね)
 見上げる青空がそう予感させた。蒸気車は修理の末に復活する。

 その後、その魔法使いに出会うことは無かった。名前も聞かずに別れたのが心残りだった。
(雨に打たれて、風邪をひいてないかな)
 少しの心配もする。あれほどの熱を持った人間がずぶぬれになった程度で逃げることもなく、無理をするのは容易に想像できる。

 レイシィは荒野の中を北へ向かっていた。蒸気自動車が晴れ渡った青空の下たった一台で駆け抜けていく。どこまでも広がる火山灰の土壌。ただ今回は前回と違って巨岩が多く見える。風が強く、岩は奇妙に削れていた。
(急がなくちゃ……でも、悪い予感するんだよなぁ)

 突然岩陰から兎が飛び出す! 急ブレーキ! 何かが砕ける音!
(やったか!?)
 無傷の兎が跳ねていくのが見える。安堵よりも大きい不安。ブレーキを放し、アクセルを踏む。無反応。レバー操作。無反応。蒸気の漏れる音。
(あー、やっちゃったか)

「もー!」
 声を上げて唇を尖らす。機関部を停止させて、水蒸気を逃がす。外へ出てボンネットを開けるが、やはり何もわからない。それでもボンネットを開けたくなるのは、怖いもの見たさだろうか。
「ポンコツが!」
 勢いよく蓋を閉める。

 理不尽に殴られたときに、誰もが殴り返せるわけではない。暴力というものは容易く人の心をくじき、立ち上がれないほどまでに打ちのめす。
 膝を抱えて、涙にぬれる夜を過ごす。レイシィだってそうだ。
(あらゆる運命が私を裏切る……)

 車内から引っ張り出した背嚢の中からチョコを取り出し、一口食べる。
(誰もが彼のように生きれるわけじゃない)
 甘いチョコが彼女の心を落ち着かせる。
(私は嵐に立ち向かうことはできない)
 見上げる青空。怒りはない。
(だから……)

(だから、私は憧れるんだ。彼の生き方に……)
 目を細めて太陽の光を浴びるレイシィ。強風が彼女の前髪を揺らす。そして背嚢から紙束を取り出した。それはこの周囲の地図だ。今回は前もって助けを借りれる村の場所を把握しておいたのだ。
「よし、西の村が近いぞ」

 風に吹かれて暴れる地図を抱えて。レイシィは歩き出す。
「まってろよー!」
 そう、荒野の先を目指して。

 城砦は天を殴るように(了)


【用語解説】 【蒸気車】
蒸気機関を利用した乗用車。科学文明である旧帝国時代に作られたものだが、現在では技術が途絶え新規に作ることは不可能。魔法を科学的に解析した旧帝国は、蒸気の魔法を小型化し搭載することに成功した。大量生産されたため、老朽化したものが一般的に使われている

【用語解説】 【石造り】
空気中に存在する魔力の濃度を上げるためには、魔力を発生させる素材を利用するのが手っ取り早い。しかし、石の服を纏って暮らすわけにもいかない。なので、住居そのものを魔力発生装置……すなわち、ダンジョンとする方法が一般的である。多くは塔や城の形を作る

【用語解説】 【魔法の万能性】
魔法を高コストにするのは、魔法を作れるのが人間だけであり、膨大な時間がかかるためであり、つまりは人件費の高騰によるものである。もし時間を使える暇な魔法使いがいたら? 彼自身のためだけに魔法で何でも実現できてしまうだろう。ただ社会の役には立たない

【用語解説】 【雨よけの呪文】
この世界にも傘や雨合羽は存在し、わざわざ雨を避けるために高価な魔法を使うものはほとんどいない。需要が無いので高価になり、さらに使われなくなる。ただ、雨合羽を着込むと空気中から魔力を補給しにくくなり、傘は片手が塞がる、そんな魔法戦闘では重宝される

【用語解説】 【チョコ】
カカオの実は南部の密林地帯に生育する。チョコレートとしての利用は古代神秘帝国時代まで遡り、儀式の霊薬として重宝された。旧エシエドール帝国はそれを商業化し、カカオの大規模栽培が始まる。現在でもその資源は受け継がれ、毎年2月にはチョコレートを食べる風習もある











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