――失くした右腕#1


◆1


 街中を葬列が行く。クノーム市は元は鉱床都市で、地面は穴だらけだ。街中に高架があり、煉瓦でできた建物で地表は埋め尽くされている。煉瓦の狭い街並みをぬって、その葬式は大々的に行われた。クノーム市在住の偉大な画家、クレイシルムの葬式だ。

 クレイシルムは高名な画家だった。彼は神の右腕を持つと言われ、彼の作品は信じられないほどの高値で売れた。彼のアトリエの近くに小さな画廊があるが、来客の途切れる日は無い。ところが彼は高齢であり、先日天寿を全うしたのだ。

 黒装束の葬務執行人たちが列を作り香をたく。大きな棺はシンプルな黒い長方形で、蒸気車で曳かれていた。沿道には彼の死を悲しむ街のひとが喪服で集まり、一様に涙していた。その人混みの中、緑の機動スクーターを手押しで進むひとりの青年がいた。レックウィルだ。

 彼も喪服のスーツ姿だった。だが、葬式に加わる様子はなく急いで通りを進む。黒いネクタイを止める白い髑髏のネクタイピン。黒い中折帽子。通りは複雑に入り組んでおり、この大通りを通らないと彼の目的地へ辿りつけないのだ。

 ようやく通りを外れ、人混みを抜けた。彼は帽子の代わりに青いヘルメットを被り機動スクーターに乗るとエンジンをかけた。パププププという排気音を立てて、彼は街を駆けた。家の玄関にはどこもクノーム市の旗が半旗で掲げられている。クレイシルムは街を代表するような人物だった。

 レックウィルもこの街の住人であり、もちろん彼の死は悲しい。だが、もっと大変な仕事が彼の事務所に舞い込んできたのだ。彼は朝一の電信で叩き起こされ、事務所へ出勤した。午後から葬式へ参加する優雅なプラン……もちろん葬儀で街の全員の仕事が休みになったはずだった。

 街の裏通り、大きな大地の裂け目がある崖の真ん中にレックウィルの事務所はあった。事務所の所まで下り階段がしつらえてあり、崖の上の階段の入り口には小屋とゲートがあった。錆びたゲートには大きな看板がかかっている。『レックウィル霊障コンサルタント事務所』だ。

 小屋の窓にはたくさんの紙が中から貼られていた。『精神と健康』『セリキラル精神交霊団認定』『無料相談受付中』『霊にお困りのあなたへ』『信頼と実績』『もしかして霊障? お気軽に』 そして小屋の中には……ひとりの小柄な女性がいる。

 彼女はミレイリル。妙な事件からレックウィルの助手となったばかりだ。
「あ、レックウィル先生。おはようございます。何ですか、こんな日に仕事だなんて……」
 ミレイリルは小屋の扉を開けて挨拶をする。彼女はレックウィルの電信で呼び出されたのだ。

 狭い駐車スペースに機動スクーターを停めたレックウィルは気まずい表情で言った。
「亡くなったクレイシルムさんが……今朝亡霊になって出現したんだ」


◆2


「えっ、そんな、あんなに立派な方だったのに……」
「そういうこともあるさ」
 レックウィルはミレイリルに目もくれず、急いで事務所に向かって階段を下りていってしまった。ミレイリルは特に何も言われていないのでどうするか迷っている。

 彼女が崖の上でまごまごしていると、レックウィルが事務所からでて階段を上ってきた。黒いスーツに黒いネクタイの喪服仕様なのは変わらないが、指輪や首輪、杖など明らかに仕事用の装備になっている。そしてそのままスクーターに乗りエンジンをかける。

「あの、どこへ行くのですか?」
「クレイシルムさんの所さ。留守番頼むよ」
 留守番と言ってもミレイリルはどうしていいか分からない。慌てているうちに、緑の機動スクーターにエンジンがかかり、飛ぶようにレックウィルは去っていった。

「わたしはまだ役立たずなんだなぁ……」
 ミレイリルは落ち込んで小屋に戻った。彼女の仕事は、いつもこの小屋で完結する。来客が来たら、事務所にいるレックウィルに電信で連絡する。それくらいしか彼女にはできなかった。


