その魔法を空に向かって放て#1 学び舎の春


◆1


 アルコフリバスはこの春という時期に憂鬱になる。彼は霞がかった空を見上げ、物思いにふけっていた。
「今日はよろしく頼むよ、アルコフリバス」
 不意にかかる声。彼は振り向かず、山羊のような白い顎鬚を撫でた。校舎の前、運動場につむじ風が吹く。

 赤いシャツに黒いスーツ。白い髪と顎鬚。眼光は虎の様に鋭い。けれども、いまはどこか慈悲を感じさせるまなざしだった。まるで傷ついた兎を前にしたように。再びアルコフリバスにかかる声。
「今年の新入生は波乱の予感だぞ」
 そこでようやく振り向く。

 校舎の入り口には黒い詰襟に黒いスカート、黒いタイツの娘が立っていた。学帽を被り、顔の前に白い布を垂らして表情は見えない。帽子と垂れ布には大きく五芒星の赤い刺繍。両手には白い手袋、やはり五芒星の刺繍。
「4号魔王、お前は空しくならないのか?」
 アルコフリバスが問う。

「何故?」
 4号魔王は無感情に問い返す。アルコフリバスは視線を空に戻した。
「毎年、この学び舎には若者たちが皆目を輝かせてやってくる。多くは目の輝きをそのままに卒業していくだろう。だが、そのうち何人かはすっかり目を曇らせて学校を去る……それがワシは辛い」

 ふふっと笑う4号魔王。
「あなたもその何人かの一人だったから……かな?」
「かもしれんな」
「いつものあなたなら暴言を返してくれると期待したのだがね」
「クソ暴言は売り切れだ。それより本題に入るぞ。今年の学生はそんなに危険なのか? 帝都を脅かすほどの……」

 帝都には支配者がいる。それは21人の魔王だ。魔王は時には人員を入れ替え、多くは不老不死となり、帝都を支配し続けている。帝都全域に魔法のルールである魔界を張り巡らし、秩序を保っている。その秩序を脅かすものは予知を行って若いうちに摘み取るのだ。

「ああ。ただ、予知は予知だ。どうだ? あなたの見立ては」
 不確定要素を扱う予知は術者が多いほど確実性が上がる。そしてアルコフリバスはそういった術者の一人だった。
「予知は得意だが……本人を見てやった方が確実だ」
 そう言って校舎の中へ入っていくアルコフリバス。

 振り向いたが、魔王はついては来なかった。アルコフリバスは一つの教室の中に立ち入る。中では生徒たちが魔法の授業を行っていた。数人の学生が振り向き、視線を教壇に戻した。
(なるほど、クソ優秀な生徒ばかりだな)
 予知は彼らの輝かしい未来を示す。

 今日は授業の初日らしい。魔法の授業もそこそこに、教師が学生たちに授業の感想を聞いて回る。
 一人の男子学生が指名され、勢いよく立ち上がった。
「ルアニトル、君は何のために魔法を使いたい?」
 教師のありふれた質問。

 少年……ルアニトルは目を輝かせて答える。
「はい。僕はこの魔法の力を、人々の幸せのために使いたいと思っています!」

 それを見たアルコフリバスは頬に一筋の涙を流した。そんな自分に動揺して、涙をぬぐうこともできなかった。


◆2


 ルアニトル少年は目の輝きをそのままに帰宅した。意気揚々、興奮した気持ちを抑えずに、そのまま机に向かって魔導書を開く。
(今日は見学の偉いひとがいた……嬉しいなぁ。僕の将来を見守ってくれている)
 卓上灯の電球がチカチカ明滅した。

 魔法の律、魔法陣の全てがするすると頭に入る。コーヒーを淹れ、さらに勉強を続ける。希望が彼に何の疑いもなく力を与える。
(学習は力になる。そして力は未来を約束する!)
 カップを呷る。コーヒーは無くなっていた。そこでようやく疲れを感じる。

(今日はこの辺にして、明日の僕に任せよう)
 ルアニトルは寝支度を手早く進め、ベッドに横になって電灯を消した。目を閉じて今日の成果を確認する。
(よくできた一日だった……だから、明日からもきっと僕は大丈夫なんだ)
 思い描く夢はどこまでも壮大だった。

(僕は他のたくさんの人々の力になりたい。誰にも苦労はさせたくない。皆のために魔法を使うんだ。きっと僕の行いは皆に尊敬されるはず……皆のために尽くしたい!)
「いいや、違うね」
 夢と覚醒の狭間で揺れていた精神に強い衝撃を与えられ、ルアニトルは目を白黒させた。

