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 箱の世界#1


 リクルは不思議な箱を持っていた。子供の頃、おもちゃ箱の中で見つけた不思議な箱。それは何の変哲もない手のひらサイズの木箱に見えた。黄色い塗装ははげ落ちていて、かなり古いものに見える。箱には鍵のない蝶番式の蓋がついていた。

 子供の頃からリクルはこの箱を覗いては暇を潰していた。というのは、箱を覗くと素晴らしい景色が見えるのだ。それは知らない街を空の上から眺めることができる景色だった。街には人影が見えないが、夜になると電気の灯りでぴかぴか光っていた。

 それは異世界に通じる扉なのだろうか? 一度リクルは両親に箱を見せたことがある。だが両親は、箱はただの箱にしか見えない。そんな街なんて見えないというのだ。そして箱が捨てられそうになったので、この景色は以後秘密の楽しみになった。

 リクルが青年になっても、その街の景色はリクルを魅了した。時が経つにつれ、街がどんどん発展していくのだ。知らない建物がどんどん建っていき、新しい公園ができたり、線路が出来たりした。今ではもう列車が通っている。

 しかし相変わらず人間の姿は見えなかった。建物が建設されていても、工事のひとは見当たらない。犬や鳥などの動物の影が見えても、誰ひとりとしてリクルの目には映らなかった。それだけは彼にとっては残念なことだった。

 この街は何と言う名前なのだろう、どこかにあるのだろうか? リクルはいつもこの街について空想していた。いつか……出来ることならば訪れてみたい。そこで見るのはやはり無人の街なのだろうか?

 街はどんどん発展していく。リクルの街もまた都市開発の波に押されてどんどん発展していった。リクルは自分の住む街とこの箱から見える街を重ねずにはいられなかった。森は切り開かれ公園になり、田畑は埋め立てられ住宅街になっていった。

 ある夏の暑い日、リクルはいつものように箱を覗いていた。箱の中の街も夏の暑い日差しを受けて輝いていた。木々はうっそうと生い茂り、枝葉を伸ばしている。そのとき、いつもと同じ街の景色が今日は違っていることに気付いた。街の大通りを……誰かが歩いているのだ!

 それは……米粒のように小さいはずの人影だった。だが、リクルにはその表情さえはっきりと見ることができた。その人影は……優しそうな顔をした、サマードレスの娘だった。

 リクルは驚いてその娘を凝視した。だが、娘と視線は交わることはない。娘は路地裏に入っていき、そのまま見えなくなった。始めて見つけた人間。だが、その出会いはあっさりとしたものだった。

 しかしリクルはどこか奇妙な感覚を覚えていた。その娘を見たのは初めてではない気がするのだ。どこかで会ったような……それも無意識的にすれ違ったような、そんな気がするのだ。どこで彼女と出会ったのだろう。どこへ行けば彼女と出会えるだろう。

 それ以上じっと見ていても街の様子は変わらなかった。それより、リクルは彼女に会いたくてたまらなくなった。彼女はどこにいるのだろう。外へ出てみれば会えるのだろうか。リクルは何も考えずに支度をすると外へと飛びだした。

 この街で出会えるかは分からない。ただ、家でじっとするよりましだろう。リクルはあの箱の世界が意外と近くにあるような気がして胸が高鳴った。街は昔の田舎っぽさを失い大分都会のように発展していた。街の大通りには人混みが溢れる。

 行き交う人々の顔をつぶさに観察する。あの人でもない、この人でもない……リクルは必死に箱の中に見た娘を探した。だが、小一時間探しても成果は得られず、日は傾きつつあった。勢いだけで街へと飛びだしたが、無駄に終わったのか……。

 諦めかけていたその時である。水色のサマードレスが視界の端を横切った。慌ててリクルは振り返る。すると、たしかに箱の中に見たあの娘が、街中を歩いていたのだ! リクルはその時のときめきを忘れないだろう。まるで運命の人を見つけたかのように。

 人混みをかき分け、リクルは娘の後を追った。声をかけようか、どうしようか。葛藤がリクルを襲う。だが、娘の足取りは軽やかで、急いで追いかけないとどんどん間を離されてしまうのだ。しかしリクルは思った。

 このまま彼女を追いかけていけば、あの街に辿りつけるのではないか……? 夢が急速に膨らむのを感じる。あの街の秘密が分かるかもしれない。誰も知らない、自分だけが知っているあの街に辿りつけたら……。

 娘は軽やかな足取りで路地裏に入っていった。そこはひともいないので離されることはないだろう。少し遅れて、リクルも路地裏に入った。しかし、さらに娘の速度が速くなり、リクルは必死に走らないと置いてかれてしまいそうになった。

 路地裏をどれほど進んだだろう。これほどまでに街が広いとは思わなかった。煉瓦で出来た壁は両脇に高くそびえ、勝手口のドアは雨風で風化している。自転車や植木鉢が路地裏に放置されていた。そして、とうとう視界が開けたのだ!