――


 クレイシルムの霊は、彼の家の近く散歩で訪れる森の小道にいた。彼は日課の散歩の途中この場所で倒れ、そのまま人目につかぬまま息を引き取ったのだ。森の道を機動スクーターが駆ける。道は舗装されておらず、レックウィルはガタガタと揺さぶられた。

 鉱山のトンネルの出口になっている薄暗い曲がり角にクレイシルムの霊は座り込んでいた。辺りは古い鉱山で放棄されて久しく緑化が進んでいる。彼はほとんど白く半透明になっていたが、生前の紳士然とした服装などは変わらない。

 スクーターを降り、レックウィルはゆっくりとクレイシルムの霊に近づいた。生前の思考と霊としての思考は変わる可能性がある。それがどんな紳士であっても警戒は必要だった。ただ、レックウィルには彼がかなり憔悴しきっているように見える。

「こんにちは、クレイシルムさん。どうかされました?」
 クレイシルムはレックウィルに気づき、ゆっくりと彼に身体を向けた。レックウィルはそこで初めて彼の異常に気付く。クレイシルムの……右肩から先の腕が消えてしまっているのだ。

「私の大切な右腕が無くなってしまったのだ……どこに行ってしまったのだろう。これでは安心して死ねない……」
 その装備からレックウィルが霊に詳しいと分かったのだろう。彼はすぐさま自分の未練について話し始めた。

 彼には孫娘がおり、彼女のために画家生命をかけた作品を作っている途中だった。だが、運悪く亡くなってしまった。そこで、作業の続きをするために霊として復活したものの、作品を完成させるための……右腕が、何故か無くなってしまっていたのだという。


◆3


 崖の上の小屋の中で、ミレイリルは本を読んで勉強をしていた。レックウィルの蔵書で、霊障に対する対処などが書いてある。霊と戦うことは稀である。大抵は、彼らの言い分を聞いてやって未練を断ち切らせ浄化させるのが目的だ。

 ただ、専門用語が並んでいてミレイリルはくらくらしてきた。そうしている間に、レックウィルは帰ってきたようだ。緑の機動スクーターが遠くに見え、パププププという排気音が聞こえてくる。
「先生、おかえりなさーい」

「いくぞ、ミレイリル。次は画伯のお宅だ。準備をしなさい」
 ミレイリルは急いで本を本棚にしまって、青いヘルメットを被った。これはレックウィルの被っているヘルメットと同じで、彼のお古だ。
「先生、ようやく仕事に連れていってくれるんですね!」

 ミレイリルのミニスクーターは小屋の裏にしまってあった。これは灰色の量産スクーターで、街でも同じ物をよく見かけることができる。簡単な作りで、排気量は少なく、金属パイプと薄い金属板で出来ていた。
「仕事のほとんどは遺族との付き合いだ。よく見て勉強するように」

 2台のスクーターは街の大通りを避けるようにして穴だらけの街を進んでいった。まだ大通りでは葬式が大々的に行われている。このクノーム市は露天掘りの跡地に出来たため、あちこちに鉱山へ続く縦穴が開いていた。ゴオゴオと風の抜ける音が排気音をかき消す。

 亡くなった画家クレイシルムの家は弔問客でごった返していたが、離れにあるアトリエはひとがまだ少ない。先程事務所に帰った時電信を送っていたため、クレイシルムの家族はすぐ二人をアトリエに通してくれた。

「爺さんが化けて出るなんてね……いや、あの絵を見たら確かに未練が残るのも分かりますよ」
 クレイシルムの息子である家主はそう言っていた。孫娘はいま外に出払っているらしい。レックウィルとミレイリルはアトリエに入る。

 ミレイリルはアトリエの中を見て息をのんだ。アトリエの中には所狭しとキャンバスが積み重ねられ、鮮やかな色の絵具を覗かせていたのだ。信じられない量の絵が積み重なっている。飾られている美しい絵は一部にすぎない。

「積まれている絵はみんな描きかけの絵なんですよ。いつか続きを描こうとして残しておいたんでしょう」
 そう言って家主は、イーゼルに掛っている幾分か小さめの絵を指差した。イーゼルは反対側を向いていてこちらからは絵は見えない。

