「ラストダンスは誰のもの」
 カルメは音楽が終わった丁度10秒後、徐に伏せていた身体を起き上がらせた。額に浮かんだ汗をぬぐうことなく、客席の観客に向かって挨拶をする。客席は死んだように静まり返っていた。
 その燃えるようなひらひらの赤い衣装を翻して、カルメは何度もお辞儀をした。芝居がかったような、大仰な動きで手を振り、笑顔を見せる。それが、彼女の踊りを見に訪れた観客への最大限の礼だ。

 どたどたと足音が聞こえる。カルメは、危険を察知し、挨拶をやめて、脱出路を確保した。地下舞台は巧妙に隠されていたが、どこからか情報が漏れたらしい。舞台の袖、天井からぶら下がったケーブル。スイッチ一つで彼女を屋根まで巻き上げてくれる。警官隊が踏み込んだ時には、すでにカルメの姿は無かった。

 “魔女の踊り”と呼ばれた舞踊があった。それは禁じられた踊りだった。娯楽が禁じられた国で、蒸留酒のように濃度を高めていった究極の娯楽……隠された、秘密の娯楽。

 カルメは屋根の上で衣装を脱ぎ棄てる。逃げるには、この衣装は少々動きづらかった。屋根の上にはあらかじめ用意していた手荷物があった。簡単な着替えもある。だが、いまは悠長に着替えている時ではない。手荷物を手にし、下着姿のまま、月明かりの屋根を渡り歩く。
 裸足のまま屋根瓦の上を走る。ライトの光が遥か眼下から伸びて交差する。いままで何度も隠し舞台で公演を行ってきたが、もう限界だろうか。今回は警官隊の動きが早く徐々に包囲されていく。

 “魔女の踊り”は危険だった。余りにもその舞踊を見る快楽が大きすぎるため、ほとんどの観客はショック死してしまうのだ。しかし、あらゆる快楽が禁じられた社会では、どうせ一度も二度も娯楽を味わえる機会など無い。それならばいっそ、人生の最後に一度だけでいいから最高で最大の快楽を得よう……そう誰もが思った。
 “魔女の踊り”は時代と共にその快楽を研ぎ澄まし、近年には、すでに、生き残る観客は一人としていなかった。

 カルメはとうとう包囲されてしまった。雑貨屋の屋根の上、立ちつくすしかない。マスケット銃を構えた警官隊がその周りを包囲している。迂闊に動けば、下から叩きつけられる銃弾の雨を浴びるだろう。
 彼女は逃げるのを諦め、屋根から飛び降りた。雑貨屋は平屋だったが、着地に失敗したら死ぬかもしれない。そもそも彼女には生き残る道など無い。
 とっさに手を出す。衝撃。腕が折れ、血と骨が飛び出す。激痛に耐えながら、それでもゆっくりと立ち上がる。痛みで身体は震え、鮮血がぽたぽたと地面に落ちた。

 警官隊は雑貨屋の壁を背に立つカルメを包囲した。銃を構え、いつでも撃てる状況にする。だが、撃ちはしない。この国は法治国家だ。捕縛し、裁判を経て、縛り首にするのだ。たとえ結果が同じだとしても。

 カルメはゆっくりと笑みを作った。舞台で見せるのと、同じ笑顔。そしてゆっくりとステップを踏む。

――“魔女の踊り”だ!

 警官隊の誰かが叫び、それが引き金となって、銃弾が一斉に発射される。カルメはそのまま絶命した。


 彼女の顔は、安らかな笑顔のままであった。まるで、彼女の演じた舞台で死んだ客たちのように、静かに、笑っていた。



書き出し.meで公開したものの転載です









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