「ブラッドライン」
そんなに長くない知らない世界の日常
NEW!!
2012/2/10
山は氷河で削られ頂の方は切りたった崖、その間は氷河の坂になっている
ミシェヘラは鎧の力も相まって人並み外れたスピードで雪山を進む
鎧が、気圧の変化を告げる。天候が悪くなりそうなのだ
望遠レンズでキャンプ地を探す。遠くにちょっとした平面がある。あそこがよさそうだ
雪山用にスパイク状に変形した鎧の足は氷河をしっかりと踏みしめていた
ログ
2011/10/12
吐く息が白い。いや、この世界どこにいても息が白くならない屋外など無いだろう
ミシェヘラは氷河の上を進んでいた。いや、この世界は世界の果てまで氷河が無い場所など無い
一瞬で魂まで凍りつくマイナス90度の世界、白い氷原のキャンバスにたったひとつの赤黒いしみがあった
近寄ってみればそれは2メートルほどの巨人めいた鎧だとわかるだろう
ミシェヘラがこの極寒の氷河を渡れるのはその身を包むこの鎧のおかげなのだ
2011/10/13
鎧は黒くなめらかな表面でありながら全く光沢が無い
そして呼吸のたびに電子回路のような赤い線が鎧の表面で明滅する
しゃれた貝のように鎧には突起物があちこちから突き出しており、先端から時折湯気を噴出させた
ミシェヘラが鎧の中で華奢な手足を動かすたびに鎧はその何倍もの力を出して四肢を動かす
何もない雪原に、2メートルの鎧とそれが背負う同じくらいの大きさの荷物の塔が揺れ動いていた
2011/10/15
ミシェヘラは一歩一歩鎧に包まれた足を踏みしめる
彼女の足は少しも柔らかい雪に沈まなかった。これも鎧の御利益である
鎧の背中にうずたかく積まれた荷物を目的地へと届けるのが彼女たちの仕事だ
荷物は布と革で風雪から守られ、街から街へと取引される
この過酷な氷原を渡る唯一の方法、それを一手に担うのが…彼女たち騎士だった
2011/10/16
はるか昔神話の時代、この世界は様々な植物が生い茂る亜熱帯の世界だった
しかしいつしか冬が訪れ…そして春はこなかった
人々は地熱と石炭を求め地中深く穴を穿ち、古代には全ての都市が坑道で繋がれ繁栄したと言われる
しかしいつまでも訪れない春を待ちながら文明は衰退し多くの道が落盤で失われた
いまや地表を歩く騎士の交易路…「ブラッドライン」こそが唯一の生命線であり大動脈である
2011/10/17
ミシェヘラは雪原のはるか先に湯気が立ち上っているのを見つけた。あれが街だ
近くの氷山の中腹で光が瞬く。それは隣の氷山に伝播し、光は湯気の方へと進んでいく
「おーい、騎士さんや! 待っていたぞー!」
だるまのように防寒具を羽織った男が叫びながら駆け寄ってきた
ミシェヘラは、迎えてくれたひとたちに大きく手を振った
2011/10/19
氷原にぽっかりと開く巨大な縦穴。これが街の入り口だ
換気のため穴の周辺では凄い風が吹いている。ミシェヘラは転ばないように注意して歩いた
「ヴハハハハ! これが西方の医薬品…どれも素晴らしい品じゃい!」
だるまのようなこの男、名前はムグン。この街の役員だ
ムグンはミシェヘラの肩から下ろされ荷車に積載された交易品を品定めしながら一緒に歩いている
2011/10/20
ミシェヘラは街に入り、通りゆくひとたちを見つめていた
穴の底からは、暖かく湿った空気が排気されて上空で外気に触れ湯気となった
縦穴の壁面にはらせん状の階段やスロープがあり、ずっと下まで続いている
比較的暖かいのでミシェヘラは鎧の上半身を展開し、シャツ姿でそういった階段の一つに腰をかけていた
すると、下の方からムグンが息を切らしながら太った身体でぜえぜえと階段を登ってくるのが見えた
2011/10/22
「こんなとこにおったか!」
「おう、ムグン。どうした? もう帰りの便か。はやいな」
ムグンは話そうとしたが、息が切れているのでとりあえず手拭いで顔を拭きながら深呼吸した
ミシェヘラは元来のんびりやなので話すのを待ちながら鎧についてるチューブからぬるい茶を飲む
ムグンは明らかに興奮していた。よくあることだが、今日はいつもと違うようだ。やがて彼は語りだした
2011/10/23
「こ、坑道が…通った…」
「ん? どういうことだ!? どこに通じていた!?」
のんびりやのミシェヘラもこれにはおどろいたようだ。チューブからお茶が零れているのにも気づかない
「東だ。東の山の向こうに街があったようだ…ぜぇぜぇ」
無線技術など失われて久しい。ブラッドラインの通らない場所は、隣であってもほとんど気付かれないのだ
2011/10/28
事件はその日の未明に起こった。場所は旧坑道302路線
トロッコのレールが引かれた直径2メートルほどの坑道は東へと伸びていたが
落盤に加え浸水しており、また、鉱山への道だと思われていて放置されていた
月一度の巡回に回っていた見回り兵は、今日も報告書に書く問題なしの文面をいかに修飾するか考えていた
しかし今日は違った。浸水して水たまりになっている坑道の底に、彼は得体のしれない発光を見つけたのだ
2011/10/30
見回り兵は気になって水底に目を凝らした
揺らめく発光はだんだん水面へと近づいてくる!