「あれも描きかけの絵ですが……素晴らしいものですよ。きっとあれの続きを描きたかったのでしょう」
 レックウィルは家主に断りを入れ、絵を見に行った。ミレイリルも続く。そこには信じられない世界が広がっていた。

 それは部屋の中の絵だった。ひとりの少女が人形で遊んでいる。たくさんの人形が飾られていて、落ちついた色調で深く彩られていた。ミレイリルはこれが未完成品に見えなかった。ほぼ完成しているのだ。少なくとも、彼女はどこが足りていないか分からない。

「これが天才の世界か……これでもまだ不十分なんだね」
 ミレイリルは深くため息をつく。その時である。レックウィルの緊急携帯電信がカチカチと緊急信号を発し始めたのだ!


――失くした右腕#2


◆1


 緊急電信は音声こそ送れないが、カチカチという信号音を発する。レックウィルはその信号の意味をすぐさま察知した。
「ミレイリル、この事件はしばらく君に任せる。重大な事件が……また起きたらしい」
 そう言ってレックウィルはすぐさまその部屋を後にした。

「レックウィル先生の助手と聞きました。あの先生の助手なのだからさぞ有能な……いや無粋ですな、はは」
 ミレイリルは喜ぶ半面かなり不安になった。彼女は最近起きたある事件からレックウィルの助手になった。

 しかし、半ば強制的に助手になっただけで、ミレイリルに霊障を浄化する技術があるわけでもない。ミレイリルはレックウィルより年上だったが、今まで家事手伝い程度のことしかやってきてはいなかった。

「はは、がんばります」
 そう言ってミレイリルはぎこちない笑みを浮かべた。さて、彼女は考えた。自分はレックウィルのために何ができるか。孫娘さんはまだしばらく用事で帰ってこないらしい。彼女はとりあえず情報を集めることにした。

 情報。情報ならば、レックウィルに少しでも貢献できるだろう。しかし情報を集めるにも技術は必要だ。ミレイリルには技術はないが、根気はあった。何気ないことから、なんでもいい。関係ない情報かどうかは先生が判断してくれる。彼女はそう思った。

 些細なことでもいい、クレイシルムの人間関係や、絵についての悩みや、家族について。家主は快く質問に応じてくれた。しかしクレイシルムは恨まれたり呪われたりするようなトラブルがあったわけでもなく、絵の制作も順調だった。

 孫娘も絵の世界に興味を持ち、幼いながらも才能を開花させているらしかった。恵まれた人生だ。何が彼の右腕を奪ったのだろうか。しかしどんな些細なことでもミレイリルはメモしていった。自分は何も分からないが、先生ならば何か分かるかもしれない。

 ミレイリルは自分の買ったばかりの手帳を塗りつぶすように、こと細かく情報を書き連ねていった。


◆2


 レックウィルは街を機動スクーターで急いでいた。すでに日は傾き沈もうとしている。大地に幾つもあいた坑道から蝙蝠が飛びだし、夕空を舞っていた。先程の電信は以前のクライアントからだ。レックウィルの最近受け持った事件で、未解決のものがあったのだ。

 ひとりのゾンビが死霊術師の手によって作られ、それが暴走しているという話だった。そのゾンビには便宜上『腕集め』という名前が付けられていた。彼は見境なく生きている人間を襲い、腕を千切って殺すのだ。

 そのゾンビが、素材として認めた腕は、そのゾンビの身体に融合され新たな腕となる。こぶのように膨らんだ彼の背中からは、奪った腕が幾つも生えていた。非常に危険な死霊だ。街の警備隊や傭兵が何人も殺されている。交渉は不可能だろう。

 レックウィルは彼と何度か交戦したが、レックウィルはそのたび命からがら逃げるしかなかった。この依頼は非常に危険だ。レックウィルの手に負えないときは冒険者のチームが派遣されることになるだろう。目撃されたのは、この街外れの廃工場だ。

 スクーターを廃工場前に停めて、金網のフェンスを飛び越えた。レックウィルは戦闘が出来るくらいの身のこなしはできる。だが、今回は相手が悪い。慎重に廃工場の中を進む。工場の中は闇に包まれていた。しかし光源を使用したら相手に丸見えになるだろう。