「ここは……」
 真っ赤に燃える空。夕焼けでないことがすぐに分かった。青空を覆いつくすような業火が渦巻いているのだ。ルアニトルは一人廃墟に仰向けになっていた。血だまりだ。血だまりに倒れている。やがて業火は消え、流星が青空を横切る。誰かの声。
「あなたは危険すぎる」

 仰向けに倒れたまま声のした方へ顔を向けるルアニトル。そこには、詰襟にスカート、黒タイツの女が立っていた。学帽を被り、顔は垂れ布で隠されている。
「私はあなたの未来を刈り取りに来た」
「一体何を……?」

「あなたは誰にも尊敬されない。あなたの強すぎる力は最もくだらないものに費やされ、全てを失って何も得られないのだ」
「どうしてそんな意地悪を……」
 彼女はルアニトルの全ての問いを無視し、その場を立ち去った。入れ代わりに無数の蝶が現れる。

「どうして……僕が何をしたっていうんだ。どうして僕にそんな呪いを……」
 無数の蝶がルアニトルの身体に纏わりつく。手で追い払おうとしても力が出ない。蝶は細長い口を彼の眼球に突き立てる。
「やめ……やめて……」
 そこで目が覚めた。

 言い知れぬ大きな不安を抱えたまま、ルアニトルは登校した。そこで彼は残酷な事実を知る。
「魔界の魔法律が変わったって……?」
「ああ、ほとんどの者には影響ないっていうけど……」
 不安そうな同級生。魔界とは帝都全域に張り巡らされた魔法のルールであり、魔王が管理する。

 ルアニトルは同級生から逃げるように人の気配のない階段の踊り場へとやってきて、魔法を使った。
 あの夢が嘘だと信じて。魔法律が自分を裏切っていないことを信じて。しかし……。
「あががっ」
 彼は魔法の発動中突然痙攣をおこし、気絶してしまったのだ。


◆3


 魔法の行使と痙攣の因果関係は明白だった。3度魔法を使い、3度保健室のベッドで目覚めた。
「もうやめたまえ、魔界の律が君に魔法を使わせまいとしている」
 保険医の忠告も、ルアニトルに耳には入らない。
「どうして……僕ばっかり……」
 頭を抱える。

 魔法の副作用……帝都の魔界は、異常な魔法の行使に対して厳しい。魔法は容易く犯罪に転用できるからだ。そのため、魔界は自動的に魔法の行使に対して善か悪かの判定を行い、悪と認定すればそれなりのペナルティを与える。軽い頭痛もあれば、最悪全身が塩の塊になって死ぬこともある。

 もちろんそれを抜ける方法はいくつかある。
「魔法陣で新たなルールを設定しなければ……」
 痙攣を起こしながらも魔法陣を展開できれば、魔法陣のルール上書きによって痙攣したまま意識を保つことも可能である。ただ、それも万能ではない。ルールを設定する数が問題だ。

「君、痙攣して魔法陣を展開したまま授業を受ける気かね? 正直、休学した方が早いと思うが……」
 保険医の忠告が痛いほど突き刺さる。魔法陣はルールが増えるほど大きく感情の力を消耗する。痙攣を乗り越えるだけで一つのルールを使う。その状態で魔法を使うのは、並大抵のことではない。

 実際、それからの学校生活は苦痛の一言だった。一日の終わり、授業が終わって家に帰ると全身が疲労にまみれ、勉強などできる状態ではない。魔法の行使によって腹が減るのは万人に共通するが、人より多く魔法使うルアニトルは常に飢餓状態だった。頬はこけ、顔色は蒼白になっていた。

 授業さえもまともに受けられない。
「ルアニトル、この卵を成長させて雛に変えて見せよ」
「……」
 脂汗を流し、魔法陣のルールを拡張して成長の呪文をセットする。だがその速度も絶望的に遅く、精度は最悪だった。
 卵を割って現れたのは未熟な雛。

「悪いが君を指名すると授業時間が伸びてかなわんな」
 突き放したような教師の声。ルアニトルは着席し、俯いた。学友たちの白い目。この学校は次世代の支配者層を担う進学校だ。こんな劣等生は足手まといだということだろう。ルアニトルはそれを痛いほど思い知らされた。