彼は銃を構え……謎の物体との遭遇に備えた
水面に気泡が浮かぶ! 見回り兵は発光体が人型の……恐らく潜水士のヘッドライトであると気付いた
やがて3人の潜水士が上陸してきた! 彼らは見回り兵の銃を見ると、古い……古い時代の友好の手信号を振った
2011/11/2
3人の潜水士は極秘のうちに街の政府に通された。これが昼のことである
ミシェヘラが到着したのもちょうどこのころだった
潜水士のリーダーは自分のことをキエクと言った。訛りは酷いが幸運なことに意思疎通はできる
ムグンの上司でありこの街……フルスベンの市長は大急ぎで彼らの待つ応接室に急いだ
キエクは入室した市長を見るなり彼が席に着くのも待たず切迫した声で語りだした
2011/12/26
「た、たいへん。とても。たすけて。こわい!こわいことが起こっている!」
「キエクさんと言ったな……まぁ、まぁ、落ち着きたまえ」
市長は飛びかかりそうなキエクを制止し、急いで席に座った
「それで、こわいことと言うのは……?」
キエクははっとして、急いでぴっちりとしたインナースーツのポケットを探る
2012/1/18
キエクは透明なフィルムに包まれた写真を取り出した
そこに写っていたのは…身体に緑の斑点を浮かばせて苦しそうに病床に伏せる患者である
「びょうき……いっぱいしんでる。こわい!たすけて!ぼくたちこりつしてる」
「なんと……!」
そして市長はムグンを呼んだのだ。ここから先は…騎士の仕事だ
2012/1/18
「ムグン、なるほど。緑斑病は確かに薬が無いときついな」
ミシェヘラは落ち着いていた。緑斑病の薬はこの街にたくさんある。問題はどうやって運ぶかだ
「時間が足りない、坑道の穴はせまくて輸送には向かない。山を越えるんだ」
「……やっぱり。仕方がないか」
騎士と言えども雪山を越えるのは至難の業だ。できればやりたくない
2012/1/18
でもやらねばなるまい。この世界の文明は分断され、散り散りになって滅びつつある
だからこそ、救わねばならない。ひとつの繋がりが生命線となる時代なのだ
ミシェヘラは展開していた鎧の上半身を閉じ、立ちあがった
「ムグン、薬の手配を頼む」
彼女は空を見上げた。円筒状の街に光をもたらす丸く切り取られた空には雲の欠片が風で勢いよく流されていた
2012/2/5
ミシェヘラは家へ向かった。この街に立ち寄ったときに住む仮住まいだ
家は家というより納屋だった。螺旋階段の這う縦穴の中腹に掘った横穴の部屋
横穴は迷宮のように複雑に穿たれ、ミシェヘラの仮住まいは奥の方の片隅にあった
扉を開けるとひと二人座れる程度の空間とうずたかく積み上がった道具類が迎えてくれた
もちろん休むための部屋ではない。ミシェヘラはザイルやハーケン等を探し始める
2012/2/6
そして棚から精油の一斗缶を下ろしポンプで鎧に注ぎ込む
廃油はチューブで隅のドラム缶に流れ落ちていく。黒く濁った赤みを帯びた油だ
鎧の腰を展開し小さいピンやシリンダー、ヒューズも交換する
腰を閉じると次は兜を開いて豆電球のような機械をひとつずつ外して交換する
いずれの消耗品もあと数回の旅には耐えられそうだが、万全を期すにこしたことはない
2012/2/7
精油の入れ替えが終わったようだ。バルブを閉めて空気を抜き、最後に水を補給する
ミシェヘラは鎧を展開し床に降りた。短く切られた赤い髪が汗でべっとりとしていた
部屋の片隅の雑貨を掻き分け、彼女は埃まみれの化粧台を引っ張り出す
赤く眉を書き口紅を塗る。そして細い肢体に赤くまじないの文面を少し書く
最後に彼女は鏡に向かってにっこりと笑った。釣り目がちな目が細く伸びた。戦いの準備ができたのだ
2012/2/8
翌朝、ミシェヘラは東の雪山越えへと出発した
東は山脈が横たわり、何人か騎士が探検に行ったが危なくなり引き返してきたのだ
雪山を歩くのは初めてではない。しかしとても危険な旅だ
薬を満載した背嚢を背負いながら、歩けそうな山道を推測し、進んでいく
山は街から近いのだが、念のため1合目あたりでキャンプを張り初日を終えた
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