 左手につけた指輪を撫でる。すると、その青い濁った指輪は水色の光を放ちレックウィルを一瞬燐光で包んだ。この指輪には暗視をもたらす力がある。レックウィルは魔法が使えなかったが、こういった便利な道具は幾つも所持していた。

 暗視の力によって、工場の内部が明らかになった。幾つもの機械や重機が錆びたまま放置されている。床は土がつもり……赤く点々と血痕が残っていた。すでに犠牲者が出ているらしい。周りを注意しながら血痕を辿る。

 血痕は大きな機械の後ろに続いていた。レックウィルは腰に下げた杖を抜いた。魔法用の杖ではないが、この杖自体魔法の力を持ちかなりの戦闘能力を持つ。注意深く機械の裏に回ろうとする……その時!

 後ろからの気配を察知しレックウィルは杖で防御する! 強力な一撃が彼を襲った……だが、レックウィルは運よく受け切れたようだ。逆に廻り込まれていたらしい。そう、腕集めが後ろにいたのだ。禿げた頭に血ぬられた口。背中には増えたばかりの新しい腕があった。

「執念深い奴め……今度は逃げられないよう確実に殺してやるから安心しな」
 腕集めが低く沈むような声でレックウィルに告げる。無数の腕がゆらゆらと揺れて、攻撃の機会を探っていた。戦士の腕から魔法使いの腕まで様々だ。

「お前に聞きたいことがある」
 レックウィルは杖を構えながら腕集めを問い詰めた。
「クレイシルム画伯の腕を奪ったのはお前か? 技術は腕に宿る……絵でも描きたくなったか? 腕集め!」


◆3


 クレイシルム家の家主からあらかた情報を聞きだしたミレイリルは、とりあえず事務所に帰ることにする。金属パイプと薄い金属板でできたスクーターに乗り、ミレイリルは夕暮れの街を帰路についた。葬式の列はもう撤収し、辺りはもうほとんどひとがいない。

 ミレイリルはどこかワクワクとしていた。自分の働きがレックウィルを助ける空想をしては、ニヤニヤと頬を緩ませる。そうだ、自分は彼のためになれる。その日がきっと来る。いつまでもお荷物でいられない。小屋で座って彼に連絡するだけの自分とはさよならだ。

 事務所に着くころには辺りはすっかり暗くなっていた。崖から落ちないように気をつけて駐車する。一応落ちないようフェンスがあるが、錆びているし心もとない。まだレックウィルは帰ってきていないようだった。小屋に入り、裸電球に明かりを灯した。

 そして朝読んでいた本の続きを読むことにする。情報の整理は、レックウィルが帰って来てからだ。読んでいたのは、死霊の発生について書かれている本だ。未練や執念を持った意思が、どのようにして空気中の魔力に反応し、魔法構造を取るのか……。

 正直ミレイリルには難解すぎる文面だった。だが、いつかものにしたい。しばらく読み進めると、興味深い記述を見つけることができた。今回の依頼と重なりそうな現象だ。魂が死霊になる際、分裂することがあるそうだ。

 大切にされた物や道具に魂が宿るように、類稀なる技術を持った四肢や眼などが独立して存在することがたまにあるらしい。クレイシルム画伯もまたそういった傑出した技術の持ち主だ。彼の腕は奪われたり失くしたりしたものではなく、それ自体が意思を持ってどこかへ……?

 興奮しつつさらに先へ読み進める。そういった形で独立した身体の一部は、意思を持つと言えども魂の容量が少なすぎて、単体では存在出来ないらしい。生前の記憶から、親しいひと……職人であれば、弟子などに憑依し、その技術を発揮することがあるという。

 弟子……ミレイリルは手帳を開いてクレイシルムの弟子を探した。彼には3人の親しい弟子がいるという。まだ存命であり、もしかしたら彼らの誰かに腕が憑依しているのかもしれない。クレイシルム自身が死んでも、腕は絵を描き続けることを選んだのだろう。

