――部長は原稿が書けなくなってしまいました 「文芸部が廃部だなんて……」 「そりゃ、僕と部長しかいないからね」 部長は先程から恨み節を漏らして、ときおり自動車のエンジンのように唸っていた。部長は静かにしていれば可愛い女の子なのに、こうして苦悶の表情で原稿を書いている場面ばかり見ているので、その印象がさっぱり僕には無かった。 廃部の理由は単純だった。この学校の文芸部は幽霊部員が多かった。実際に活動しているのは、僕と部長しかいない。それがなんだかんだで問題になって、そう言うこと……文芸部廃部になったのだ。 「わたしがスパルタだったからいけなかったのね」 「原稿を催促するのは部長の仕事ですよ」 狭い部室の中。夕陽の差す放課後。部室の蛍光灯の明かりが、窓から差す光よりも強くなったか……そんな時間。 机に向かいあって僕と部長はそれぞれのノートPCの画面を見ていた。僕のタイプ音がさっきからせわしなく部室に響いている。部長は長い髪をまるでホラー映画の幽霊のように垂らしている。彼女は相当落ち込んでいるようだった。次の機関紙が最後の発行になるだろう。 「原稿の進捗どうですか? 部長」 僕は高速で文章を打ちこみながらも、部長の作品のことが気になっていた。部長はと言うと、さっきから全く手が動いていない。唸っているだけだ。 珍しいことだった。彼女は苦悶の表情を見せながらも、示しが付かないと言って誰よりも早く原稿を上げていた。それが、〆切りギリギリになって急いでいる僕よりも、遅いのだ。 「ぜんぜん書けないのよぉ、一文字も書けないのよぉ、初めてだわ……」 「馬に鞭打って走らせる方法は知っていても、僕は人に文章を書かせる鞭は知りませんね……」 僕は乗馬を嗜んでいたことを思い出した。人間を動かすのに鞭など無意味だ。馬の方がもっと素直で、人間と言うのはややこしいのだ。 書けと言っても、書けるものではない。そのせいで幽霊部員は増え、今回の惨状を招いてしまったのかもしれない。 知能が発達し、感情が生まれたことで、一部の動物に生まれたもの。踏み出したくても踏み出せない矛盾。それの頂点が人間だと、僕はふと思った。 「書けなかったひとたちも、こんな気分だったのかしらね……反省するわぁ」 「部長はかっこつけなんじゃないんですか?」 僕は高速で繰り広げられる思考の端から漏れ出した言葉を、自然と口に出していた。頭に浮かんだストーリーを原稿にするように、ふと浮かんだ思いを僕は言葉にした。 その言葉に、部長はびくりと身体を震わせた。夕陽が雲に隠れ、部室の明かりが完全に電気の光で塗りつぶされる。 「最後の機関紙だからって、名作で〆ようとしてるんですよ。そんなの無理に決まってます。僕らの最後は、酷い駄作で終わるんです。そして解散です。終わりです」 「そんなの酷過ぎるじゃない……私は、あなたと……最高の本を作りたいのに」 部長の声が泣き声に変わる。僕は「しまった」と自分の口を呪った。僕は自分の作品のクライマックスに向けて集中力を加速させていた。そのせいで心ないことを言ってしまったのだ。部長は聞こえないくらい小さな声でうめき声を上げる。 「これで最後なんだよ!? 私はいままで好きなように書き散らしていた……いつまでも、そんな日々が続くと思っていた。でも、もう最後なんだよ!? それを知ったときから、私の今までの作品はみんな駄作になっちゃったんだよ。私は、今まで、何も胸を張って残せるものを書いてきてなかったんだよ……?」 部長の声はしっかりと僕の耳には届いていたし、その意味も分かっていた。原稿を書くスピードが上がる。僕はランナーズハイのような興奮の中にいて、今なら傷つけてしまった彼女を癒す言葉を言えそうな気がした。 僕は相変わらず漏れ出す言葉を口に出していた。 「もう書かないんですか? これで最後なんですか?」 「え?」 「本当に最後なんですか? 部長の物語はまだまだ続いているはずです。こんな小さな機関紙で旅の終着点を迎えるなんて僕は許しません。部長は書き続けるのです。10年の時間を考えましょう。10年後に〆切りを迎える、部長の本当に胸を張って書いた作品を、僕は待っています」 僕はラストシーンを一気に書き上げていく。今まで考えてきた、最高の着地点へと物語を導く。部長は、タイプ音に消えそうな声で呟く。 「10年も待ってくれるの?」 僕は確かに部長の呟きを捉えた。 「ええ、待ちますよ。きっと、部長は素晴らしい物語を完成させるのだから……僕は部長の物語が好きだから、きっと10年後も同じように書いているに決まってるんです……よし、完成した!」 そして、一気に原稿を書ききった。これから推敲がしばらく続くが、一応全体が完成すると言うのは心躍るものだ。 冷え切ったコーヒーを少し口に含み、静かに味わって飲み込んだ。そして初めて彼女の様子を知る。 部長はじっと顔をこちらに向けて、しかし恥ずかしそうに視線を逸らしていた。いまだ手は動かないが、彼女の中で絡まった糸が解けたようには感じた。 「お願い、私が書き始めるまで、しばらくここにいて」 「いいよ、それこそ10年でも」 僕はノートPCの蓋を閉じて、笑顔を部長に見せたのだった。 ――部長は原稿が書けなくなってしまいました (了) 即興小説で公開したものの加筆修正版です |