 開けた視界の先に広がっていたのは……あの、箱の中で見た街だった。リクルは興奮して辺りを見回した。夕暮れの街角は見覚えがあるものばかりだった。あの建物も、この公園も……この道路も! 全てが箱の中そっくりだったのだ。

 街の様子に気を取られながらも、サマードレスの娘を追いかける。あの娘はこの街の住人なのだろうか? 自分と娘以外の人影は見えなかったが、やはり建物にはどれも明かりが灯っている。

 遠くから踏切の音が聞こえてくる。やがて列車の走る音がだんだんと近付いてきた。娘はガード下の闇に消えていく。追いかけると、丁度列車が上を走り凄まじい音がした。リクルは列車を見上げる。列車は明かりが灯っているがやはり人影は見えない。

 娘はすでにガード下の闇を抜けて光溢れる街の大通りへと歩いていくところだった。リクルは必死に走って追いかけているのだが、一向に差は縮まらない。彼の息はあがり、そろそろ体力が限界だった。このままでは……見失ってしまう。

 リクルは彼女に声をかけようか迷った。赤の他人だったが、声をかけてみるのもいいだろう。だが、何と言って声をかければいいのだろうか。箱の中であなたを見ました? 一瞬リクルは箱のことを両親に話したときのことを思い出してしまった。

 こんな突拍子もないことをいきなり彼女に言うわけにはいかなかった。かといって何と言って声をかければいいのかも分からない。迷っているうちに、いつの間にか、彼女を見失ってしまった。リクルは立ち止り、膝に手をつき呼吸を整える。

 結局迷っているうちに機会を失ってしまった。リクルは悔やんだが、過ぎてしまったものはしょうがない。彼は元来た道を引き返した。ガードの下は闇が濃く、列車の気配もなく静かだった。

 辺りはどんどん暗くなっていき、空には星が光りはじめた。空から見慣れた建物や公園の横を過ぎる。すると、リクルはふと視線を感じた。誰かがいるのだろうか。しかし辺りを見回してみても、誰もいない。猫すらいない。

 ふと彼は上空に視線を移す。すると……彼は息をのんだ。夜空に……光る四角い窓が開いているのだ。そしてその四角い窓いっぱいに……。

 誰かの眼が自分を見つめているのだ。


 箱の世界#2


 リクルは急いで逃げた。誰かが自分を見ている! そうだ、ここはあの箱の街なのだ。もしかしたら自分以外の誰かがこの街を覗いていたのかもしれない。視線の恐怖でやみくもに道を探した。記憶を頼りに来た道を引き返す。

 自分は何に怯えているのだろう? 見られているだけなのにそれが無性に怖かった。あのサマードレスの娘も自分の視線に怯えていたのだろうか。そう考えるとリクルは申し訳なくなった。やがて元来た路地裏をやっとのことで見つける。

 空は怖くて見上げられなかった。思い出すだけでも震えてくる、大きな目の視線……リクルは路地裏を必死で走った。辺りは暗く、途中で自転車を倒したり植木鉢を蹴飛ばして割ったりしてしまった。路地裏を抜け、彼はよく見知った街角に辿りつく。

 息は荒く、彼は膝に手をつき立ちつくしてしまった。さっきから全速力で走ってばかりだ。恐る恐る空を見上げるが、のっぺりとした月が光っているだけだ。彼は安心して、街角の段差に座りこんだ。ここは人の通りもなく、誰も気には止めない。

 あの誰もいない街に比べたら、このよく見知った街のざわめきはなんと心地のいいものだろう。あの街は静かな世界だった。視線だけしか存在していない冷たい世界。あの娘もそれを感じているのだろうか? そしてそれを自分に教えに……?