 しかしクレイシルムは絵を描き遂げるつもりだったというし、それならば憑依するのは絵を描いた後でも良かったのでは? ミレイリルの脳裏に疑問が浮かんだ。しかし、霊体というものの仕組みは彼女にはまだ分からない。そうは出来ない仕組みなのだろうか。

 ミレイリルは暗くなった街の通りを小屋から眺めた。レックウィルはいつ帰ってくるのだろう。だが、レックウィルはその日帰ることはなかった。


――失くした右腕#3


◆1


 腕集めはニヤニヤとしているばかりだ。クレイシルムの腕には心当たりは無いらしい。彼はゆっくりとこちらに間合いを詰めてくる。正面からぶつかったら負けるのはレックウィルの方だ。奇襲のタイミングを奪われたのはまずかった。

 レックウィルは右手につけた指輪を撫でる。すると青い火花が散り、彼の姿は闇に消えた。透明化したのだ! 透明化もまた魔法使いのよく使う魔法で、指輪にはその力がこめられていた。レックウィルは素早く移動し再び奇襲のチャンスを窺う。

 だが、またしても腕集めの方が一枚上手だった。腕集めの腕の一つが光る指先で不思議なサインを示す。すると、一瞬にして廃工場は光に包まれた。光源の魔法の亜種だ。その光は……透明のはずのレックウィルの影を浮き彫りにした!

「姿隠して影隠さず……だよ」
 腕集めはその巨大な腕をレックウィルめがけて振り回す。光に眼が眩んだレックウィルは避けることが出来ずに強烈な一撃を受けることになった。そのまま吹っ飛び、錆びたドラム缶の山に激突する。

 ガラガラとがらくたの山が崩れ、レックウィルの姿は見えなくなった。だが、かなりの痛手を負ったであろう。レックウィルはそのままがらくたの山から這い出すことはなかった。腕集めは鼻を鳴らすと、そのままゆっくりとその場を立ち去った。

 腕集めが彼に止めを刺さなかったのはほんの気まぐれだった。力の差は歴然としており、いま始末する必要性すらなかった。廃工場の外は完全に闇に包まれ、夜空には月が輝いている。腕集めは気になっている言葉があった。

 クレイシルム画伯の腕……それが気にかかっていたのだ。戦闘用の腕はもう必要数集めた。画家の腕を手に入れるのも悪くない。腕集めは、腕を振り上げ錆びたゲートを粉砕し工場の敷地から出ていった。そして、彼はそのまま夜の闇に消えていった……。

 ミレイリルは小屋の中でレックウィルを待ち続けていた。疲れて寝てしまっていたが、小屋の明かりは消さずにいた。暇なので温めておいた夜食のキノコスープはもう冷めていた。ミレイリルは夢を見ている。

 夢の中でレックウィルはどこか遠くへ旅立ってしまっていた。まだ学びたいことがたくさんあるのに……ミレイリルは泣きながら追いかけていった。しかしレックウィルの足はどんどんはやくなり、闇の向こうへその姿は消えていく。

 ミレイリルの寝顔に、一滴の涙が零れた。


◆2


 朝起きてもレックウィルは事務所に帰ってこなかった。何かトラブルでもあったのだろうか。しかしじっと待っているだけでは事態は進まない。そう思ったミレイリルはクレイシルムの亡霊の元に行ってみることにした。

 亡霊がいる場所は家主から聞いていた。一応霊障防護のペンダントを身につけていく。本当に霊と戦闘になったら首の皮一枚繋げる程度には役立つだろう。ミレイリルは自分のスクーターを小屋の裏手から引っ張り出した。

 不安は確かにあった。レックウィルは有能な霊障エージェントだ。だが、失敗のある日もあるだろう。ミレイリルは彼の無事を祈った。どんな仕事かも告げずに行ってしまった。まさかこれが今生の別れにはなるまい……彼は有能なのだ。

 クレイシルムの屋敷の近く、緑あふれる林道にミレイリルはやってきた。確かに、坑道の入口にクレイシルムの霊は佇んでいる。ミレイリルはスクーターを降り彼に挨拶をした。心配はしていたが、彼は優しい笑顔で挨拶を返す。