 やがてたまの遊びの誘いも無くなった。話しかけると面倒そうな顔。一人で家に帰る途中、疲れが限界に達し道端で壁に寄りかかった。目の前を猛スピードで蒸気自動車が駆け抜けていく。
(友人も才能も、いまの僕にはぜいたく品なんだ……)
 唇をかむ。瞼が引きつる。

「苦しい……誰も僕を必要としていない。なのに……一体僕は誰のために魔法を使えばいいんだ」
 膝はガクガクと震え、今にも地面に座り込みそうだった。ただ、最後に残った彼の怒りとやるせなさが彼をそうさせなかった。そのときである。

 スッと目の前に現れた背の高い姿。顔を上げるルアニトル。そこに立っていたのは……オリエンテーションの教室で後ろにいた見物人。山羊のような顎鬚を垂らした……黒いスーツの男だった。



 その魔法を空に向かって放て#2 灰色の空へ



◆1


 スーツの男は自分の名を名乗った。
「ワシはアルコフリバスという」
「……」
 アルコフリバスはルアニトルの肩に静かに触れる。幾分か身体が楽になったのを感じた。触れた所が暖かい。
「ついてこい。キノコスープを奢ってやる」
 大きく腹が鳴ってルアニトルは赤面した。

 よろよろと歩くルアニトルの歩調に合わせて、二人はキノコスープ店に入った。席に着くなり有無を言わさずアルコフリバスは二人分の注文をする。
「一番栄養のつく奴だ。選ばせると躊躇するような」
 ルアニトルは釈然とせず疑い深くこのスーツの男を見る。

「どうして僕を……」
「よくあるだろう、老人が若者に自分の若き日を重ね合わせるような」
「憐れまないでください」
 ガス灯の灯る店内は火影がゆらゆらと揺らぎ、ルアニトルの顔を不安定に照らす。アルコフリバスは山羊のような髭を撫でた。

「好意に甘えろ。お前はいま痛めつけられているんだ。その分、いい目にあっていい。ガツガツと食えばいいんだ……駄々っ子の様にな」
 アルコフリバスは鷹のような目を細め言った。やがてスープが運ばれてきた。キノコと肉、野菜がたっぷり入った豪華なスープ。

 静かにスプーンでスープをすくい、一口ずつ味わう。栄養を欲してた身体が取り合うように、スープは染み込んでいった。
「僕はどうすればいいんでしょう」
 助けてくださいではない。魔界の律に……魔王に逆らうなどありえない。制裁を受けたうえで、彼はどうすればいいか分からない。

 スープを静かに味わってからアルコフリバスはルアニトルの目を見た。
「難しいことはない。背筋を伸ばして行け」
 そこでようやく、ルアニトルは猫背になっていたことに気付き姿勢を正した。
「背筋を伸ばして何になるんですか」
 何も変わらない、何の解決にもならない……そう思った。

「いいじゃないか、その調子だ」
 アルコフリバスは店内の天井を見上げて、スッと手を伸ばした。動きは美しく洗練されていた。まるで何かの劇の様に。
「背筋を伸ばすとな、空が見えるんだ」
 ルアニトルは唇を尖らせ、再び猫背に戻る。

「空なんて見たって、何の解決にもならない」
「そうだ、その通りだ。ワシと似たようなものだ。ワシはただの老いぼれ。お前に何も解決策を提示できない」
 天井から視線を戻し、ルアニトルを見つめる。アルコフリバスは「老人のたわごとだ」と小さく呟いた。

「ワシは正しさをお前に提示できない。誰もがそうかもしれない。お前に正しさを押し付ける全ては欺瞞だ。お前に残酷なルールを突きつける全てがお前を苛む。そんな時、空を見上げるんだ……空だけが、お前に正しさを示してくれる。それは空に映ったお前自身の心だからだ。お前自身を信じろ」

「いや……これも押し付けなのかもな」
 アルコフリバスの小さい呟き。ルアニトルは考え込んだ後、スープをガツガツとたいらげた。
「ごちそうさまでした」
「もう会うことはできないだろう。達者でな」
 はっと顔を上げるルアニトル。そこにはキノコスープの代金だけがあった。


◆2


 それ以来アルコフリバスに会うことは無かった。ルアニトルは相変わらずの劣等生だったし、友人らしい友人はできなかった。
 制裁は続いていた。その理由は分からないが、自分の存在が帝都の何かを脅かしたのは事実であると受け止めるほかない。保険医はそういう生徒と何人も出会ったという。