 想像は尽きないが、とにかくもうあの街に行くのはやめよう、箱を覗くのもやめよう。そうリクルは決心した。サマードレスの娘にもう会えないのは心残りだったが仕方が無い。それから彼はゆっくりと立ち上がり、家に帰ったのだった。

 しばらく日が過ぎたが、やはり時が経つと箱への好奇心がまた膨らんでくる。箱は机の引き出しの中に大切にしまってある。何度か取り出して見てみる。が、結局はあの視線を思い出し、引き出しに戻す日々が続いた。

 その数日の間、街に出ることもよくあった。だが、例の路地裏は記憶が曖昧になっていて見つけることができなかった。それはそれでいい話ではあるが。もう一度あの街に行く気力はない。あのサマードレスの娘はいまもあの街に住んでいるのだろうか。

 しかしとうとう耐えられなくなる。いままで毎日覗いてきた街を失うのは、我慢できない。リクルは、再び街を探すことにした。

 もう一度あのサマードレスの娘に会いたい。彼女に会って、今度は声をかけてみたい。この前は失敗したけれど、今度はうまく行く気がする。決心したのはある日曜の朝だった。その日は何故かいつもよりはやく起きることができた。

 シャツに着替えてリクルは朝の街へと向かった。朝食も食べないまま彼は急ぐ。鳥はさえずり、風は穏やかだった。太陽が温かくリクルを迎えている。列車が通る音がする。踏切はカンカンと音を鳴らしていた。

 朝の街はひとも少なく、店もまだ開いていない。リクルはその中を何度も往復した。あの娘は今日も来ているだろうか。相変わらず前通ったあの路地裏は見つからなかった。でも、また会えるような……そんな妙な確信だけがあった。

 しかしその確信とは裏腹に、彼は時間を擦り減らしていった。とうとう太陽は高く昇り、街にひとは溢れ、店は開き活気づいてくる。もう昼になっていた。流石にリクルは腹が減ってくる。朝から何も食べていないのだ。

 近くのカフェに寄ってサンドイッチを買う。道のよく見える窓側の席に座り、リクルは街を眺めていた。自分が子供の頃はこんなカフェなんて無かった。随分変わってしまった……彼は少し思い出を掘り返す。

 そうだ、あのサマードレスの娘……どこかで見たと思ったら、子供の頃会ったような記憶がある。ずいぶん成長したものだ。この街のように、彼女もすっかり変わっていた。彼女はこの街に帰ってきたのだろうか。

 それとも彼女はあの街で……箱の中で見た街でずっと過ごしていたのだろうか。まさかね……。リクルはいつの間にか思い出から空想に浸っていた。彼は気づかなかったが、その前を横切り、カフェに入ってきた娘がいた。

 娘はコーヒーを買うと、しばらく店で席を探していた。今は昼時で人が多く席はほとんど埋まっていた。リクルの隣の席は空いていたが。リクルはふと何気なく振り返る。そこで気づいた。……彼女に!

 リクルは席を探して歩いているサマードレスの娘と目があった。そして思わず声をかける。 「こんにちは……ここ、空いてますよ」 「あ、ありがとうございます」  そう言って娘は席に座った。

 リクルは何を言おうか考えていたが、なんと娘から話しかけてきた! 「不思議な話ですけどね、あなたには随分昔に会ったような記憶があるのですよ」  それは僕も同じだ! と言いそうになったが彼女はまだ話を続けていたので黙っていた。

「その後、最近偶然あなたを見つけることが出来ました。不思議な話ですけどね……言って信じてもらえるかどうか分かりません。ですが、確かにわたしはあなたを見つけたのです。ですが最近あなたを見失ってしまって……」

 またしても自分と同じ状況だ。これはどういうことだろうか。まるで自分が独白しているかのようだ。さらに娘は続ける。 「もう会えないかと思っていました。でも偶然あなたを見つけて……カフェに入ったときは気づかなかったのにね」

 娘はコーヒーをカウンターに置き、荷物を探り始めた。そして……なんと、小さな箱を取り出したのだ! それは古めかしい木箱で、手のひらサイズの大きさだった。黄色い塗装はかなりはげ落ちている。

 リクルは声をあげそうだった。それは自分のよく見知っている木箱とそっくりだったのだ。ただ微妙に違う。箱の深さとか、蓋のサイズが微妙に違うのだ。しかし娘はリクルの驚きに気付いていないようだ。

「言って信じてもらえるか分かりませんが……この箱の中に街が見えるのです。わたしはこの街の中であなたを見つけました」

 箱の世界 (了)











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