 レックウィルが来れないので代わりに来た、腕の行き場は分からないが誰かに憑依している可能性はある……ミレイリルはクレイシルムの霊に進捗を報告した。クレイシルムはしばらく思い当たる弟子を考えている。ミレイリルはアトリエで見た絵の話を振った。

「絵を見ましたよ。未完成には見えないほど素晴らしい絵でした……特に、描きこまれた人形の表情がそれぞれ個性があって……」
 それを聞いたクレイシルムは、驚きの反応を見せたのだ!
「人形の表情だと……私はそこまで描いてないぞ」

「えっ、確かに……もしかして!」
 誰かが絵の続きを描いているのだ! そうとしか思えなかった。それができるのは、クレイシルムの腕を受け継いだものだけだろう。ミレイリルはクレイシルと共にアトリエに行くことを提案した。

「アトリエで待っていれば、誰かが絵の続きを描きに来るはずです。そのひとこそ、画伯の腕を持っている人です!」
「しかし……何故だろう、この場を離れたくないんだ」
 自縛霊が場所を移動したくないのには理由がある。

 ミレイリルは以前勉強したことを思い出す。霊は、一般的に自分の死んだ場所を動きたくない。その場に魂が固定されていて、移動するとどんどん霊は不安定になっていくのだ。ミレイリルは迷った。危険を冒してまで画伯に来てもらう必要はあるだろうか。

 そのとき、林道をこちらに向かって歩いてくる影があった。ミレイリルはそれに気付く。背中からたくさんの腕を生やした異形の怪物……彼女は息をのんだ。
 ゾンビだ。霊障危険指定3級……恐ろしい危害をもたらす可能性のある、肉体を持った霊障事案……。


◆3


「クレイシルムさん逃げて!」
 ミレイリルは叫ぶが腕集めはそれよりも早くクレイシルムの元へ突進する! だがクレイシルムも死霊なのだ。生まれて間もなくその力は強い。腕集めはクレイシルムに近寄れず、弾き飛ばされた。

「ぬぅ、お前も死霊か……死霊同士の戦いは不毛だ。やめよう。ふふ、お前の腕の気配がするぞ……」
 腕集めはにやりと笑い、クレイシルムを迂回して林の奥に消えた。その方向には……クレイシルム邸がある!

「どうしよう、急がないと……あいつ、腕のありかがわかるんだ」
「お嬢さん、私が護衛しよう。少し離れるだけなら大丈夫さ」
 そういってクレイシルムはミレイリルを抱き上げた。そのまま風のように走る。死霊になるということは、それまでの肉体とは別な力を持つこと。

「あいつは私が引きとめておこう。いまの私には力があるようだ。……と言っても、あの場所を離れてからだんだん何かがすり減っていくのを感じる。時間はそう無い。その間に……腕を見つけてくれ」
 あっという間に、二人はクレイシルム邸へと到着した。

 葬式に来ていた弔問客が驚いて悲鳴を上げる。死んだはずのクレイシルムがいるのだ、無理も無い。やがて木々をかき分けて腕集めが姿を現した。彼はにやりと笑い。腕を振りかざす。
「じいさんよぉ、せっかく手に入れた第二の人生、無駄にするんじゃないよ」

「お前こそ、なんだそのなりは。死体を継ぎ合わせてなんとか生きてるようじゃないか。私がちゃんと眠らせてあげよう」
 ミレイリルは腰を抜かした弔問客たちを下がらせた。一刻も早くクレイシルムの腕を見つけなければ。

 いま彼は不完全な状態だ。腕があれば腕集めを圧倒できるかもしれない。一般的に死霊は再び生まれ落ちた瞬間にいちばん強い力を持つ。それを死霊術などで維持する必要があるのだが、ミレイリルから見ても腕集めはかなり腐敗が進んでいるようだった。

「あのゾンビ……どこから来たんだろう。でも、勝機はある。どこかに腕が……画伯の腕がいるはずなんだ。探さなくちゃ」
 腕集めの言っていた、この近くに腕がいるという情報。それをミレイリルは聞き逃さなかった。弔問客をかき分け、該当しそうな人物を探す。

 ミレイリルは知っていた。本気で戦うことは魂を消耗させる。そのうえ画伯は死んだ場所を離れているのだ。時間はない。画伯の力が残っている間に……腕を見つけなければならないのだ!