 ある休日に、彼は散歩に出かけた。散歩するような習慣は無かったが、雨の降った後、厚い雲の薄暗い日、部屋でじっとしているのがたまらなくなってしまった。
 杖を突きゆっくり歩く。杖は魔法用だが、今ではすっかり歩行補助にも役立っていた。脇を猛スピードで通り過ぎる蒸気自動車。

(背を伸ばす……か)
 そのときルアニトルの目に、水たまりに映った自分の顔が見えた。
(背を丸めたって、汚い水たまりが見えるだけだ)
 ふと、そんな自分が滑稽に思える。虚像の自分の情けなさに、思わず笑みがこぼれた。

(みんなのために魔法を使うんだろ……? そんな高い理想を抱いた男がさ、こんな惨めに顔を歪めて水たまり見るかよ)
 唇を噛む。自分の目の前に高くそびえる恐怖と対峙するためには、たくさんの武器が必要だ。
 水たまりには、曇り空が映る。

(人々の幸せのために魔法を使おうとした男が、人々に裏切られたくらいで軸がぶれるのかよ)
 少しだけ顔を上げる。視界から水たまりが消え、帝都の高層建築が目に映る。曇り空はその上だ。
(そんな立派な人間が、他人の顔色窺ってるのかよ)

「背筋を伸ばすことくらい、俺だってできるんだよ!」
 小さく叫んで、背筋を伸ばす! 視界に映る曇り空が目の前に迫る。感情の力強いうねりが、彼の魔法陣に力を与える!
(その魔法を空に向かって放て!)
 内なる声が彼を奮い立たせる。

 飛礫の呪文が発動し、道端に転がっていたセラミックプレートの破片が宙に浮かぶ。それは猛スピードで加速し、空の彼方へと飛び去って行った。
 理想の中では、曇り空を穿ち青空が覗いていた。けれども分厚い雲には変化が無く、陶片を飲み込んで何も変わらない。
(十分だよ)

 直後、とてつもない疲労感と空腹感に襲われ、彼は水たまりに膝をつく。雨水がズボンの膝に染み込み、彼の身体を冷やしていく。
 ルアニトルはポケットから緊急用の飴玉を取り出し、口に含んで回復を待った。
(僕は大丈夫だ……空に思いをぶつけられたから、大丈夫なんだ……)

――

 アルコフリバスは自宅の書斎に閉じこもり、未来の出来事を整理していた。未来は刻々と変化する。それは、人の感情が不安定なように、未来もまた揺れ動き、迷い、決意するからだ。迷いをもたらすのは混沌神であり、決意をもたらすのは秩序の神である。

 部屋の中空に浮かぶ水晶球を前にして、彼は目を閉じる。
(あと何人、秩序のために若人を地獄へ……?)
 ルアニトルに負わされた不幸を思うと奥歯を噛む力が強くなる。けれども決意を抱いた彼の顔はとても誇らしげだった。それだけが、アルコフリバスの自責の念を和らげていた。


 その魔法を空に向かって放て(了)


【用語解説】 【帝都の支配者】
帝都には形式上の皇帝が存在する。それは永劫皇帝を冠するスムートハーピィ、グラセウ・ナリアである。彼女は不老不死化され、帝城の奥深く安置されている。彼女は姿を見せることもなく、権力は21人の魔王が握る。

【用語解説】 【学校】
魔法の使えない市民の通う学校と、魔法使いの通う学校は明確に区別されており、政府の管轄も違う。市民学校は教導院の管轄で、文字の読み書きや神話を教える。魔法学校は高度な魔法技術を教える場所で、魔導院が支配する。

【用語解説】 【山羊】
有角四足獣の一種であり、遊牧される姿が灰土地域の東西でよく見られる。生贄としても有用で、神は山羊や羊の血肉を好む。ある地方では山羊のミルクを捧げる風習があり、神像にミルクを振りかける。振りかけられた神はミルク臭い格好で神々の会議に出席するのである

【用語解説】 【帝都とキノコ】
帝都は超巨大都市であり、莫大な人口を抱えている。その人口密度も高く、とてもではないが冷涼な気候の帝都で十分な食料を農耕や家畜で賄うことは不可能であった。そのため古来よりキノコが研究され毎日成熟し収穫されるキノコが生まれた。帝都はキノコが作ったのだ

【用語解説】 【未来の改変】
未来を変えることは容易ではない。もちろん単純な選択において予知と違うものを選び結果を変えることは可能であるが、それ自体に運命を変える力はない。変わった未来の先で新たな問題に直面するだけである。けれども、ほんの小さな決意が運命を変えることもある。













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