――失くした右腕#4


◆1


 ミレイリルは画伯の右腕の気配を探した。と言っても、彼女に霊感があるわけではない。しかしただの人間に右腕は乗り移らないだろう。画伯が認めた人物とは一体……。そのとき逃げるひとをかき分けてこちらに向かってくる少女がミレイリルの目にとまった。

「どうしたの、何が起こってるの……?」
 少女は喪服がわりの学生服を着ていた。ミレイリルは彼女に危ないから近寄ってはいけないと言う。だが少女は通ろうとする。ここは自分の家だと、私はクレイシルム画伯の孫娘だと言うのだ!

「あなたが画伯のお孫さん……会いたかったけど、いま大変なの……」
 そこでミレイリルは閃いた。あることに気付いたのだ。彼女の腕を引っ張り、アトリエへと急ぐ。
「あなたは誰なんです? アトリエに何の用が……」

「わたしはミレイリル。霊障コンサルタントよ。あなたもしかして……おじいさんの絵の続きを描いていない?」
「えっ、どうして分かるんです!?」
 ミレイリルはウィンクをして笑顔を見せた。

「だってあなた、指に絵の具がついてるんですもの。それによく考えたら、あの画伯の遺品に手をつけるなんてできるの、身内のひとしかいないじゃない!」
「えっ……なんでばれてるの!? こっそりやってたのに……」
 ミレイリルはフフッと笑う。

「もう絵は完成するんでしょ、いえ、もう完成してるのかも。分からないけど、あなたに最後の仕上げをやってほしいの。そうすれば、きっと右腕は……画伯の右腕は未練を断ち切って画伯の元へ戻るはず! お願い!」

 孫娘は無言で頷いた。事情が分からないが、自分のすべきことを理解したらしい。さっそくアトリエに入った彼女は、学生服も着替えぬまま絵筆と絵の具、そしてパレットを手に取った。絵の具を油で溶き、色を作る。

「もうほとんど完成なの。あとはこの人物の目に瞳を入れるだけ。おじいちゃんと同じ手順……何故だか知らないけど、おじいちゃんの力を手に入れた、そんな気がするの」
 碧の絵の具はきらきらと輝き、絵筆の先で光っていた。孫娘はゆっくりと瞳を描く。

「よし、完成!」
 その瞬間、絵から緑色の光が溢れだした! それはしゃらしゃらと音を立てながら、孫娘の右腕に絡みついていく! 孫娘は驚きの声を上げた。右腕が脱皮するように光の皮を脱ぎ、絵と同化した。

 そして絵は緑の光を放ちながら宙に浮かんだ。そして、そのまま光の粒を噴き上げながら窓を突き破って外に飛んでいった。行先はもう分かっていた。
「追いかけよう!」
 ミレイリルと孫娘は駆けだした。絵は……右腕は全ての目的を達成したのだ!


◆2


 クレイシルムは腕集めの力を辛うじて抑えていた。腕集めは身体のメンテナンスが行われていないという状況を、他の死体との合体という方法で解決しようとしている。無論、そんな突貫工事が上手く行くわけでもなく腕集めの力は衰えるばかりだ。

 しかし、それでもかなりの上級のゾンビであった腕集めは、一般人の死霊であるクレイシルムをほとんど圧倒していた。クレイシルムの力が生み出した白い靄は腕集めを取り囲んで拘束していたが、腕集めはそれでもゆっくりと足を進める。

 もう、もたない。これ以上接近されたらこの拘束が解ける……クレイシルムは焦っていた。だが、そこに緑の燐光が降り注いだ。上を見上げると、緑の光の塊がゆっくりと頭上を旋回している。腕集めもそれに気付き、天を仰いだ。

「なんだこれは、じじい、何の魔法だ!?」
 腕集めはうろたえる。が、すぐに彼はその光の正体に気付く。腕だ。クレイシルムの腕がそこにあるのだ。腕集めは必死になってその光の塊を捕まえようとした。だが、うまくジャンプできない。

 白い靄の拘束は、いつしか緑の光の渦になっていた。腕、腕を寄こせとうわごとのように腕集めは繰り返した。だが、その姿も声も緑の渦が塗りつぶしていく。クレイシルムは光に抱かれ、自らの右腕が戻ったことを実感した。

 緑の光の渦は、やがて不思議なイメージを形作っていった。ミレイリルと孫娘もようやくその場に到着する。そこには……絵で描かれていたそのままの情景が広がっていたのだ。しかも、ただ再現しただけではない。

 絵で描かれていたのは室内の薄暗い部屋にいる人形と少女の姿だった。だが、眼前に広がっているのは光の中で人形と遊んでいる少女の姿だった。その落ちついた色調は極彩色の鮮やかな光に変わっている。それはクレイシルムの画風とは違うものだった。

 クレイシルムは右腕を撫で、そして孫娘を見た。
「これがお前の描きたい絵なんだね……ふふ、私がお前にプレゼントするはずの絵だったが、こんな形でお前からプレゼントされるとはね」

 腕集めはもう光の渦にかき消されていなくなってしまった。やがて緑の粒子は光を失い、あせた色の蝶になって空の向こうへ飛び去ってしまった。後には……クレイシルムとミレイリル、そして孫娘が、緑の絵の具まみれで残されていたのだった。


――失くした右腕 エピローグ


「はは、これがお前の色か……素晴らしいな」
 絵の具まみれでクレイシルムは孫娘に微笑んだ。もう彼の姿は薄くなり、空気と同化しつつある。そう、彼の未練は解決したのだ。あとはもう浄化されるのみだ。
「おじいちゃん……」

 孫娘は必死になってかける言葉を探そうとしていたが、言葉に詰まってなかなか言い出せない。やっと彼女は言葉を絞り出す。
「おじいちゃん、おじいちゃんの腕だったんだね。凄い力が湧いて来たよ。何でも描ける、そんな気がしたの」

「お前は最初から何でも描けるさ。いつも描いていただろう? じいちゃんは見ていたぞ」
 そう言ってクレイシルムは孫娘の頭をなでる。その手はもう実体がほとんどなく、指先は髪に沈んだ。
「右腕は、ただ勇気をくれただけさ」

「さよなら、おじいちゃん」
「ああ、さよならだ」
 そう言ってクレイシルムはそのまま風に消えた。残った絵の具は、風と共に光の粒となり舞いあがった。そして、あとには何も残らなかった。

 それで、この失われた右腕の事件は終わったのだった。


――


 崖の上には、今日もレックウィルの事務所が建っている。だが、その表札には長期休業中の札が立てられていた。崖の上の小屋も、無人だ。午後の優しい光が事務所を照らし、窓から光の筋が漏れる。事務所の中では薬缶が湯気を吹いていた。

「お湯が湧きましたね、お茶を淹れましょう」
 ミレイリルがティーポットに茶葉を入れて、薬缶の火を止める。そしてお湯をゆっくりとティーポットの中に注いだ。
「先生、何かお菓子でも食べます? お見舞いの品がいっぱい来てますよ」

 そう、事務所のベッドに横たわっているのは大怪我をしたレックウィルだ。身体中包帯まみれで、右足はギプスで固定されている。
「ああ……フルーツケーキがいいな、ミックラン事務所からのお見舞いだったっけ。一緒に食べよう」

「やったぁ!」
 ミレイリルは喜んで積み上がった箱からフルーツケーキの箱を取り出す。今回の事件はちゃんと報酬が支払われた。しかも、腕集めの退治費用も上乗せで! これはミレイリルの最初の事件で、最初の功績だった。

「今回は偶然上手く行ったけど、気をつけておくれよ。君もベッドに寝ているかも知れなかったんだから」
「勉強しますよ、えへへー」
「ミレイリル……」
 レックウィルはじっとミレイリルを見て言う。

「魔法の勉強もしてくれないか、そのうち必要になるかも知れないからね……助手としてさ」
「えっ……!」
 ミレイリルは思わず顔がゆるむ。
「あまり調子に乗らずにね……まぁ、今回は大手柄だけどさ」
「わかってますよー!」

 レックウィルの事務所には、今日もさわやかな紅茶の香りが満ちているのであった。


――失くした右腕 (了)










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